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背に
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10月20日   (太陰太陽暦9月22日)   月曜日  晴れ

腰痛で撮影したMRIの結果を聞きに病院へ。
前回の(1年前)映像とあまり変わっていないとのころ。
なんであんなに痛む症状がでたんでしょうね??だって。
こっちが聞きたい!!
これからも「痛みがでたら、痛み止めの薬や安静で・・・・・・・」とのこと。ということは、あの痛み激しい時は疲れていたのだろうか。
ここ2ー3日はすこし治まっているところを考えると、
やはりあの時は疲れていた!!

肌が弱くなったのか、
ここ1ヶ月ぐらい、ひげ剃りをするたびに鼻の下を切ってしまうのか、
必ず血がでる。切れる新しい刃に換えても・・・・・・・・
やむなく、電気剃剃り器を買ってきた。

ただひげを剃るだけなのに、
2000円あたりから25000円もの商品!!
また1年、あるいは2年で交換する替刃の刃がめちゃくちゃ高価。
高いのは5000円8000円も。
ボクは3100円の下から2番目に安いものを購入。本体は4000円。
もしかしたら、替刃で儲けようという魂胆か。

早朝に川へカニ網を引き上げに。2杯入っていた。
先日は3杯とエビ3匹も捕れたのに、
水の交換忘れて死なせてしまったので、
捕って来てすぐに、みそ汁で食べた。
いやーーー、本当にカニのみそ汁はおいしいですね!!!!!!!!
感動です。

夕方の食事のときにはできたての濁酒。
醗酵状態が一番いいタイミングなのか、
「どぶろくって、ほんとうに美味しいですね」というところ。
辛く、甘く、ぴりぴりして、後味がめちゃくちゃ気持ちいい。



満州旅行記  7回目    10月20日

9)今回の旅の印象  東京オリンピック、高速道路建設ラッシュに突進していたかつての日本の状況のよう。ものすごいエネルギーを実感。忙しく、慌ただしく、せっかちな運転マナーからも感じ取れる。ガイドさん

ガイドさんは30歳台の若い独身女性で、福岡県の大学・経済学部を卒業したとか。「当たり!」のガイドさんだった。
5泊6日で10万円。日通旅行社主催。乗り物、ホテルのランクなどを考えると非常に安かったと思う。

飛行機   関空→瀋陽  ハルピン→大連  大連→関空
電車    瀋陽→長春  長春→ハルピン(ともに軟座、1等)
観光バス  瀋陽、撫順、本渓、丹東、長春、ハルピン、大連、旅順などすべての観光巡り
ホテルは  すべて高級ホテル、満州鉄道の旧大和ホテルは古いが重厚ですばらしい。
食べ物   ホテルのバイキングは品数が多くてよい、昼,夕食もほとんど一流に場所
(地名についてはネットで検索して読んだほうが、いいかも)
ということですばらしい企画だったと思う。
数年前から満州への旅は考えていて、いろいろな企画が新聞に掲載されるたびに検討していたが、これを選んでよかったと思う。

ボクはチチハル生まれ、奉天(瀋陽)育ち、といっても4歳までだから、まったく記憶はない。成人してからカメラが趣味だった父の写真を見ての記憶だけだ。「母に抱かれている」「父,母,ボクの3人」「兄(ボクよりも5歳年上)が家の前の道路に水をまいて作った即席のスケート場で滑っているところ」(冬になると氷点下30度ぐらいになるから)「父の軍装・胸につけた沢山の勲章と軍刀」「日本軍が中国人を殺して首だけを切りとり、道路脇の板の上に並べたもの」「同じようにして切った首にひもをつけて木の枝にたくさんつり下げたもの」
など。
一口に感想は、と言われると、ものすごいエネルギーを感じたことだ。日本でいえば高度経済成長の頃みたいに。

