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9月30日 (太陰太陽暦8月11日) 水曜日 雨
久しぶりの雨で、ほんとうに嬉しい。これで、畑の作物がみんな元気になるだろう。だが稲刈りはまだ半分残っているのに、こっちは残念!
珍しく、見舞いの電話なし。来訪者もなく、ゆるやかな小雨のなか、静かな一日。夕方小雨になったところで、吉野川まで、ドライブに連れていってもらった。川はよい香りがして、美しく、滔々たる流れは他の何者よりも、心を癒してくれる。
どこの畑の畝間は適当に水が溜まって、本当に農家を助けるいい雨だった。
不眠を治す指圧のツボを本や、インターネットで調べてみたら、6カ所もあった、指圧をやる人によって違うようだ。
9月29日 (太陰太陽暦8月10日) 火曜日 曇り
ウルチを半分刈ってくれた。ワラ取りのためにバインダーで刈り、コンバインで脱穀、モミの乾燥、ワラ運びという行程をへるために、1日やっても5畝ぐらいだ。
昼過ぎに仁木さんといしょに阿部先生がきて、いろいろと新しいアドバイス。重湯を1品増やしてくれたが、わずか。身体のしょうじょうを見て、よくなりましたね!と。
手伝いにきてくれている、親戚の信子さんに風呂とトイレの水漏れ部分をシリコンでコーキングしてもらった。
不眠が続くので足の指付けねを指圧してもらったら、すぐに寝付いてしまったが、夜中の12時頃トイレで起きたら、以後30日朝まで、まったく眠れず。
9月28日 (太陰太陽暦8月10日) 月曜日 曇り
今までは「空腹イコール食べたい」ではなかったが、これがイコールになった。これも大きな進歩だ。だが、食べる量も制限されているので、慢性的な空腹が続いている。
小野さんたちがきてくれて、もち米を刈ってくれた。
一日中、窓から外を眺めるような暮らしをしていると、小鳥の声、ムシたちの声がよく聞こえてくる。こんな環境は病気になる前と同じなのに、いままでは耳を傾けてないなかったのだろうと思う。夜中な絶え間なく、鈴虫などのやわらかい声が耐えない。夜明け直前になると鳥のこえがまず響き、少し高い、すずムシ、コーロギの声、・・・・・・・・・・・・・
こんな調子だ。
9月27日 (太陰太陽暦8月9日) 日曜日 晴れ
ショーンの奥さん・岡田ひろこさんから、一昨日、突然電話があり、今日やってきた。彼女とは1996年に会ったきり。全身を覆うようなひどいガン(甲状腺がんから、肺、両手・・)で会った時は「間もなく死ぬ」と思っていた。なのに突然「今関さんのホームページみたわよ、ガンなんだってね」と元気で張りのある声での電話。もう12年も経過しているから「死んだもの」と思っていたのに!!感動と感激で目から涙が吹き出した。しかも今日、来ると言う!!!
そして会ってビックリ。当時の面影はどこへやら。あんなに痩せて、みる影もなかったのに、丸まると太って、肌、顔のツヤもよく、しかもフランス人形のような3歳のかわいい女の子まで連れて!!!!
しかも彼女は、医師を離れてから独学でゲルソン食事療法などを学び、みずから実践してきたために、ガン治療関係の情報にあかるく、様々な情報を教えてくれた。
まさに、ベットでヘナヘナしているボクから見たら「まるで天使のように光り輝く!!!」ような。
本当に会え良かった、20年近くもガンと対決して、まだ41歳!!
午後、義弟夫妻が来てくれて、3日ほど、かみさんの手伝いで、嫁さんが滞在してくれるという、頼もしい「申し出」いまはこういうおてつだいほど嬉しいものはない。ボクは寝てるだけだが、かみさんが「先に倒れてしまうのではないか」と思ってしまうほどに疲れている。
昨日に引き続き、小野さんが来て「稲刈り」をしてくれた。ボクのまわりにはほんとうにありがたい人たちばかり!!!!!!!!!
9月26日 (太陰太陽暦8月8日) 土曜日 晴れ
今日はいままでになく、いたって気分良好。4日も睡眠時間が2時間なので、なんでこんなに快調なのかわからない。だが今日こそ、昼寝でもなんでもしないと!!
