|
10月10日 (太陰太陽暦9月12日) 金曜日 晴れ
11時頃に来客ということで、7時半から草刈り開始。
おもいっきり伸びてしまったたくさんの草なので、
畑というよりも「畑の中の草むら」という感じ。だいぶ進んだが。
あと2日はかかりそう。
しかし作物の周囲だけは終わった。
問題は大豆の畝間。
お客さんは加工食品をいろいろ見たり,話を聞かせて欲しいとのことで。
ボクの家と比べたら、比較にならないほどの山奥の一軒家に住んでいるという。シカ、イノシシは普通にいるとか。
一度、訪問してみたいと思う。
エダマメが食べられそうになっていた。
新米を今年初めて食べた。
鶏肉があったので、ヒジキ、ニンジン、なども加えての炊き込みご飯に。
鶏肉もおいしかったが、やはり新米は違う。
電子ブックの最終チェックというか、最終校正のゲラがきた。
まだまだたくさん修正点があって、2ー3日はかかりそう。
これはボクにとって生涯目標の10册目の本で、
「目標達成」の記念すべき本でもある。
校正が終了すれが、時間をおかずにインターネット上に公開されることになっているので、その辺で自分で自分にお祝いしなくては。
腰痛の症状として座骨神経痛の痛みがますますひどくなった。
昨夜アメニテイセンターでNPO法人げんき山川ネットワークの会議があって、2時間ほど座ったままだったせいか、
会議が終了して立ち上がったら、
ほとんど立ち上がることも歩行することも困難なほど痛みが増していた。
そして今朝、寝ている時から痛みを感じ、
布団から立ちあがることも困難。
しかし、痛みにこらえて3ー4分も歩いていると、
痛みはしだいに和らぐ、といういつものパターン。
そして草刈りを始めたら、
いつの間にか、痛みは感じなくなり、
ビッコでもなくなっていた。
休憩して座ったりすると、立ち上がりがまた痛む、
仕事に入ると痛くなくなる。
また休憩して、10数分後に立ち上がるとまた痛い。
この症状はよく言われている脊柱管狭窄症間の典型的な症状とは違う。
間歇歩行ではないからだ。
診断は脊柱管狭窄症間なのに、それらしい症状がない。
座骨神経痛であることはたしからしいが。
もしかしたら、別の病気なのか、
あるいは脊柱管狭窄症間にはこういう症状もあるのか???
満州旅行記 6回目 10月10日
6)ビル 土地制度、戸籍制度、超高層ビル、農家の住まい、マンション、子どもの籍、都市籍の女は
中国では土地はすべて国有。
だから開発のために古い住宅をつぶして新しく高層マンションを建設しようとすると、
通達1本で家を壊して、次々とマンションを建てることができるという。
そんな光景がたくさん見ることができた。
またマンションに住みたい人は内装は自分のお金でやらなければならないし、何年間という契約をするのだそうだ。
分の名義にはならないとか。
ガイドさんの説明
1)戸籍制度がすごくしっかりしていて、
農村戸籍と都市戸籍があるとか。
都市戸籍の女性は農村戸籍の男性には見向きもしないとか、・・・・・・・・・
農村戸籍の人が都会に出て金持ちになれたので、
都市戸籍に変えようとすると日本円にして数百万円のお金が必要だとか・・・・だが、ほとんどは不可能。
2)夫婦の子どもは母親の戸籍に入るという。
都会に住んでいても女性がもし農村戸籍だったら、
子どもは農村戸籍になるという。
女性中心社会なのだそうだ。
3)公務員の賃金は非常に低くて
中堅労働者クラスでも日本円で数万円だとか。
当然民間の労働者も安くて、
ガイドさんは日本円にして14000円ぐらい。
ぎりぎりやっと食っていける額だという。
公務員の給料が安いので
賄賂というか収賄が普通なんだそうだ。
もしかしたら都市戸籍への変更のお金は、もしかして賄賂ですか?