生誕地・満州の思い出をすこしでもよみがえすことができたら、と思い立った旅行だったが、・・・・・・・・
中国はそんな昔のノスタルジアに日本人を浸してくれるような状況ではない。就職列車、高度経済成長に突進していった日本のかつての姿と同じであった。
ハルピンではもっと北のチチハルを想い、長春では奉天での3年間はどうであったか、を想おうとしたが、それも無理だった。自分の思い出の奉天があまりにも幼かったことが原因一であるが、巨大・高層ビルとあふれんばかりの車の洪水は、奉天の自宅前の道路でスケートを楽しんでいた兄の姿も浮かんでこなかった。

あれからすでに60年以上も経過し、国家権力もすっかり変わってしまっているのだから、思い出のひとかけらもない。だが71歳にして、無性に行きたくなり,行ってしまった。行ってみてほんとうに良かった。

10月19日   (太陰太陽暦9月21日)   日曜日  晴れ

昨日に続いて、今日もイベント。
ソプラノのオペラ歌手とN響の3人を招いての音楽会。
NPO法人げんき山川ネットワークが主催なので、大変。
午後2時からなのに、8時出勤。
タレントさんも9時に来てリハ。

会場等の準備でてんてこ舞い。
予定の5時半にすべて終わる。
きさくな人たちのグループで親しみがもてた、とはみんなの共通評価。

3つ続いたイベントでくたくただ。
今度は11月に手話落語と収穫祭。
この2つのイベントは自治会を通して山川町の全戸配布ができることになり、夕方から10人もの人たちが居残って、袋詰め。


満州旅行記  7回目    10月19日

8)瀋陽故宮、満州国皇帝・薄儀の宮殿、関東軍総司令部、ロシア風の町・ハルピンへの観光

現在は瀋陽故宮博物院となっていて、
入場料さえ払えばだれでも自由に見学できる。
故宮というと,台湾、北京のものを思い出すが、
実は瀋陽故宮が小型ながら一番古い。
収蔵していた文物、美術品はほとんど蒋介石が台湾にもっていってしまったとか。
残った記念物はあちこちに貸していて、あまり残っていなかった。
だから建物の建築美を鑑賞するのが主な観光。世界遺産でもある。

満州国皇帝・薄儀の宮殿は規模も大きくてすばらしい。
これは瀋陽ではなくて長春。満州国の首都は新京(長春)だったから。
中国では偽満州とか僞皇帝とか呼んでいる。
専門のガイドさんがいて、日本人にわかりやすくするためか
「映画・ラストエンペラー」の筋にそっての説明。詳しく知りたい人はこの映画をお勧め、だと説明していた。

偽満州国の首都だった関係で、関東軍総司令部の建物があった。
現在は中国共産党吉林省委員会本部。
時代の大転換を感じる看板だ。
建物は50年の風雪を経てもいまだにその偉容を誇っている。屋根に特徴があって日本式。

ハルピンはツアーの最北端になる。
ボクの生誕地はさらに北のチチハル。
ハルピンはロシア人が開発したために、
ロシア風の建物がたくさん残っていて、
とくに巨大なロシア正教のソフィスカヤ寺院が一目を引く。
教会といっても現在は教会として使用されていなくて、
たんなる箱で,観光客集めと観光物産販売店になっている。

黒龍江の支流・松花江で観光船に乗ることになった。
ここの川もきたない。
川に架かっている鉄橋・「満州鉄道」をまじかに見ることができた。

ここでの最大の印象は観光船の入港のさせかただ。こ
んなことしたら、日本では絶対に懲戒解雇!!
岸壁には十数艘の観光船が繋留されているが、遊覧が終わって帰ってくると、まったく隙間がなのに、船首を前の船にドスンとぶっつけて、隙間を作り、ゴリゴリと両サイドをこすりながらというか、削りながらというか、ものすごく乱暴に押し入るようにして繋留していたことだ。 
だからどの船もボロボロ。

夕食はロシア人が経営、コックもロシア人という、
ハルピン最高ランクというレストランで本場のロシア料理を食べた。
ボルシチもピロシキも食べたが、日本のロシア料理とはだいぶ違う。
日本のロシア料理は日本ナイズされているんですよ、とガイドさん。
やっぱり本場の味はボクには向かない!!
美味しく感じないとは全員の印象。
ところで、っつぎつぎと料理をウエイトレスが運んでくるのだが、
そのたびに「ニーハオ」というのだ。こういう使い方!!
はじめて知った!!

