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新刊・「ほどほどに食っていける田舎暮らし術」(創森社)
が出版されました。「著書」のところをクリックしてください
2月20日 (太陰太陽暦1月14日) 水曜日 晴
創森社から依頼されたマスコミへの書評依頼を書いて送って欲しいと書式は送られてきたが、
こういう形にとらわれるのが好きでないので、
ごく普通の手紙にして送った。
TBSラジオの大沢悠里のゆうゆうワイド、
ふるさと情報館の情報誌、
田舎暮らしの本などに手紙をつけてお願いした。
なんとかいい返事をいただけると嬉しいのだが。
数県の県知事が集まって作り上げたという
「移住」をテーマにしたブログに参加して欲しいと頼まれて、
やり方を教えてもらって始めたが、
いまやっているGOOと比べたら、
天と地ほど扱いにくいブログ。
プロのブログを研究しないで、素人が作ったみたい。
だが、ボクあたりが注文つけると、悪くとられるかもしれないので、
しばらくは続けてみたいと思う。
だが、いつまで続けられるやら。
とにかく面倒な操作がともなうのだ。
また用語も適切を欠いているし。
まず更新の度にID、パスワードを打ち込むとかその他いっぱい!
こういうものはやっていて、
楽しくないとやる気が失せるもの。
こんな気分ではいつまでできるかなー。
ひさびさに暖かい一日。だが風邪が強い。
アメニテイセンターは休館日なので、家で雑用三昧。
4日ぶりに散歩。80分8キロ。
高越山登山道の入り口だけ500メートルほどだけ登る。
こうして少しでも山に登ると、
いつも「もうオレは山登りは無理かな」と考えてしまう。
ここ2年間であちこち連れていってもらったけど、
どうもボクには登山は向いていないのかな??
どうしても好きになれない!!!!!!!
しんどすぎる!!しんどくなければ好きなんだが。
水がない川田川の工事をしていたが、
どうして、こんな工事をするのか、その必要性がわからない。
河川敷で美しく香る梅にデックワした。

2月19日 (太陰太陽暦1月13日) 火曜日 晴
昨日は
朝から体調がヘン。
水も飲めない、もちろん食事もダメ。
そうこうしている内に、
国境なき医師団で活躍中の松井恭子さん、
その友人の小倉さんという「スローな本を売る本屋さん」
を開店したいとリサーチ中の若い女性、
付き添いでさくら診療所で働きながら、
農業もしている小野さんが来てくれた。
昼食をともにするも、ボクはいっさいダメ。
3時過ぎにみなさんお帰りになった瞬間に、
緊張が解けたのか、吐き気と寒気を催してしまい、
コタツに肩までもぐって寝てしまう。
夕方にかみさんが病院へ連れていくというので、ついていく。
そしたら、「急性のウイルス性胃腸炎」だと言う.
現在流行っている!!と。
注射、点滴、で1時間ちょっと。ベッドの上。
だが、その日は重湯をすこしだけで、食べる気がしない。
寒気は点滴のおかげで、和らぐ。
そして今日。
完全回復とは言えないが、アメニテイセンターへ出勤。
こういうときに、職場へくるとヘナヘナできないという緊張感があるのか、胃のあたりはおかしいが、なんとか大丈夫。
ホラダイズの企画について某団体に提案。
そのための文書を作りメール送信。
アメニテイセンターのホームページの原稿いろいろ書いて・・・・・・・・・
昼になっても空腹感がない。
やむなく家からもってきた干し柿とゆで卵をやっと食べた・・・・・・・
2月17日 (太陰太陽暦1月11日) 日曜日 晴 曇り
昨日16日に
足にそれぞれ2キロの錘をつけて、10キロを歩いた。
スピードは時速6キロで。
こんなこと初めてなので、帰ってきたら、しばらくグロッキー。
だが、いまのところ筋肉痛のきざしはないし、
疲れたという感じもないからまあまあではないだろうか。
夜、久しぶりに「徳島で国際協力を考える会」の例会へ行く。
この会の詳細はリンク集からたどってみてください。
さきごろ、わが家を訪問してくれた
MSF(国境なき医師団)の松井恭子さんがスピーチするというから。
紛争中のダルフールで医療活動をしていたという。
この人、18日にまたわが家を訪問するという。
今日、日曜日は
徳島で見れない映画を見る会例会の
「三池・終わらない炭鉱の物語」を鑑賞。
ボクは20歳台に千代田地区労の書記をしていたので、
三池労組の主婦協議会のおばちゃんたちが
自分たちの闘争を理解.支援してもらうためにやってきて、
ボクは同僚と交代で、何回も地元労組を案内してまわったことがあるので、この映画だけは、どんなことがあっても見たかった。
映画は炭鉱のそもそもの歴史にまでさかのぼって見せてくれたし、
炭鉱、住居にいたるまでの全体像まで映してくれていて、
知らなかった部分を理解することができた。
第一組合と第二組合に分裂し、
働く仲間同士がいがみ合った映像には目頭があつくなるのを抑えるることができなかった。
この映画を見終わって、すぐに文化センターで行われた
「二期会のオペラ・ドンジョバンニ、ヘンゼルとグレーテル」を鑑賞。
出演していた岡田まゆみさんがアメニテイセンターへ来て入場券を買ってほしいときて、買った縁で。
夕方、外気温3度というものすごい寒さに。
2月15日 (太陰太陽暦1月9日) 金曜日 晴
当番さんの都合があって、代理でボクが早朝出勤。
昨夜、3時ごろかとおもうが、
裏の保冷庫が「ぱたん」と閉まるような音に目が覚めて、
懐中電灯を左手右手に鍬で外へ飛び出した。
夜空は満点の星空。星ひとつだに隠れていない!!
