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1月31日 (大隠太陽暦 12月24日) 木曜日 晴
モチの注文がはいったので、もみすり精米。20キロぐらいを。
ホラダイズの加筆修正が一段落したので、
あらたにカンガルー島のエッセイを書き始めた。
オーストラリアの京子さんにはその旨メール。
夜家に帰ってからプリントしてオーストラリアへ郵送するつもり。
阿部さんがきてくれて、原稿の訂正文を持参してくれた。
この人は山川町歴史・文化財の歩く百科事典のような人。
現在製作中の吉野川市アメニテイセンターのホームページは、
昔の「施設の説明だけ」というものから大きく脱却し、
町内のすべてがわかるように編集しているので、
山川町内の歴史文化、史跡などの記述は欠かせない。
写真をたくさん保存しているというので、
必要としているすべてについて、提供していただけることにした。
これで、民話も10編選定して榎さんに渡してあるので、
目に見えて充実してきているのがわかるのが楽しい。
昨日の客人・「国境なき医師団(MSF)」所属の助産師・松井恭子さん
という若い女性と、さくら診療所で勤務しながら、
農業をしている小野さんから、酒飲みながら、食事しながら、
ダルフールの難民キャンプなどで
医療関係の仕事をしている様子を聴いた。
写真、パソコンでのスライドショウ。
日本にいると想像すらできない場所での活躍に頭がさがる想い。
それにしてもすごいことを自ら選んでやっている松井恭子さんはすごい!と思う。
1月30日 (大隠太陽暦 12月23日) 水曜日 曇り
昨日よりもすこし気温があがったみたいで、
シャツ1枚分ぐらい暖かい。
わが家の暖房はエアコンもあるが、基本的には石油ストーブ。
朝の「厳寒部屋」の時はエアコンとストーブがともにフル廻転で頑張ってもらうが、
ちょっと暖まったら、
ストーブだけになる。
すると天井部分にばかり熱があがってしまい、足下は冬のまんま。
そこで、夏の扇風機を床において上に向け、高速廻転させている。
これでどうやら部屋全体が暖まるっていう勘定。
ところがこれがあまり良くない。
扇風機の置き場所によっては人の頭のあたりに風が当たってしまう。
そこで天井とか壁の上の方に備えつけられる扇風機を買おうかなとおもったが、
そこはオーストラリアへ行って
「古いモノを大切に」を学んだばかり・・・・・・・・
リサイクルショップで10年ほど以前に200円で買ってあった、
そのような機能をもった扇風機があることを思い出した。
あまり「良くない」が、いちおう廻転はしてくれる。
それを引っ張りだしてきて、
ホコリを落とし、洗剤で磨いて、
さらに古材を工夫して取り付け台を大工仕事で作った。
われながら、まあまあの出来具合。
床の扇風機よりは相当に古くて小さいので「力」はないが、
なんとかなるのでは・・・・・・・・・・・
今晩、客人がくるので、・・・・・・・・・
効果がなかったら、また床扇風機にもどるが。
味噌を仕込むとかで、慌てて米のもミスり、精米。
今年は大豆が超不作なので、
例年の半分以下しか作れない。
米、大豆がそれぞれ15キロしか使えないから、
味噌には57キロぐらいだろうか。
6月には醤油を仕込まなければならないので、
大豆をあまり使えないのだ。
吉野川市アメニテイセンターのホームページ作りの
原稿というかネタ集めを担当してるのだが、
山川町の宝でもある「オンツツジ」の記事を
やむ終えない事情ですこし遅らせなければならなくなった。
そこで民話を先にやることにした。
日本という国は全国どこに行っても
その土地にまつわる民話・伝説がある。
柳田国男、宮本常一をはじめとして
研究者が全国を走り回っておおずかみに集大成したものもあるが、
これにはおのずから限界がある。
ラフカジオハーンも島根あたりの民話を少しあつめて怪談なども書いた。
山川の民話の一部を読んでいたとき、
はたしてわれわれが生きている
この時代の民話・伝説になりそうなネタがあるのかなーなんて考えてしまった。
タヌキも天狗も狐もいないし、幽霊もいない。
もちろん昔も人間の言葉をしゃべるタヌキなどいなかっただろうが、
現代人が身の回りの動植物を擬人化して、
「お話」を作れるかどうか??????
こんなことを考えていたら、
数年前に出版された自著「虫嫌いの田舎暮らし」の中の
アオダイショウの項、タヌキの項、鶏小屋の項、などを思い出してしまった。
この項には動物たちがしゃべってもいいような情景がいっぱい表現されているからだが・・・・・・・・・
今夜の客人は「国境なき医師団(MSF)」所属の
助産師・松井恭子さんという若い女性と、
さくら診療所で勤務しながら、農業をしている小野さん。
スーダンに滞在していたというから、どんな話が聞けるか、今から楽しみだ。特にダルフール紛争は聴きたい。
1月29日 (大隠太陽暦 12月22日) 火曜日 雨 曇り
雨がしとしとと寒い一日。
午前中は「ホラダイズ」修正の効率をあげようと思い、家で大集中。
しかし、家にいるとどうしても少しの空腹感にも我慢できず、
なにかをつまんでしまう。
よくない!!