どこからくるのか?ほんわかとキンモクセイの香り!つい釣られて車いすで角の家まで行ってしまった。まだ咲きかけなのに、なんで100メートリも飛んできたのだろうか。
このごろ、いままで見向きもしなかった、野の花、小鳥やムシの声が気になってしょうがない。
部屋のなかに「ススキ、リンドウ、ハギ、猫じゃらし、・・・・・・・・・」
朝から順番に、カエルの声のような鳥声、スズメ(稲刈り終わった田んぼから)大小様々な鈴のようなかわいい声、時々、コオロギのだみ声、日が高く昇り、気温があがってくると、縁の下からの鈴虫だけになり、後は夕方待ち。
9月25日 (太陰太陽暦8月7日) 金曜日 晴れ
夕べは睡眠時間は2時間。これで4日続く。
口の中が臭い。歯磨きしても終わった直後に臭くなる。これもガンの死体の臭いだろうか、シャツも毎日臭くなる。
部屋も臭くなる。だが感じるのはボクだけのようだ。まるで犬の鼻。
テレビで妙高山の「野草」の映像をみた。
野草の天ぷらを常食している住民の暮らしを紹介していた。ドクダミ、オオバコ、タンポポ、フキ、スギナ、ヨモギ・・・・・・・・・・・・・・
野草酵素メーカーの宣伝だ。
68種類もの野草エキスエキスに野菜の汁を加えて、強圧で絞る。汁に有用菌を加えて醗酵させて作る「野草酵素」を市販していると言う。
420ミリリットルで7300円。1ヶ月分だという。これには砂糖が加えられていないみたい。ボクみたいなガン患者にとって酵素は極めて重要なので、どうも気になる。典子Tの父君が作っていて、先日いただいたものに非常に似通っている。
毎日回復していく足音を感じている。玄米の量も増えてきたし・・・・・・・・・
恭子Mさんが、赤ちゃんつれて、見舞いにきてくれた。夕方にはいっちゃん(阿南高専准教諭)がきてくれた。
こうしてたまにお見舞いにきてくれる人たちがいると、長ーい一日が少しは短く感じていい。
はじめて「リンゴジュースひとさじ」とスギナのカプセルの許可をもらって飲んだ。リンゴのジュースがあんなにも美味しいとは!!
9月24日 (太陰太陽暦8月6日) 木曜日 晴れ
9月22・23日
長男一家は、今治にいた奥さんと孫たちを伴って渋滞の中東京へ帰った。
残っていた農作業を全部こなしてくれて、大変助かった。
パソコンに向かって日記の更新すら困難な状況にあったので、テープに吹き込んでおいた日記文を口述しテキストにしてもらった。更に、徳島新聞夕刊の「ぞめき」に月2回連載している文も即興口実し全部テキストにしてもらった。一回分は800文字だが2回分をきれいに2分割にしてくれた。
その日の夕方、徳島新聞系列の「さらら」の編集長・のりこTさんが、自然農を営んでいる父君が自分で仕込んで作ったという雑草酵素を4合瓶にいっぱい送って来てくれた。
話によれば、農業の傍ら「ことほぎ」というレストランを徳島市一宮町で開いている。
次男で伊豆大島に住んでいる、真二郎からは最高級の椿油の原液と
海水で作った塩を微粉末にした歯磨き粉を送ってくれた。これは大変な優れもので、フッ素などの薬剤を一切含まない塩だけの歯磨きで非常に爽快である。この塩歯磨き粉は一生使ってゆきたい。
椿油は指の手あれが激しいので、それの予防のために送ってもらった。今までは、食用のオリーブバージンオイルを使っていたが、ちょっと臭いがするので、椿油は無臭なのでありがた。
昨日までは、トイレまでのわずか3メートルの距離を歩いただけで、息切れがして非常な疲労感を覚えていたが、今日になって、「焼き玄米・醗酵玄米」をやっと食べれるようになり、なんとなく少しだが元気になりつつあるような気がして来た。
サトイモとひねしょうがをお腹の湿布に使っていて非常に沢山使う、宮崎のヤーちゃんの畑で作っていると思って電話したら、すぐに送るといってくれた。
8月13日抗ガン剤投与以後続いていた「吐き気」がやっと停まった。
今日
今までは、玄米を食べると通過点の食道、そして胃袋に入ると「毒物」が入ったように、胃がぐるぐるし、気分が悪くなり、吐き気を催していて、食べる気がせず、という感じだったが、なぜか今日は朝からバリバリと連続して食べられるではなにか。なにが起こったのだろうか。いつもの5ー6倍も食べて、胃の中でも爽快!!
