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1月10日 (太陰太陽暦12月15日) 日曜日
慌ただしい一日。午前は当番出勤、帰ってきてすぐに
「チェ・28歳の革命」を見に北島シネマ、
夜は久しぶりの「土曜クラブ」。
忙しいといったって、所詮遊びだけど。
年取るとこんな忙しさは惚け防止に一番だ。
ゲバラのカストロとの出会いからキューバ革命の勝利までの映画。
アルゼンチンの人、医師。
27歳でカストロとの出会いが逢って、
翌年、たった12人でキューバに上陸し、
山中でゲリラ闘争を繰り広げ、
全キューバ人の共感をえて、
わずか3年でバチスタ政権を倒す革命成功までの映画。
要所に1963年、36歳で国連総会で演説する
映像がチラチラと入る。
捕虜をいたわる、
一般住民から物資などを略奪した兵士を処刑したり、
山の中で常に本を読んだり、
部下に本を読むことを薦めたり・・・・・・・とものすごく厳しい面も表現している。カストロが指導者で彼はナンバー2。
土曜クラブ出席は半年ぶり?だろうか。少なくとも60%ぐらいの人とは顔見知りになっていたのに、
25人中たったの7人しか顔見知りはいない。浦島太郎現象!!
経済研究所研究員が講演。
勢川さん、原田さん等と二次会を約束していたので、
日本酒の居酒屋さんへ。
棚にずらりと並ぶ全国の銘酒。飛び入りで耳鼻咽喉科の若い女医さんも来てくれて、ひときわ楽しいひとときを終電車まで。
1月9日 (太陰太陽暦12月14日) 金曜日 曇り
東京調布にお住まいの高橋さんが、遍路姿でやってきた。
昨年7月に体験農園へ、ということで来て、
その足で高知県の「林業関係の仕事に転職したい」と
室戸まわりで久万高原までむかった人だ。
運送会社を経営していたが、
国の区画整理で立ち退きということになり、
これを契機に夢だった林業につきたいとのことだった。
遍路姿は「おばあちゃんの冥福を祈る」と四国の寺々を巡礼しているとのこと。

またハウスの最終仕上げ作業。
鉄パイプの表面に柔らかいビニールを張るので、
ゴツゴツしていたり、つなぎ目などに布を巻く作業だ。
また、18年の経験から
袴という部分(裾あたり)に古いトタンを張り巡らすことにした。
ハウスの周囲には草が生えやすく、
草刈り機などで刈ろうものなら、
刃があたってビニールが破けてしまうので、
それを防ぐために土との接点をトタンにしたというわけ。
1月8日 (太陰太陽暦12月13日) 木曜日 曇り
昨日、ハウスが強風で飛ばされないようにするための鉄の太い杭を要所要所に打ちつけるために、3キロの鉄ハンマーをふるったために、・・・・・・・・・・
そこで今日は完全休養にした。
しかも昨夜は疲労とアルコールのためか7時にはなぜかうたたね、続けて布団も敷いて寝てしまい、目が覚めたのは、朝の6時半。13時間も寝ていたことになる!
朝から快調で特に足が軽やか。疲れのすべてが吹っ飛んでしまったかのよう。
1月7 日 (太陰太陽暦12月12日) 水曜日 曇り
ハウスの組み立て作業。
骨組みがやっとできあがった!!やったー・・・・・・・・、
あとはビニールをかぶせるだけ。ビニールを発注した。特注品なので1週間以上はかかるらしい。