10月18日   (太陰太陽暦9月20日)   土曜日  晴れ

ダイズの畝間の草刈り。
やりながら気がついたが、
カメムシだけではなくて、
ハスモンヨトウムシが部分的にたくさん来ていた!!!

夜のパーテイのためにエダマメとして10本
横隣の畑はまあまあの出来。
別に窒素が多すぎて木が繁茂しているわけでもないんだけど。
ほんとうに不思議だ。
それともダイズが嫌いな畑なのだろうか。

昨日の日記で
「結局自分で全文書くことにした。どうしてもライターさんが書いた文章が、しっくりこないからだ。だいたい原稿用紙換算で約200枚ぐらいか。11月の10日までには」
なんて書いたが、
昨日はダイズ畑作業直後に頑張って、
それから夜の「みや こうせいさんを囲む宴会」の準備の合間
その会場でチョロチョロとキーを打って、やっと原稿用紙
換算で19枚。
あーあ、とんでもないことになってしまった!!

ところで、夕べは富士製紙の作業場でもある
「ログハウス」をお借りしての
「一品持ち寄り、みや こうせい氏を囲んでの座談会」という名目の宴会。15人の予定が18人が参加。
一品持ち寄り宴会はわれわれ仲間の常套の方法で、
多彩なご馳走がテーブルからはみ出しそうに並べられた。
わが家からは「いただいたイノシシ肉、自家のジャガイモ、ニンジン、グリーンピース」で作った「肉じゃが」と、
採りたての「エダマメ ザルいっぱい」
そしてグラッパ。

ミョウガのにぎり寿司、柿のあえもの、アジの南蛮漬け、ズイキの酢の物、ほうれん草のあえもの、アジ寿司、大学いも、数種類の新米のおにぎり、その他多分10種類以上。日本酒、焼酎、ビールの大量さしいれ、

井内さんが
数年前の英語の先生・ユースリーさんを伴って参加。
彼は韓国に住んで英語の先生をしているが、
近いうちにジョウゲ教?とかいう宗教の僧になるとか。
だから彼女とも離別した!!
酒、女性、動物性食品は禁止なので、断っているとか。

また日本での滞在3週間の仮住まいになる空き家を紹介してあげた谷本さんとエレン夫妻が2歳になるお子さんを連れて16日に山川に来た!(シドニー在住)
ちょこっとだけ挨拶で会ったが、多分近々、また歓迎の宴会!!!かも。
この時はまた一品持ちよりでユースリーとの合同歓迎宴会かな。

10月16日   (太陰太陽暦9月18日)   木曜日  晴れ

アメニテイセンター当番出勤。
電子ブックの執筆、結局自分で全文書くことにした。
どうしてもライターさんが書いた文章が、しっくりこないからだ。
だいたい原稿用紙換算で約200枚ぐらいか。
11月の10日までには・・・・・・・・・
なんとかしないと・・・・・・・・・・

当分はメール方式原稿はお休みだ。

ダイズ畝間の草刈り。
その前に鍬でジャガイモの土寄せをしたので、腕が疲れてしまい、
半分残したまま中止し、
手で野菜の草抜き作業。
ダイズにはカメムシがたくさん来ていた。
この分だと収穫する頃になると、
マメがなくなってしまうのではないだろうか??????
それほどたくさん来ている。