ヤーちゃんからのサトイモ、ひねショウガは大きな段ボールにいっぱい。本当に友だちってありがたい。
恵子さんが、希望していた「ススキ」を飾ってくれた!!!!
ミカン、はぎ、リンドウ、猫じゃらし、紫式部。
9月21日 (太陰太陽暦8月3日) 月曜日 曇り
9月19日
昨日同様に明け方の4時半にまたゲロを吐いてしまった。
トイレに起きて小便とおしりから血を流しそして出てから水を約180ccを飲んで
約8メートルを歩いて寝床に戻ったその瞬間に吐いてしまった。
胃液と胆汁だけ。
だがその量は驚くほど多かった。
久しぶりにバリカンで髪の毛を切った。
その直後に腰湯に入ろうと思ったが、また吐き気をもよおしたのでやめた。
いつになく猛烈な空腹感に襲われたけれども、何かを食べたいという気持ちにはどうしてもなれない。
不思議な感覚である。
どうしても玄米クリームも食べられないので阿部さんに電話。
食べられなければ無理する必要はありません、と言われて安心した。
それから下血についてはゴマと塩を混ぜてそれに玄米を混ぜ込んで一緒に食べるといずれ下血は止まると言われた。
でもそれも食べられなかった。
ガンになると異常に臭いに敏感になるらしくボクもそうなってきた。
家族の誰も感じないのに、ボクだけ、いつも寝ている部屋に悪臭を感じていたので炭(15キロ)を紙製の手提げ袋に入れて8個も部屋の隅々に置く作業をしてもらった。
夕方長男の一家が東京から帰ってきた。
長男だけが残って、貴ちゃんと子供たちは、今治の実家へ向かった。
長男にはカミサンがやってくれている湿布作業とか畑作業とか雑用をやってもらおうかと思っている。
小百合ちゃんが見舞いに来てくれた。
来年の3月には熊本の婚約者の元へ引っ越すと言っていた。
9月20日
今日も快晴。
ここ4、5日はあまり食事をしていないせいか数メートル歩いただけで息切れがする。
昨日、玄米酵素を買ったので今日からはどんなことがあってもがんばって玄米酵素と玄米を食べてみようと思った。
空腹感と食欲はまったく違う。
お昼にがんばって玄米と玄米酵素を小さじで4杯ほど水で流し込んだ直後、すぐに全部吐いてしまった。
午後、加代ちゃんが和歌山のマリちゃんをともなって訪問してくれた。
マリちゃんのお父さんも肝臓ガンだったとのこと。
大変な酒好きで肝硬変になっていてそのうえのガンだったという。
病院でガンと診断されてからは病院通院をやめて自分で代替療法の本を一生懸命読んでマクロビオティックのような療法をして自分で治してしまったようだ。
やはり玄米、ビタミンはキウイ一日一個。あとは万田酵素。
こんな療法であったそうだ。
医者からは寿命3ヶ月と言われたけれども、それから8年間生きて最近、天寿をまっとうしたと言う。
この話は大変参考になった。
万田酵素であるとか、キウイにはレモンの数十個分のビタミンCが入っているとか。
加代ちゃんは私から見たら娘のような年頃の娘だ。
こんなすばらしいお友達を紹介してくれて本当にありがたい。
ボクの病状を気にしてくれて短時間で帰った。
吐き気止めであるという梅しょう番茶をトイレに行ったときに飲んでみた。
今までの飲尿療法と同じように小便が出たあとすぐに一気飲みする方法である。
これなら、たぶん吐かないであろうと思った。
吐かずに飲めた。
よかった。本当によかった。
吐いてもいいように洗面器など万全な準備をしていったのだが空振りになった。
よかった、よかった。
9月21日
今日はなぜかどこか違う。
いままで吐き気をともないながら、そしてたまにゲロを吐きながら地獄の底をのたうちまわっていた自分の頭がほんのちょっと上向きになった気がした。
それは吐き気が少し軽くなり食欲が少し出てきたことだ。
だけど食べられないことには変わりはないけれども玄米酵素と玄米粉末をお茶と一緒に飲んでみた。吐かなくなった。