農協の月刊雑誌に今年度の
「地上文学賞、最優秀作品・老木」が掲載されていた。
読んでみて、非常に感動したので、
感想文をしたため、編集部へメール。
雑誌・地上では毎年懸賞募集して、
最優秀作品が掲載されているが、
いつも「なんでこんな作品が」という印象のものばかりだった。
評論家から見れば優秀作品かもしれないが、
「ボクの好みに合わない」ということなんだが。
今回の老木はボクの気持ちにぴったりきたいい作品だった。
この世界は作品が良いか悪いかではなくて、
評価する人の独断と偏見で決まるわけだし。
川端康成の作品よりも司馬遼太郎がすばらしい!!というようなもの。
ところでボクも10年ぐらい昔、応募したことがある。
勿論落選だが。ガッカリはしない。
違う傾向の選者ばかりだったんだ!!と思えばいいわけだし。
メールした感想文を転載。(文字数制限で、なんとなく言葉足らず・・・・・・)
「地上」1月号に掲載された地上文学賞受賞作品「老木」に、
自身の農業と合わせ考えて大きな感動を覚え、
最終の「きちょくれ」出荷を訴える好美の言葉で、
主人公・寿三郎同様に
「不覚にも涙が」こぼれるのを抑えることができなかった。
寿三郎のミカン園の象徴的存在であった
「低地の老木」は主人公・寿三郎自身でもある。
加齢と天牛に蝕まれて余命が見える状態にまで近づいてきている、
その老木を切るか切らないか、
私は心の中で賭けをしながら緊張して読み進んだ。
そして「絶対に切らない、切らないで欲しい、切ったら寿三郎も死ぬかもしれない」と切羽詰まった気持ちを高ぶらせながら
大急ぎで活字の上を走った。
そして私の「願いは」叶った。
作品では「切られるのを嫌がっている」と表現しているが、
私には「自身がまだ生きている。この木を切ったら、オレはおしまいだ」との心の叫びが伝わってきたのだ。
だが農業の世界ではこのような害虫に苛まれた老木の存在は
必ずしも「命の継承」などというきれいごとでは納めることはできない。
まさに寿三郎の思いを助けるかのように、
杉村の「若い台木への接ぎ木」で老木の命の継承を行い、
廃れゆくミカン農家、ミカン農場、
地場の伝統的ミカンを孫娘の好美が地域の農協とともに継承していくという、劇的な結末は、
単なる小説の中の出来事ではなく、
現実に存在する、ノンフィクションでもあるんだ、と清々しい気持ちにさせてくれた、感動の作品だった。
1月6日 (太陰太陽暦12月11日) 火曜日 曇り
ミソ作り2日目。
出来上がった麹(20キロ)、昨日煮た大豆(20キロ)、食塩(8キロ)を混ぜ合わせて、
「ミソ繰り」とかいう機械にかけて、粒を粉砕し十分に混合。
これを用意した桶の底に食塩をふってから入れていく。
イッパイになったら桶とのふちに食塩を積み上げて
空気を遮断してポリシートをピチッとして蓋、そして石を載せて終わり。
こうして7、8ヶ月放置すると食べられるようになる。
できたのは80キロ。