「ぱたん」は人ではなくて、
動物がなにかにぶつかった音かもしれない。
人間の姿はぜんぜんみあたらなかった。
イヤらしい時間に起きてしまったために、
眠れず、起きてしまい、ホラダイズ原稿の点検作業。
昨日の昼間のうちに最後に残っていたカンガルー島での原稿が完了し、
最初からの見直し作業をしていたので、その続きを始めた。
昨日切り抜いておいた
「オーストラリア政府と議会は13日、過去に親子強制隔離などで被害を受けた先住民・アボリジニーに対し、深い悲しみや苦しみ、喪失感を与えたとして初めて公式に謝罪した」(朝日新聞)
の記事を改めて読む。
日本政府の「従軍慰安婦」への態度とはまるっきり違う、
誠実で心のこもったものだった、とボクも思う。
この記事に注目したのは、この点に関して
日記にもしばしば登場している
「ホラダイズ」の中で触れていたからだ。
06年1月、南オーストラリアのクーロンで
アボリジニのバンガローに二泊し、
アボリジニのトムさん夫妻から親子強制隔離の話はよくきいていたし、
映画「裸足で1500マイル」も見ていたので、
日記には朝日新聞の記事とおなじようなことを書いていた。
トムさん自身が子どもの頃に親子隔離政策に遭遇し、
大部分の子どもたちは警察に捕まってしまったが、
彼は命からがら、逃げおおせたという強者だったからだ。
・・・・・・・・「ホラダイズ」の中で触れていたからだ」
と過去形にしたのは、
この問題は外国人が軽々に論ずべきでない非常に微妙な問題だから・・・・・・・・
との忠告を受けたからだ。
政府や議会が謝罪しても、政権党が代わったからで、
すべての国民が納得したわけではないから・・・・・・・と。
現在のアボリジニは
全国民の約2%で45万とも46万とも言われている。
新聞にもそう書いてある。
しかし、ボクにこのような助言をしてくれた人は
在豪一〇数年という日本人だが、
「純粋のアボリジニは少ないのではないだろか、
混血が進んでいるので、自分は
“アボリジニの血を引く人たち”という表現を使っている。
だから46万人という数字は
純粋アボリジニをカウントしたのか、
後者も含めているのか。
しかし、アボリジニの血を引く人たちの中には
肌が白い人もだいぶいて、
見た感じ、アボリジニには見えない人もたくさんいるのだ」と。
たしかにトムさんたちとその周囲にいた人たちは、
どこからみてもアボリジニの容姿だったが、
市内ではアボリジニらしく見えるが、
白人的な顔立ちの人も結構見かけるからだ。
この件に関し詳しく知りたい人は朝日新聞、徳島新聞ともに2月14日朝刊をご覧になって欲しい。
ということで、「ホラダイズ」では、トムさんがそう言っていた、という伝え聞きのような表現にしている。
アメニテイセンターから昼で帰ってきて、再び原稿点検作業。
ニワトリがきて10日ぐらいになるが、やっと馴れてきたみたいだ。
最初は餌をあげるために、小屋に入っただけで、
こわがり、小屋の隅っこにかたまってしまっていたが、
馴れてきて餌をあげている最中にウツワに頭を突っ込ん餌を食べるようになった。
卵も、地面に産んでいたが、やっと産卵箱に産むようになってくれた。
2月14日 (太陰太陽暦1月8日) 木曜日 晴
小学館の『女性セブン』担当記者から
電話取材をしたいからとメールを受け取った。
2月21日発売予定の『女性セブン』誌上で
『食と日本人』というテーマにする予定。
食の安全が問われる出来事が相次ぐなか、
これから日本人は食料とどう向き合ってゆくべきかを考える記事だそうだ。
こんなこと考えると失礼かもしれないが、
このようなマスコミからの質問があると、
自分の考え方をまとめるきっかけになり、ありがたい、と思った。
評論家が商売じゃないから、
なにか事があるたびに、自分の見解をまとめるなどということはメッタにしないわけで、・・・・・・・・・
そこでこのさい、電話でどんな質問されるかわからないが、
考えをまとめてみた。
国産もダメ
一時は、商品表示をよく確かめて、
納得してから買い物をしましょうと言われていたが、
いまや国産ものを作っている日本の企業の商品表示すらあてにあてにならなくなった。
輸入品もダメ
冷凍加工食品のみならず、輸入食材にたよる一般家庭の消費生活が、
このたびの中国からの毒物混入加工食品の摘発で、
中国ものが敬遠されるだろう。
しだいに「国産品」へのシフトが進むなか、
輸入品全般にたいしても信用度がさがってくるだろう。
ではどうするか。
やむ終えない防衛方法は
自分でよく確かめて素材を買ってきて、あるいは自分で作り、栽培して作るしかない
こうすると手間ひまと費用がより多くかかる
ので事実上、不可能???