と聞いたら、そうかもしれない??という
町の中心部は、どの都市も超高層ビルがイッパイ。
特に駅周辺はすごい。
こんな光景は日本では絶対に見られないとおもう。
特に大連がすごい。また町全体も美しく、清潔感に満ちていた。ビルもすごいが。
10月9日 (太陰太陽暦9月11日) 木曜日 晴れ
今日も当番出勤。
畑の草刈り。もらって来た小麦・さぬきの夢2000のタネを
11メートルの畝、2本だけ蒔く。
あまりたくさん蒔くと収穫の時に機械を必要としてしまうので、
手で刈って、ムシロで乾燥させだけですむ程度にした。
大根だけ、寒冷紗をしないで蒔いておいたのだが、
めちゃくちゃ虫に食われてしまって、グチャグチャ状態。
やむなくもう一度蒔き直し、寒冷紗をかぶせた。
例年は大根はこんなに食われないのだが・・・・・・・・・・・。
1時半から5時まで休憩なしでの作業でくたくたに疲れてしまう。
夜はNPO法人げんき山川ネットワークの会議だ。疲れているので、しんどい。
隣の人と大豆の話をしたら、
この周辺だけでなく、鴨島あたりの専業農家の大豆もダメになっているとか・・・・・・・・・
コメも、そして大豆もダメなのは、天候不順のせいだ、その人は言っていた。
満州旅行記 5回目 10月9日
5)北朝鮮 鴨緑江、観光船、国営食堂、ウエイトレス、対岸の違い、自由に近い民族交流
丹東市という町は北朝鮮と鴨緑江を挟んだ国境の町だ。
幅のさほど広くない川なので、
対岸の北朝鮮の堤防、町並み、木々などがよく見える。
対する中国側は、「これみよがし」みたいに高層ビルが林立し、
写真で見るマンハッタン。
これだけを見比べると北朝鮮は貧乏、中国は裕福、と思ってしまうほど。
鴨緑江を遊覧し
「北朝鮮の沿岸に近づいてみよ」という観光船に乗った。約40分。
鴨緑江には橋がかかっていて、
ほぼ自由に??行き来できるようになっていて、
丹東市には朝鮮人がたくさん住んでいるという。
また川の真ん中で切れている橋が並んで架かっていて、
これは中国側からだけ。
対岸には行けないが、観光橋として、多くの観光客が歩いて渡っていた。1950年勃発の朝鮮戦争の時に破壊された橋だという。
中国は修復したが、北朝鮮はゼニがないから修復できないのだ、
とガイドさん。
昼ご飯は北朝鮮国営のレストランで食事。
勿論中国側にある。
ここのウエイトレスが色白の美人ばかり。
ガイドさんが言うには「よりすぐった美人ばかり派遣してるみたい。
彼女等は公務員扱いらしいわよ。
だいたい2年で交代してるみたい」という。
北の朝鮮人が経営しているレストランはここだけではなく、
いくつもあるらしい。
国境の町らしく、行き来は比較的自由らしいとのこと。
おまけでガイドさんの見解
「北朝鮮の女性は美人が多く、男性はブサイクばかり」なんだそうだ。
鴨緑江の水も汚い。ドロと墨を混ぜたような。昔の隅田川。
川辺には釣りを楽しむ人が大勢いたが、
ここで釣った魚を食べるのかとおもうとゾーッとするほど。
レストランでもホテルでも必ず1品は川魚の煮物がでたが、
川の水のことが連想されて、どうも食べる気にならなかった。
ところで海の魚はぜんぜん出ない!
10月8日 (太陰太陽暦9月10日) 水曜日 晴れ
午前中当番出勤。満州旅行記をホームページで連載しているが、9回目までを書き上げる。
19日のオペラの入場券の販売で動く。
午後は、ぼうぼうになってしまっている畑の草刈り。
3畝の1枚だけしかできず。3時間もかかって。
うんざりするほどすごい草。
また虫取りをしなかったからか、大根が見るも無惨な姿に!!!!