3日前にはこの番茶を飲んだだけでゲロゲロに吐きまくっていた。
それが吐かなくなっただけでも大きな前進であり、それでまた何か体全体がいい方に変わったような感じがしている。
その意味をこめてベッドを片付けてもらった。
臭くなってしまった部屋においてあった炭もまったく効果を感じられないので、元の炭置き場に移してもらった。
また空気清浄機を買ってもらうことにした。
9月18日 (太陰太陽暦7月27日) 金曜日 曇り
昨日、今日、おなじ。
お腹の湿布はなんと12時間も、だから、かみさんが、かわいそう。
ボクの一日中寝たきり。
これが、12月まで続くという。
食欲はない、わずかの玄米クリームをいやいや、注ぎ込むだけ。
事実上、身体は飢餓状態。
甥の清君がきてくれて、田んぼの畦波を外してくれた。タイミングがよくて、うれしい。
9月16日 (太陰太陽暦7月25日) 水曜日 快晴
今日も気分最悪。
一日中飲食無し。
いつもより激しい吐き気。朝もきれいだが、臭いタンジュウだけを盃に3杯程度をのたうち回りながら、吐いてしまった。
10時頃さくら診療所で血液検査、点滴。
新刊というのが正しいかどうか、分からないが「文庫」の「ボクは農家になった」完成して、著者献本として送られてきた。
以前沢山売れた本が「文庫化」されたことによって、ボクも作家の椅子をいただいた実感がでてきた。
この本は10,000冊なので、多いに期待している。
ハクサイ等の苗は植えてもらえた。
モンスズメバチだった。倉庫の中に巣を作っているのは1ヶ月前から知ってはいたが・・・・・・・・・病気になってしまい、2ヶ月も倉庫へいかず放置しておいた。
数日前、用事があって、倉庫をあけたら、大型の蜂がブンブンうなって飛び回っているではないか。アシナガバチとはサイズはまたく違う。1600円の10メートルは飛ぶと言うフンム式のキンチョールのようなもの。
倉庫の天井は高いので、普通のキンチョールでは届かないから。
扉を少しだけ開いて右手を差し入れての噴霧。襲われる恐怖におののきながら・・・・・・・
ほとんど皆殺しでは。
3年ほど昔S君は業者に依頼したら、なんと3人の男が来て、1時間だけ処理して「3万円」請求されて、驚いたという。それにくらべボクの費用は1600円。
映像はその蜂
身長は3センチ。もっと大きなモノには4センチがある、第2位の大型の恐ろしい猛毒をもった蜂である。
9月15日 (太陰太陽暦7月24日) 火曜日 雨、曇り
朝から運動の計画ができず。
腰湯に入ったら、すぐにはいてしまう。なにもたべていないので、黄色い胆汁ばかり。ものすごく苦しかった。
朝食は20グラム(玄米)
やむなく足湯してからビデオ
ビデオ全部見終わる、ものすごく勉強になった。
ゲルソン食事療法の方法よりもはるかに効果がでそう。
昼も、夜も、吐き気がして食べられず。
梅干し、ショウガ、3年茎茶を3杯のみ。
夕方、祖父江、佐藤さんが見舞いできれくれた。
9月14日 (太陰太陽暦7月23日) 月曜日
朝食は玄米ご飯、20グラムだけ。
昼、夜は吐き気がして、食べられず。
結局食事はこれだけ。
足、腕の筋肉をすこしでも、とりもどそうと。運動というか、ねながら運動をはじめた。
夜は、借りたマクロビオテックのDVDやビデオを見て、勉強。
9月13日 (太陰太陽暦7月22日) 日曜日
藍住にお住まいの阿部さんを仁木さんが紹介を兼ねて
訪れてくれた。
マクロビオテックの指導員だとのこと。
ガンの治療に関して、食材まで持参されて、その場で食べさせてくれた。
玄米菜食を正しく、横道にそれずにしばらく続けるだけで、2?3週間で劇的にガン細胞が減少するという。
ゲルソン食事療法で、塩抜きで苦しんだので、ものすごく受け入れやすかった。
また借りたビデオ、DVDなどを見て、「これで年内、頑張ってみようと思う」と決心。