午後はハウスの立て替え作業。
やっと入り口の扉を付けることができた。
家電屋さんの商品についている正札。
安売りで有名な店だけど、今日全国的に
「ジャパネットタカダ」のチラシが入ったので、
「そうかーテレビを買い替えるんだっけ」と思い出し、
そのカタログをもって家電屋さんへ行っていってみた。
お目当ての商品がタカダのカタログにも家電屋さんにもあったので、
これ幸いと、密かに値段を調べてみたら・・・・・・・
タカダのほうがだいぶ安い!!
ここでは買わないで、タカダへ注文しようと帰るつもりだった。
しかし、たまたま「いらっしゃいませ」と声をかけてくれたおにいちゃんに、
「この値段は、もうこれ以下にはならないの」と聞いてみたら、
電卓でポチポチやって
「これだけにおまけできます」という。
なんとタカダと同額ではないか。
「メーカー希望小売価格、当店特別価格」
よりもさらに20%も安くなるなんて!!
なんのために値段表示かと疑ってしまう。
それどころか、配送料、古いテレビのリサイクル料金を含めたら、
逆に少しだけど、家電屋さんのほうが安い!!
次の登山の山、どこにしようかと、
徳島の山という本を調べて
「大山」に登ることにした。
徳島県上板町にあり、香川県の引田町にも裾野があるという。
標高も初期の目標の「低い山」に該当し
691メートル。
登山道を行かないで、車で頂上まで行けるというお手軽な山。
だが距離はある。3時間。
71歳のじいさんには高さといい距離といいちょうどいい。
山登りの通の人からはバカにされそうだが。
17日に登るつもり。誰か相棒がいれば助かるが、一人でも登るつもり。
登山口は遍路の大日寺の近く。
近くには龍王山とか鉢伏山なんかもあるようで、すこし調べてこようと思う。
1月5日 (太陰太陽暦12月10日) 月曜日 曇り
昨日
徳島県内の「公共の」あるいは「指定管理の」温泉(鉱泉)を、今年はできるだけたくさん入りまくろうと、まず、
1番目は近場の市内川島町の上桜温泉へ。
ここは水道水だったから「ただの銭湯」だ。
だけど、浴槽から小さな湖(直径は150メートル以上はありそう)が見えて、
釣りを楽しんでいるいる人もいて、まあまあの風景。
脱衣所は狭かったが、休憩室は広くて快適。500円。
日曜日のせいか混んでいた。
月に2、3カ所をなんとか征服しようと思う。
ハウスの立て替え作業が意外と手間取っている。
以前のハウスを解体しているのだが、
4本の支柱だけが、どうしても抜けない。
もう4日も挑戦していてダメ。
テコの原理だの、思いつくありとあらゆる方法を試みたのだが、
びくともしない。
今日
早朝からまた、引き抜き作業。
朝ものすごく早く目が覚めてしまい、布団の中で
「ペンチで支柱を挟んでねじってまわしてみよう」と考えついた。
ペンチといっても素人大工の工具だから小さい。
長さは25センチもない。
力任せにはさみながら全身の力をふりしぼり、
歯を食いしばって、何度もナンドもトライ。
寒風の中汗ばんでくる。
さらにペンチがすべって支柱は帯をしめたように深い丸いキズが何本もつく!
それでも、「もう5日目」だからと
シャツ1枚になってなんどもトライ!
かすかに回ったところで、さらに力を入れて、・・・・・・・・・・
こんな作業をくり返して4本、やっと抜くことができた。
2時間もかかって。
もう汗みどろ。
なんと50センチ以上もささっていた!
誰だこんなに深く突き刺したのは!!
すくなくともアバウトなボクでないことだけは確か
もしかしてトレバーさん。
夕方になっても右手の手のひらが赤く熱をもっている!!
これで気をよくして、カバーのビニールを抑えるために地上すれすれに横たえてやはり鉄柱で固定してある鉄棒も抜き、新しい場所に運ぶ。
これだけで、ハウス作業は嫌になってしまう。肩がヘロヘロだから。
午後はミソ作りで、かみさんと生活改善グループの加工所へ。
既に麹は作ってくれていて、
ボクは大豆が焦げつかないように
巨大な木のしゃもじでかき回す作業。
2時間くらいだろうか。
今回の大豆は、悪戦苦闘してかろうじてカメムシから逃れえた可愛い大豆だったせいか、
例年よりも早く柔らかくなってくれた!!
明日はいよいよ麹、食塩と混ぜて、機械を通してタル詰めに。
倉庫の奥に3年も吊るしっぱなしになっていた
小麦の農林61号をはずしてきて、叩いて中身を取り出した。
タネとして保存しておいた分。
わが家の製粉機の性能はよくないので、
小麦作りは辞めようと思って放置したままだったもの。
さくら診療所の吉田先生から
性能のよい製粉機を貸していただけるので、
今年の秋にはパン向けの小麦を作付けする!!
ウドン向け「さぬきの夢」はタネを増やすための作付けはしてあるから、いよいよ年末の11月には2種類の小麦を作付けできる。ソバのタネも手に入れたので、年末は楽しみだ。
やっぱり食べものの自給は「穀物自給が基本」だ。
鳥小屋の前にある甘夏の実が美しい黄色に輝いていて、
いまにも食べられそうなんだが・・・・
春を過ぎないと、まだまだ・・・・・・・・・
甘夏の映像