もう一度タネ蒔きするかなー?????????
それほど虫食いがすごい。
大豆が悲惨なまでにダメ。エダマメで食えるのもあまりないのではないかと思えるほどにヒドい状態。
満州旅行記 4回目 10月8日
4)交通
農村部は閑散としているが、都市部は、ものすごい!!の一語につきる。
大連、瀋陽、長春、ハルピン、丹東、本渓、どこへ行っても町はあふれんばかりの自動車の洪水。
ハルピン、丹東、本渓ではオートバイ、自転車、三輪トラック、馬車も混じっていたが・・・・・。
トラックがたくさん走っていたが、
日本ではまず見かけないような、ほぼ全部おんぼろ。
交通マナーが目に余るほど悪い。
ガイドさんに交通法規はないのですか?と問いたくなるほどに交通マナーはめちゃくちゃ。
交通法規はあるけど、誰も守らない!!のだそうだ。
日本では歩行者優先で、
歩道を人が歩いていると自動車が止まってくれて安心してわたれるが、
中国では老人がヨタヨタ歩いていても自動車が猛烈にクラクションをならして、窓から首をだし、
「デレデレするな、どけどけ」と怒鳴っているような中国語の強烈な響き。歩行者は老人でも慌てて走る。
弱者優先ではなくて強者優先なんですよ、とガイドさん。
市内はマイクロバスで観光したが、
運転技術がものすごく上手というか、神風というか、乱暴というか、・・・・・・・・。
このような運転をしないと,前へ進めない!!という。
ウインカーをださずに車線を頻繁に変えるのだ。
あとから来る運転手は気が気ではない!!のではないかと日本人は思うのだが。大きな交差点でも歩道の白線があまりないだけでなく、
全体として信号が非常に少ない。どうせ守らないから、だろうか。
「国際免許を持ってきても中国では運転できませんよ」とガイドさん。
ボクは車酔いする癖があるので、
前方の座席に座らせてもらっていたが、
恐ろしくて、前方に目を向けることはできない!!
前方の車を追い越すために、頻繁に反対側車線を走るのだ。
大連、瀋陽、長春、などの中心部には、道路幅が往復8車線とか、14車線などがあり、国土の広さを実感。
電車には2回乗ったが、等級が2つあって、
一等のことを「軟座」といい、二等を「硬座」と表示。
ボクたちは軟座ばかりに乗せてもらったが、
連結車両の多い列車なのに、
長春ーハルピンではたったの1輛、瀋陽ー長春では3輛しかない。
トイレが日本の終戦直後のように線路への垂れ流し。
だから駅に止まる直前に車掌が来て鍵をかけてしまい、
動いてから開けてくれる。そしてものすごく汚い。臭い。
向かい合って4人掛けの椅子には必ずお湯が入ったポットが通路に置いてある。お茶を飲むことができるが,
ガイドさんに聞いたら、
インスタントラーメンを食べる人がおおいので、そのためのお湯なんです、という。
テロ対策だというが、
電車へ乗る時も空港のような検査を通らなければならない。
また駅の入り口に改札が設けられていて、
乗車時間間際の切符を持ったひとだけしか、
駅に入れない仕組みになっていた。
早朝の駅前はものすごい人だかりになる。どこでも同じだった。
必ずしも電車に乗る人だけではなく、
道路でトウモロコシや水などを路上販売する人だとか、
ただブラブラしている人だとか・・・・・・
高速道路はどこもスキスキ。あまり乗る人がいないらしい。
丹東では路上床屋さんがいた!!