柿が食べごろに。だが、なぜかあまり食べたくならない・・・・ここに引っ越してきたころは、ご飯代わりに食べていたのに・・・・・好みが変わったのだろうか。


満州旅行記  6回目

7)軍事遺跡  203高地、日露戦争
最後の観光地は大連とその隣の町・旅順。
ボクから上の年齢層だと
「旅順→日露戦争→203高地→水師営→乃木希典→ステッセル→」というような連想になる。

日露戦争の経過は「乃木希典 日露戦争」のカテゴリーでグーグル検索してみてください。
われわれ旅行団は徒歩で203高地へ登り、
頂上に建設されていた爾霊山と表記された塔を見物し、
当時の大砲に触れたり、眼下にひろがる旅順の港を俯瞰。
ここに集まってきたロシアのバルチック艦隊をここからの大砲で打ち砕いたとか・・・・・・・。

乃木、ステッセルの会談会場、その時のテーブル(どこかの野戦病院の手術台らしく、台の表面に墨でそう書かれてあった。手術台といっても現在のものとはまったく異なり、10ミリ程度の薄い板ばりの台)
ガイドさんに聞いてみたら、現在の水師営会談会場は立て直されたもの、なつめの木も現在のものは3代目だとのこと。
会談会場は立て直された、と説明されたが、とてもそんな風にはみえない。
水師営でグーグル検索すると写真出てきます。
できたらついでに司馬遼太郎の
「坂の上の雲」をお勧めします。
秋山兄弟が兄は騎馬で弟は海軍で日露戦争に関係しているから。
正岡子規も登場するし。

今回の旅行で行った都市で、大連、旅順が一番美しかった。
何となく洗練されているような。そしてゴミゴミしていなかったし。

10月15日   (太陰太陽暦9月17日)   水曜日  晴れ

4日間もの日記を休んでしまった。
11、12日は土日だから、休もうと思って休んだが、
13、14日はボクの母の49日法要で東京へ行っていた。

12日にアメニテイセンターで
「忌部正蹟考 復刻版出版記念の集会」が行われた。
2年前には
高校の教師をしている林さんの「忌部論」で「全国サミット」を行ったが、今回は
県立博物館をリタイヤした天羽さん「理論」での集会になった。

林さんは神社仏閣などの伝承文字を根拠にしていたが、
天羽さんは考古学的な観点からのもの。
どちらが説得力あるか??といえば、
発掘証拠にもとずく天羽論のほうがはるかに説得力がある。

まあ、ボクにとってはどちらでもいいけど。
徳島の人、山川の人、鴨島の人、どこの誰に逢っても、
みんなそれぞれ自分流の忌部しか語っていないし。
忌部はそれほどよくわからないもの。
だから諸説があっていい。
誰も絶対に正しい理論はもっていないのだし。

はっきりしているのは大嘗祭で麻布を献上する役割りぐらいではないだろうか。


今日、初めてエダマメを食べた。
ものすごく不作でろくに実がついていない。
15本も抜いて、直径30センチのザルにたったのイッパイ。
普通なら3?4本でイッパイなのに。
そして今は、
泣きっ面に蜂のようにカメムシが集まってきつつある。
大豆作りを初めてぐらいの大凶作になりそう。
天候不順が原因ではないかと思うが。
いつも思うのだが、わが家のエダマメは本当に美味しいと!

ところで先日かみさんが、
モチダイズというタネをもらってきた。
これで作った豆腐がものすごく美味しかった。
といってエダマメとして食べて美味しいかどうかわからないが。
そういえばモチ小麦というのもあった?ような。

先日蒔いた「さぬきの夢2000」の芽がでそろった。
「自家の小麦でウドン打ち」が来年に近づいてきた。
新聞のコラムで読んだが,
全国的にソバのタネを蒔いて自分で食べるという人が非常に増えてきているのだそうだ。
さくら診療所の吉田医師の製粉器はボクにも
「そろそろソバのタネを蒔いてみたら」とささやいているようだ。
以前蒔いたことがあるが、
その時は菜っ葉で食べてしまったが。またまた楽しみが増えた!!