1月3日 (太陰太陽暦12月8日) 土曜日 晴れ
当番出勤日ではないが、市の成人式だといいので出勤した。
なんとこんな田舎の市なのに500名以上も該当者がいる!という。
454人出席。山川町だけで123人。
美しく着飾った美男美女が早朝から駐車場にいっぱい。
成人式にはまったく縁のない何十年間だった。
娘の成人は20年前だったし。
家族に関係ない成人式には行くわけないし。
アメニテイセンターに勤務したということが、他人様だけの成人式に立ち会えたわけ。
孫のような年令の若者を大きな固まりで見るのは壮観でもあり、楽しみでもある。マスコミで暗い世相ばかりが報じられているが、こうして明るい、笑顔イッパイ若者集団を見ていると、何となく明るい未来を実感させられる。
出勤でもないのにでて来てよかった。
実行委員会形式での集会で、盛装の若者が司会などもつとめ、
大昔の「集められて座らされて、お説教を聞く」成人式がなくなって、よかったのでは。
午後3時から、徳島市の勢川さん宅で「新年会」ということで出向く。
青空クリニックのドクターとか
サララの編集者とか、
仕事をしながらデザインや絵画をしている人、
ボクみたいに農業している人など、多彩な顔ぶれ。
勢川さんの人脈に感服。
旨い酒やワイン、イノシシのミソに込み、そして勢川さんの手料理などで嬉しい新年宴会。
綾小路きみまろの評価について盛り上がる。
箱根駅伝で中央大学が辛うじて10位以内にはいり、来年度シードに入られてよかった。今年は下馬評も低かったし・・・・・・・・・・・・。東洋大学の柏原くんの5区山登りはすばらしい!!!!!
1月2日 (太陰太陽暦12月7日) 金曜日 曇り
一日中、大学駅伝を見ながら、パソコン遊び。
一年の計で
そのつもりにした「山登りの記録」作りで
プロジェクターのアプリケーション・キーノート(マック用)に書き込み、当面の
「どの山登る?」の候補選定、
県内の温泉巡りの当面の順番選び。
読んだ本の感想文ファイルつくり、
といってもパソコンでテキストに書いてファイルで残すだけだけど。
大学箱根駅伝
箱根の山登りで抜いたり抜かれたり・・・・・・・・これって死ぬほどすごいはず!!東洋大学のアンカーのおにいちゃんはすごい!!抜かれた早稲田のお兄ちゃんは悔しいだろうな。
山登りの記録をまとめていて、
「これからは低い山登りをやろう」と決めたのには、その前章があった!!ことに気がついた。、一昨年12月、
兵庫県の天空の城(竹田城。標高353メートル)、昨年6月、
小豆島の星が城(寒霞渓。標高817メートル)を登っていたからのようだ。登山経験のない年輩者が登ってもそれほど足にこない、疲労感が適当、そんなところから頭に残っていたのかも。
そしてその延長線上に種穂山(標高380メートル)
忌部古墳群(標高240メートル)を登った!! そして、この4つで一番しんどい山は、
なんと標高240メートルの忌部古墳群!!
すでに4つもそんな低い山を登っていたことになる。
1月1日 (太陰太陽暦12月6日) 木曜日 晴れ
09年になってしまった。若い頃は新しい年になるのが楽しみだったが、年を重ねるにしたがって、「こんど誕生日がきたら、67歳だ! 72歳だ!」と憂鬱なることが多い。今の自分の心境がそうだ。「誕生日、冥土の旅の一里塚」という句があったっけ。
昨年は母が104歳で鬼籍にはいったために、年賀状は辞退させてもらったので、なおさら元旦にはなんて言うのか?なんてつまらないことまで考えた。人に逢ったら普通に「あけましておめでとう」でいいのに。
丑年で、ボクは年男。初詣は縁起をかついで、眉山の麓にある天神社の牛に触ってみようと思い、今年はじめての「低い山を毎月登る」との一年の計の第一歩を「眉山登山というか、眉山ウオーキング」にした。
9時半にかみさんに送ってもらって西消防署横の道を出発し、創価学会会館の前を通って、登りはじめ、西部霊園、西部公園、岸さんの墓場、蜂須賀小ろく正勝の墓を通って、頂上のかんぽの宿、山頂公園、ここからは石段で放送局の鉄塔、パゴダの塔、展望台、そして剣山神社河口と流域、阿讃山脈を一望。雲がなく、靄もなく、すっきりと黒にちかい緑の吉野川、美しい紀伊水道、すっきり見える町の家やビル。魅せられた景観に後ろ髪引かれながら下り道へ。
剣山権現

頂上の剣山神社

展望台からの眺望

かんぽの宿前の道を南に向かって歩き、「忌部神社」という標識の所をヘアピンのように左折し、力士石像の前を左にまがって、一路下りの道へ。あらかじめ、地図を調べて歩いているのだが、下りのつもりが、なんとなく緩やかな登り道ばかり。不安になって戻ろうか?と考えている時に、中年女性が前から歩いてきたので、「この道は天神社への下りの道でしょうか」と問う。
「2、30分ぐらい歩くと、右に折れる道があるから、そこを降りると麓です」と。
下山道というよりもほぼ横走りのような道がえんえんと続く。右へ折れる道などない、ついに行き止まりになってしまった。「迷ったかな?」と不安に襲われていたら、またもや二人連れの中年婦人ハイカー。
「私たちも下山しますので、いっしょに行きましょう」まさに女神様!!救いの神!!
この曲がり角には標識はない。
急な石段をしばらく降りていくと、天神社の赤い鳥居。
新年そうそう、「ここだ」という地点で2度も中年女性に助けられるなんて!
なんと幸運な1年の出発!!
歩数計では15000、時間は3時間弱。距離は案内書では登り片道5キロ。標準的な歩行時間を80分と書いてあったが、ぼくは65分だったからすごく早いペースだと思う。
登りの道は車が交互交通できるほど広い。下りの迷ったあたりからは超狭い。
天神社は初詣でのお客さんがいっぱい。横たわる牛の石像。「知恵の牛」をなでると知恵がつくというので、頭を丁寧になでる。「知恵の牛」とは瀬戸内寂聴が命名したというから、すこしは惚け防止になればと思う。
帰宅しても、ちょっと疲れを感じただけで、筋肉痛はない。よかった!!
今年の正月も井内恵子さんから、床の間に生花を飾ってくれ、そのうえ、重箱いっぱいのおせち料理をいただいた。
いい09年になりそう。
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