公衆トイレはどこも臭くてきたない。
10月7日 (太陰太陽暦9月9日) 火曜日 曇り 小雨
トンネルの中でゴーッという騒音を5分ずつ何回か聞き、その間約30分。 人生で3回目だが、MRIは気分がいいものではない。
だけど3回目という経験のなせるワザか、
後半の10分以上な眠ってしまっていたようで、
轟音はまったく耳にはいらなかった。
20日に結果を聞くことになっているが、どんなものやら。
それにしても膝の横、裏、スネの下の方が痛くて、ビッコの暮らし。
だが歩いていると正常になるのだが、
立ち止まったり、座っていてから立ち上がるのがしんどい。
の力を借りないとち身体が立ち上がらない。
手がなかったら、立てないのではないだろうか。それほど痛む。
夜間に帰宅した時に鍵穴が見えるようにライトが点灯する
「センサーライト」が故障し,
付け替えのために二股になっているアルミのハシゴの上り下りを何度かしたのだが、これがすごい難儀。
両腕で身体を引き上げるようにしないと、
右足が上がらないのだ。しかも痛い。
こんなことは公開されている日記になど書くべきではないよ
なんて忠告されたが、
こんなとき、いつも思い出すのが正岡子規の根岸(東京台東区にある地名)の闘病日記だ。このことは以前もここに書いたが。
50年以上もの昔、国語の時間だったか、
正岡子規のことがでていて、関連のことを知りたいと思って図書館で借りて読んだ本がそうだった。読んでいて、
まるで我がことのように身体がへんてこりんになったのを覚えている。
今回の痛みは稲刈りとモミスリの後遺症ではないかと思っている。
昨日の夕方のこと。
かみさんが外にでた時に、
わが家の前の田んぼでコメを作っているFさんが
「コンバインで稲刈りしてもらえないだろうか」
との話があったという。
だいぶ前からの腰痛もちで、
頻繁に静養というか、身体を休めていたが、
稲刈りの時期になって悪化し、稲刈りができそうにもないほどになってしまったという。
Fさんの家ではバインダーで刈って、
稲掛けのハザを組み立て、
そこへ稲束を掛けて乾燥させるというやり方だ。
刈るのはバインダーの後をついて歩くだけでいいのだが、
腰を曲げて稲束を持ってハザにかけるのが、
とてもできない!!!と。
もしわが家でお手伝いするとすれば、
コンバインだから簡単で早いのだが、
加熱乾燥できる乾燥機がない。
わが家のものは自然の風を送り込むだけのもので、
現在はわが家のモチモミが入っていて、
あと2週間ぐらいしないと乾燥しない!
ということで、わが家ではお手伝いは無理なんですよ、
と謝りながらことわった・・・・・・・・・
頼む方もつらいだろうけど、断る方もつらい・・・・・・・・。
Fさんの姿は明日のわが身だし、
ボクもこんな身体の調子では来年コメを作れるかどうか疑問だし。
こうして農村は高齢化して農業から抜けていくのかとおもうと、
ものすごく悲しい。
10月6日 (太陰太陽暦9月8日) 月曜日 晴れ
午前中は当番出勤。午後からは吉田医師の倉庫で、小野さんにやってもらってのモミスリ。カメムシ大発生の影響か、420キロ。トホホホ。
メッチャ疲れて、右足が痛くて、完全なビッコ。
明日は、MRI 検査の日。腕もだるくて、早く寝よう。
10月5日 (太陰太陽暦9月7日) 日曜日 雨
夕べからの大雨。一日中途切れることなく降り続く。
昨日で稲刈りが終わって、「よかったー」と胸をなでおろす。
隣の人は、昨日途中までしか刈れなかった稲束を雨の中、
ずぶぬれになりながらハザ掛け。
午前中に吉田医師(さくら診療所)の倉庫へ行き、
小野さんに乾燥機に入れてもらう。
明日の早朝に乾燥が終わり、すぐにモミすりになる。
やっと新米だ!!!!!!!