夕食は50グラムの玄米ご飯を一口100回噛む、みそ汁(具はわかめ、やさいだけ)を小量。
100回も噛むとこの程度のごはんで満腹するから不思議。
9月12日 (太陰太陽暦7月24日) 土曜日
長男が「マクロビオテック」の食事療法ならば、塩抜きのコトは触れていないので、といろいろ調べたことをメールして来た。
ゲルソン食事療法の塩抜き、野菜過多で、医院へ血液検査に行くたびに、「生理食塩水」の点滴をされ、極端な塩抜きは日本人には向きませんよ、特にK過多は命に関わるとまで注意され、「今日から直ちに、果物、野菜を当分の間断ってください」とまで警告された。
そこへ長男が「玄米菜食は同じだが、塩抜きではないというマクビオテック」の情報を入れてくれた。
またわが家へ見舞いに来てくれたガン経験者の中にも、ゲルソン食事療法の経験者がいたが、「塩抜き、ジュース過多、」に耐えられず全員が「マクビオテック」の食事療法に切り替えた話をしていたので、長男の話を22日にわが家へくるので、研究してくるとか・・・・・・・・・・・
娘の知子は今日の昼で帰った。送別会ということで井内さんがわざわざ手打ちソバを打ってきてくれたり(彼はいわゆる祖谷ソバではなく、本格的な細く、長いソバの名人)、近所の真里子さんが寿司メシを作ってきてくれたり、と畑で世話になっている小野さんもきて、賑やかな送別の宴になって、本当によかった。
雨がちょっと遅かったが、降ってくれて、よかった。
昨日から少しずつ足と腕の筋肉運動はじめた。
たったの2ヶ月で膝あたりの上と下の30センチぐらいの筋肉が消えて、「タップン タップンのシワシワ」になってしまい、腕も肘あたりから手首、肩にかけての筋肉が「タップン タップンのシワシワ」になって、まさに2ヶ月前の筋肉ぷりぷりはどこへやら。
また、朝の半身浴もはじめた。低温でたった30分の腰湯のような湯量なのに、一日中暖かい!!
9月11日 (太陰太陽暦7月23日) 金曜日
心臓の具合、毎日の吐き気、塩の摂取不足でNAが25、カリウムが5ではどうしても抗ガン剤をやれない、との医師の話。
免疫療法を大阪、横浜になどのにあると聞く、それも選択肢のひとつかも・・・・・・・
次回の診察を決めて、無機の延期になった。抗ガン剤投与が・・・・・
9月10日 (太陰太陽暦7月22日) 木曜日
娘の知子が小野さんの指導で「ハクサイ、キャベツ、そのたの定植、コマツナ、れたすなどのタネ蒔き」をやってくれた。夕方暗くなるまでやって、秋に予定していたタネ、苗を全部やってくれた。
9月9日 (太陰太陽暦7月21日) 水曜日
恵子さん、近藤うさん、その他2人(ガンの患者の会のメンバー)が来てくれて、ガン代替療法の??ビオテックの話をしてくれた。9月9日 (太陰太陽暦7月21日) 水曜日
恵子さん、近藤うさん、その他2人(ガンの患者の会のメンバー)が来てくれて、ガン代替療法の??ビオテックの話をしてくれた。
9月8日 (太陰太陽暦7月20日) 火曜日
甥の医学生がきてくれて、小野さんと協力してトラクターで飛び散った草をかき集めてくれたりしてくれて、畑はすごくきれいに仕上がった。
9月7日 (太陰太陽暦7月19日) 月曜日
小野さんに来てもらって、秋野菜の畑トラクター耕運してもらい、さらに草もほとんど刈ってもらえて、おおいに助かった。
9月6日 (太陰太陽暦7月18日) 日曜日
加代ちゃん、広之さん、楠本さん,佐和ちゃん、が見舞いにきてくれ、茨城からきていた姪の安子ちゃんがかえる。
9月5日 (太陰太陽暦7月17日) 土曜日
入院した7月1日に撮影をしたCTと、その後どうなったかを調べて、もらうために再度CTを撮影してもらった。ほとんど変化無しだが、停滞しているだけでも進歩だと理解すべきだとのこと。