次善の策は
現在は「手抜き、楽して、時間をかけずに、安い素材でサッと食事の用意をする」ということがトレンドだが、
こういう方法を継続せざるを得ない人は
「できるだけ素材を選んだとしても、
最悪の場合は多少心配な食べものでも割り切る必要がある。
「食べもの環境」がこのようになってしまった以上、
完全な安全はありえないと考えるべきだ」
どうしても心配な人は
「手を抜かず、時間をかけて、安心できる素材で食事を用意」するようにすること。
マスコミにたよるしかない
日本人は政治的行動で意思表示をすることが出来なくなってしまったので、私のように自給的な農業ができないならば、
食品の安全運動はマスコミに任せて、
日常的にはこのような消費行動をとるしか残された道はない。
そして夜の8時頃、電話がきた。
ところが、80%はぜんぜん別のことを聴かれた!!!!
2月13日 (太陰太陽暦1月7日) 水曜日 雪、雨、曇り
昨日、眼科へ行った。結果は度がすすんで、
眼鏡のレンズが合わなくなった!レンズを交換すればOK
だって。オレってバカだね。
しかし、老眼のことを書いた本だと、
60歳ぐらいから以後は老眼は進行しない、と。
ボクはこれを信じていたから、
白内障かと思ってしまった!!
ところが診断は「老眼がすすんで、レンズが・・・・・・・」
ということはボクはまだ60歳前の目玉!!!!かな・・・・・・・・・?
眼底検査の影響で、パソコンできず。
目がチカチカするというが、ネチネチもする。
夜は英会話。
決まった先生がいなくなってしまい、
臨時的にマレーシアのジーニアさんという
若い女性にきてもらっている。独特の英語だが解りやすい。
この人まだ在日半年だというのに
「施設」などという漢字が書ける。そのほかいっぱい知っている!!!!!!!!!
今日
午後、告別式に参加。
数日前の朝日新聞に、
アマゾンの熱帯雨林の伐採が急速に進んでいるが、
その過程で反対する人たちを射殺するらしい。
日本流に言うと、
反対運動でデモしてる人を警官隊か暴力団がきて射殺する!!!ような。
記事では6人が殺された!とでていた。
10日の徳島新聞では、
バイオ燃料が温暖化を促進!!との見だしが。
アメリカの科学者グループ(プリンストン大学、ミネソタ大学)が
「森林や草地を切り開いて畑にすると、逆に温暖化を促進する」
という研究結果をまとめ、大統領に書簡を提出した。
石化燃料よりもトウモロコシ、アブラヤシなどを原料にした
バイオ燃料は地球に優しい、と言われていたが、
アメリカの科学者グループの提言や、
熱帯雨林の大量伐採、さらに人殺し、など・・・・・・・・
どうしたら一番いいんだろうね??????
先日ある人から言われたのだが、
太陽熱温水器を作るためには大量の石油が消費される!!!
ハイブリットの自動車を作るためには大量の石油が消費される!!!
日本はハイテクで地球に優しいものを作ろうとしてるが、それを作るためには大量の石油が消費される!!!
だから、一番いいのは、すこしでも昔の暮らしに戻すことなんだ!!