この倉庫ですばらしいものを見せてもらった。
新型の家庭用製粉機(吉田医師が買ったらしい)。
わが家の物とは違って、ふるいが3段階についていて、
一度の操作でウドンなどができる粉ができる。
小野さんがもっていた香川農業試験場開発の
「さぬきの夢2000」というウドン用の国産小麦を挽いて1キロほどもらってきて、
昼に練り,4時間ほど寝かせて夕方に打って食べてみたら
なんと「もちもち」してめちゃくちゃ美味しいではないか。品種もいいが、製粉機がすばらしい。
今年の年末には種をすこし分けてもらってタネ蒔きしようっと。
最近ウドン手打ちをしていなかったが、
今日のウドンで、眠っていたウドンの虫が覚醒した!!
10月4日 (太陰太陽暦9月6日) 土曜日 雨 晴れ
昨日やり残した稲刈り・・・・・朝から雨。
天気予報では午前は晴れ、どうしてんの!!
予報をひたすら信じて、原稿書きをしながら、
れるのを待っていたら、
8時半、なんと予報があたって、晴れてきたではないか。
稲が乾くのを待って、9時半から稲刈り開始。
しだいに晴れ間が広くなって、ついにすべての稲刈り終了。
雨は夕方になっても降らなかった!!!
カメムシがなんと、めちゃくちゃ多い。モミ袋の中はカメムシだらけ!!!!
米作りを始めてから、初めての経験。
明日、乾燥機、モミスリ、来週には新米食える!!
この文章、見覚えがあるな??と思ったら昨日も書いていた、
やはり米作りは農業の中でも特別な意味がある!!
満州旅行記 3回目
3)食べ物 農業はみわたすかぎりトウモロコシばかりで人がいない、アブラ炒め,川魚、ビール、ミネラル水
ボクは食いしん坊なので、
行先は上海とはだいぶ距離はあるが、
もしかして「上海カニ」が食べられるのではないかと、
すこし期待していた・・・・・・・
だがとうとう最後までありつけなかった。
ある店のウインドウには生きた上海カニが水槽で泳いでいたのだが・・・・・・・・・
農業がどうかなーと、目で見える範囲でリサーチしようと
畑、食べ物、野菜・果物売り屋などでは目を皿のようにして
観察していたが、
ツアーそのものが農業視察ではないので、
なかなか農業関連を見つけることができなかった。
すこし南に位置している瀋陽から3時間もかけて電車で長春へ向かったが、車窓からの風景は農業一色。
出発直後には稲刈り直前の稲とかコウリャンがあったが、
あとは長春までトウモロコシ一色。
線路際からはるか地平線の彼方まですべてトウモロコシ。
また長春からもっと北のハルピンまで3時間の車窓風景も、
すべてトウモロコシ。
ガイドさんに聞いたら
「数年前までは輸出もしていたけど、今は全部国内消費。3割ぐらいがバイオ燃料らしい」という。
かつて、国内農業破壊論者と言われていた某評論家さんは
「中国東北部はだいたいが平地で、緯度は日本とあまり変わらない。
非効率な国内農業などやめて、
食料はここで作ってもらって、輸入したほうがいい」
と暴言を吐いていたが、
地形を考慮するに、そのような話の論拠に十分なりうるような地域。
ホテル、レストランでだされたご馳走はどこへ行っても
「野菜炒め、川魚の煮物」ばっかり。
だから野菜には不自由しない。
はじめは美味しいと思っていたが、
3食全部がアブラ炒めなので、しだいに食傷気味に・・・・・・・・・それに量がすごく多い。
ビールが安い。アルコールが3ー4度と低いが、ホテル・レストランでは20元(日本円で340円・500?600ミリリットル)
町の店で買うと5元。
水は硬水なので、日本人の体質にあわないので、
絶対に水道水は飲むなと言われたので、
ミネラルウオーターを買ったり、ホテルでもらったりしていた。
コンビニ風の店で買うと2元(34円、500ミリリットル)
ホテルの朝食はどこも良かった。
バイキング方式だが、その種類の多いこと!!