9月4日 (太陰太陽暦7月16日) 金曜日
絶え間なく続く腹痛、むかむか吐き気のために昨夜は一睡もできず。そのために朝から激しい頭痛。
いまも非常に眠い。
吐き気止めの座薬を挿入。
明後日が締め切りの「ぞめき」の原稿を送らなければと「ゴマムシ」を書き上げ、
さらに1日から書き込みができないでいた日記もまとめて書いた。
そこへ上勝町でパン屋さんをしてるSさん夫妻、
つずいて西宮の親戚夫妻、
市内のDR/Kさんが連蔵して見舞いにしてくださり、お陰で大分元気に。
9月3日 (太陰太陽暦7月15日) 木曜日
午前中ですべての点滴終了したので、前の眼鏡屋さんへ倒れた時に壊れてしまった眼鏡の修理。(歩いた距離は100メートル)
夕方「吐き気止め」の座薬を挿入。
「だいぶ回復したので、明日あたり、もうしかして退院できるかも??」とDR。
9月2日 (太陰太陽暦7月14日) 水曜日
病室のテレビを見られるほどに元気回復なるも、食欲はなし。相変わらず、胸はムカムカ。
9月1日 (太陰太陽暦7月13日) 火曜日
紹介で、ボクと同じ病気(大腸、肝臓)で、1年先輩になるというオイカワさんという人と、午後会うことになっていた。ボクよりも1歳年上で元気にあちこち自身で車を運転して遊ぶことができるとか・・・・・・・・すこし、元気をもらってこようと思う。
昨日、あまりにも体調が悪く、いつもより多いゲロを吐いたりして、食欲がなかったので、夕方点滴をうけた。だが、なぜかいつもとは逆で点滴後はより一層気分が悪くなってしまい、夕食も抜き。
今朝は食欲あり、いつものように「ニンジンジュース/200、野菜ジュース/100
ゴマ5グラム、ビール酵母4粒、五穀コメのご飯30グラム、ワカメとえのき茸のミソ汁/100CC、ショウガの酢漬け」
午後になって、オイカワさに会うために外出着に着替え、テーブルでスイカを食べた。
食べ終わってまもなく、椅子から「ドターン」と頭から転倒し、
左のこめかみあたりを強く打ってしまった。だが、一人では立ち上がれず、
妻と娘の二人にひきずられて、奥の畳の部屋に移り、仰向けに寝転んだ。
「オイカワさんに、体調が悪くなって、今日は行けなくなってしまった、と電話してくれ」
とかみさんに頼み、しばらくすると、
急に全身がなにかで挟まれたような感じで、ものすごく息苦しくなってしまう。
娘によると
「あのとき、おとうさんは全身が白い布をまとった黄色い骸骨のように見えた」という。
その直後に猛烈な痙攣、呼吸困難、のたうち回りはじめたようだ。
この時「死にそう」とボクが云ったという。
かみさんが飛んで来て、ボクをなぐったりビンタを食らわしたりしたという。
その時ボクはすでに死への門を何メートルは入り込んでいた。
目の前にナガーイ暗い細いトンネルがあって、
そのまんなかを限りなく真っ白な道がつづいていた。
まさにボクの旅路のために白い絨毯をひきつめてあるかのよに思えた。
その時、一瞬「これでボクは死ねる。苦しみから解放される」と思った。
そこへかみさんの激しいビンタ。とたんにこの世に引き戻されたようだ。
長男から電話があって
「今日はおとうさんの母親(昨年のこの日に鬼籍にはいった)の命日だよ。
きっと呼ばれたんだよ!!」
と。まさか????
「あー、これが臨死体験なのかなー」とも思った。
近所のさくら診療所へ電話し、さらに救急車へも電話。
DRがすぐに飛んできてくれて、応急処置。
脈拍は26回(1分間。普通は60回ぐらい)だけ。しかも不整脈。
そこへ救急車。運ばれてさくら診療所へ。
これからが、大変。さまざまな薬品の点滴、血圧、血液中の酸素濃度、脈拍、血液検査などの測定。ようやく収まる。しかし、当面入院ということになってしまう。
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