だって。
その人は農業はしてないが、
独身で定職をもたずにすこしだけ稼ぎ、
車を持たず、パソコンをもたず、
お風呂も月に数回、薪でわかすだけ、
玄米を買い、わずかな菜園を耕してそこそこに暮らしている。
有言実行といえばそれまでだが・・・・・・・・・
2月11日 (太陰太陽暦1月5日) 月曜日
9日の夕方、
創森社から著者献本とマスコミ用として15冊の見本・本が送られてきた。書店に並ぶのはまだ、10日ぐらい後になるそうだ。
ブルーをメインにした明るい感じの表紙で好感がもてた。
最初の「百姓になりたい」の時は飛び上がらんばかりの感動で、
送られてきた本に感泣の念を覚えたが、
2冊目3冊目、そして7冊目、8冊目と増えるに従って、
次第にそのような感動が薄れてきて
「またでたんだな」という程度になってしまった自分を叱りたくなった。
9冊目だから、さらに薄れてきたので、
「これじゃまずい」と「叱る」段階から「自分が嘆かわしく」なった。
「人間、なにごとにたいしても、感動しなくなったら、おしまいだよ」とか「たえず何事にも旺盛な好奇心をなくしたら、おしまいだよ」なんて、
言われているし、自分もそのように思ってきたはずなのに・・・・・・・・・・。
多いに反省しているところ。
新刊・「ほどほどに食っていける田舎暮らし術」は
いままで出版してきたものの集大成といえるものです。
従来は体験を中心にして
農業や自給的な食べもの作りを経済行為として書いてきましたが、
この本は平易な語り口調の文体ながら、
心の問題にまで踏み込んだ内容の濃い作品だと自負しています。
*********************
コンセプト
@農村社会の閉鎖性云々は、そのように考え始めた人の心の中にうまれたバリアで、実際には存在しない
@食べものの自給を目指した農業は、たんなる経済行為としてだけではなく、深く人間の心、思考にまで変革を及ぼし、生活態度そのものを変える
@農村は人間だけが住む社会ではなく、昆虫、鳥類、小動物など、人と共生する「命輝く場所」である
*********************
というような。
出版社・創森社へ原稿を送ったときには
「当社の出版傾向にないジャンルですので、
もうしわけありませんが、原稿はお返しいたします。・・・・・・・」
という手紙挿入で返送されてきたのです。
ところがわが家に返品原稿が到着して
「残念だな・・・・・」と思っていた時に、
電話が鳴って
「お返しはしたのですが、どうしても心に引っかかるものがあって、・・・・・・・・・」
というゆうような問答の末に
出版がきまったという、特別な原稿なのです。
ジャンルの違いがあっても、
プロの編集者の心をがっちりとつかんで離さない原稿といってもいいと思います。
ボクにとって初めての本・「百姓になりたい」の時もそうでした。
最初は「住民図書館」という
社会運動団体やボランテア団体が発行している
「小さな新聞」ばかりを専門に収集展示している図書館に、
たまたま入場した六興出版の編集者が、
幾千という展示物の中から、
ボクの新聞「ななほしてんとうだより」
というガリ版刷りの数枚のペラペラ新聞をちょっと読んだだけで、
「このような感じで、本にできる原稿を書いてください。
原稿用紙にして350枚ぐらいに」との電話。
しかし、ほとんど編集作業が終了し、
発売日を待っている1ヶ月ほど前に、
六興出版は倒産してしまったのです。
落胆したが、原稿を増刷りして上京し、
中央公論、文芸春秋などの出版社へ飛び込みセールスするも、
田舎のおじいさんなどにはまじめにとりあってくれず、
どの出版社でも門前払い。
最後に一縷の望みをもって
「田舎暮らしの本」という雑誌社へ飛び込みセールス。
ここで初めてまじめに原稿を読んでもらえたのです。
「読んでさえもらえれば・・・・・・・・・」
との絶対的な自信と期待があったのですが、
数日後に「雑誌に1年間連載します」との嬉しい電話。
発行部数が二十数万と言われていた雑誌のせいか、
11ヶ月の連載で、100万円もの原稿料(1回の掲載分量は原稿用紙にして8枚)。
この原稿は、その後数年して飛鳥新社から
「百姓になりたい」と名付けられて99年に発行されたのですが、
この時は代理人に依頼しました。
代理人は最初のセールスの時は門前払い的な扱い。
しかし、無理矢理押し付けるように原稿を置いて引き下がり、
次の出版社へ。
ここの編集者はまじめにその場で読んでくれて
「これはすごい筆力の原稿ですね」と即決。
その直後に飛鳥新社から
「わが社で出版させてください」との電話。
両社の営業力を考えて、即決してくれた会社を断り、
飛鳥新社からデビューを飾ることことになったのです。
ということで、「百姓になりたい」同様に、今回の
「ほどほどに食っていける田舎暮らし術」も
言うに言えない同じような数奇な運命をたどり、
その上出版が決まる瞬間ですら、劇的な展開で決まった!!!のです。
内容がドラマチックだけでなく、
出版が決まった瞬間もドラマチックだったのです。
今日は
徳島で見れない映画を見る会例会の「天然ケッコウ」という「なにもおこらない平凡な日常を描いたものが、今の文学の主流」になってしまっているという傾向にぴったりの内容。
3時頃から4時間もかかって、NPO法人げんき山川ネットワーク新聞の印刷、折り、自治会ごとにの仕分けをする。
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