日本では見たことがないほど。
旅行費用は格安だったが、
旅行社が用意したホテルはすべて一流のところだったからかもしれないが・・・・・・・
10月3日 (太陰太陽暦9月5日) 金曜日 晴れ
昨日は
雨ということもあって、一日完全休養。
電気屋へ地デジのテレビなどを見にいったり、
早く終わらさなければならない校正で頑張ったり・・・・・・・・・
今日は稲刈り。
昨日のうちに「畦波」をはずしたり、
コンバインの入り口にあたる稲を刈り取ったり、
協同で使っているコンバインを引き取ってきたり・・・・・
いろいろと段取りをしていたので、
朝露が消えた9時半から開始。
途中1回だけトラブルが起きてクボタのお世話になったが、あとは順当に4畝の餅米と5畝のウルチだけ終了。
明日は1反のウルチを。
毎年のように農協が町内放送で
「カメムシの大発生が予想されるので、000という農薬を早めに散布したほうがいい」というようなことを言っていて、
ボクは馬耳東風で聞き流していたが・・・・・・
なんと百姓暦20年、
初めてカメムシの大発生をわが田んぼで見ることになってしまった。
今年はカメムシイッパイのゴマにはぜんぜんこなかったので、
まさか!!という感じ。
ゴマに飽きて米にきた!!
刈っていてあの臭い臭いが、プンプン。
モミの袋の中にはたくさんのカメムシ。
多分高温の乾燥機の中で熱死し、乾しカメムシになって軽くなり、風でモミ殻といっしょに吹き飛ばしてくれると思うのだが、・・・・
昨年イノシシに踏みつけられた田んぼには、
予防でトタン柵を早めに張り巡らせておいたが・・・・功を奏そうして、イノシシ被害だけは逃れることができた。
来週中には新米にありつけるのでは・・・・・・・・
満州旅行記 2回目
ツアー参加者は「満州」コンセプト
参加者の構成で(参加者数24人)、
この旅の目的、内容が一目瞭然。
自分、または身内の誰かが日中戦争に係っていた。
貿易で中国と関係していた
の2つで、4人を除いて前者。
したがって高齢者が中心で、83、82歳が最高齢、
下は顔の様子からの判断だが60歳前後。
ボクはチチハル生まれで奉天に4年住んでいた、ということと、
父が近衛兵で何かの任務で満州へ派遣され、
数年間滞在していた、という関係で。
ということで瀋陽(ボクは奉天として記憶)にのこる昔の建物に関心があった。
@大和ホテル
これは事実上の満州支配国家のような役割をしていた満州鉄道が作った当時の最高級ホテル。現在は名前は変更されている。ほぼ6・70年前のものでありながら、3カ所で宿泊できた。大理石の豪華な建物。
@満州鉄道の本社、支社の建物
まさに満州国の国家の役割をしただけあって、超豪華ビル。中国共産党が使っている市もあった。(そもそもは日露戦争でロシアに勝って、奪ったもの、以前はロシアが占領していた。正式名は南満州鉄道)
@関東軍
総司令部と地方司令部の建物(関東軍というのは日本の満地域の軍)
これらの古い建物がそのまま残っていて、しかも客商売のホテルに使えたり、共産党という、日本でいうと県庁のような部署が使っているということに感動、
このあたりは地震がないからだろうか。
それよりもすぐれた自然素材、建材を贅沢に使用していたからだろうか。
こういうところとに父が入ったり出たりしている映像が浮かんでくるようだ。
満州の歴史を簡単に説明。詳しくは百科事典などで。
31年
日本の関東軍による陰謀で、満州鉄道を自ら爆破して、中国 の張学良がやったといいがかりをつけて満州事変起こす
32年
関東軍は中国東北部を占領して満州国を作り上げる
祭り上げたのが清朝最後の皇帝愛新覚羅溥議ー満州国皇帝に。ただの飾り物として
37年
盧溝橋事件で全面的な日中戦争へ
事件とか人名はウイキペデイアで調べると、面白いよ。
|