ボクは以前は朝食は多く、
夕食は少なく食べる、というようにしていたが、
ここ半年は朝食はみそ汁ドンブリ一杯(普通の3倍ぐらい)と
少しのご飯(茶碗半分程度)と
一菜(梅干し一個とか少しの茹でた菜っ葉)にしているので、
腹の中は事実上水腹状態。
だからすぐに空腹感に襲われてしまうのだ。
農繁期のようにすぐに外にでての農作業だと空腹感は思い出さないし、
アメニテイセンターでも
パソコンやってると感じないからこれで十分。
だが、家にいるとどうしてもダメだ。
だから家での作業を中断し昼過ぎにアメニテイセンターへ出勤。
以前知り合った
「神慈・秀明??」という宗教会員の農業グループの
横田さんが、アメニテイセンターのホールを使うかどうか、下見に来た。
ホームページの原稿書きもやりながら、
ホラダイズの原稿補正も集中して進行。
修正したり省いたり、加筆したりの部分がだいぶある。
その意味で今回の南オーストラリアへの旅は本当によかった。
そうでなかったら、間違いとかを含んだままだし・・・・・・・・・・・・。
1月28日 (大隠太陽暦 12月21日) 月曜日 晴
真夏のオーストラリアと反対で、昨日に続いて今日もめちゃ寒い。
小雪がハラついた。
歯医者へ行ったら、
ボクが吉野川市アメニテイセンターの仕事をしてるのを知っていて、
「昨日のイベントはご苦労さんでした。うちの娘があのお宝踊りにでていたのですよ」と。
今日から3月一杯はホールイベントがないので、
しばらくはのんびりできる。
長いオーストラリア旅行から帰ったので
教育委員会へ挨拶と昨日のイベントの大成功を報告。
ボクがいないあいだに、
榎さんがすごくきれいにホームページを作っていてくれた。
吉野川市アメニテイセンターのホームページなんだが、
すべてボクの文章になっているので、
自画自賛ではないが
「お役所の形式」からは考えられないような柔らかい楽しく読めるものになっていた。
これから毎日新しいことを書き加えていこうと思う。
すでに役所の人が見たようで、良さを褒めてくれた。
だが、今日のボクはホームページどころではない。
次の作品「ホラダイズ」の加筆修正作業を早急にやらなければならないので、そのために大車輪。
小野さんの案内で
「国境なき医師団(MSF)」所属の
助産師・松井恭子さんという若い女性が
「本を読んでみて今関さんに会ってみたくなった」
と会いにきてくれた。
スーダンに派遣されていたという。
しばらく山川にいて、
またすぐに指定された任地に行くのだそうだ。
スーダンといえば、
有名なダルフール紛争で内線が絶えない国。
ここ約50年で200万人が殺されているという壮絶な地域である。
中国が地下資源の独占を狙っていて、
中国の拒否権で国連さへ内線調整で介入できないという
先進国の餌食にされている
典型的な国だというような噂を聴いたことがある?
こんな国に小手先の人民救済がどれほどの意味があるのだろうか、
などと考えながら会話をしていた。
この紛争は立場によってまったく違った見解があり、
唯一「国境なき医師団(MSF)」の情報がたよりになるという、
不思議な紛争でもある。
数日中にわが家で夕食を共にしながら、こんな話を聴いてみたいと思う。
1月27日 (大隠太陽暦 12月20日) 日曜日 晴
10日から26日まで、南オーストラリアへ旅していた。
州都アデレードれ近郊の田舎に娘夫婦と孫が暮らしているので、行ってみた。3年ぶりに。
今回はカンガルー島ツアーに参加したり、
めちゃ遠いポートリンカンへの小旅行もした。
アデレード市では、通訳の片山恭子さんに会って、
ボクの作品「ホラダイズ」をデビューさせるために
南オーストラリア州政府観光局の人に会えるようにてはずをお願いしたり・・・・・・・・・
まあ、楽しかった旅だった。
長時間の飛行機旅で疲れていたし、
留守中の溜まっていたものの処理などで、のんびりしていたら・・・・・・・・
アメニテイセンターから電話で、
「今日の集会の開会の挨拶を・・・・・・・・・、あと15分ですからすぐに来てきださい!!!!!!」
今日の集会の件は知ってはいたが、ボクはなにもしないつもりだったのだが、・・・・・・・・・
まあ、今日一日、なんとか日本での最初の一日を過ごせて・・・・・・・・・
夜は井内さん一家とアミンダでの夕食、楽しい日本初日をすごせて、よかった。
でも疲れはまだまだ、続いている・・・・・・・・・・
1月9日 (大隠太陽暦 12月13日) 水曜日 晴
昨日さばいたニワトリのハラワタと鳥ダシをとったあとの
ダシガラを裏の畑に捨てた。
これはもも肉と胸肉だけを取り除いたすべてなので、
まあ、85%?のニワトリの死体といえるほどのもの。
昨日の昼頃に捨てたのだが、なぜか夕方までそのまま残っていたが、・・・・・・・・・。夜中に野性の動物がやってきたのか・・・・・・・
今朝は跡形も無くなくなっていた。
たぶん、彼らにとっては大変なご馳走だったのではないかと思う。
特にダシをとったあとのガラなどは、
箸とスプーンで肉をそぎとって、醤油をかけて、
酒のつまみで美味しく食べられるというようなしろものだから。
ボクの肉処理はいい加減なので、
捨てるものに美味しい肉がいつもついているのだ。
刺身を作った(魚捌きもドウにいったもの)あとも
背骨にたくさんの肉が残っていたり・・・・・・・・。
腹の部分すら、美味しいトロ部分がゴミになったりする。(ドウにいったものでもなさそう)
だから刺身を作ったあとは、たまにだが、煮て骨をしゃぶったりする!!!!!!!!!これがまた旨い!!
もし、都会暮らしだと、タイヘンな量の生ゴミということになってしまう。まあ、田舎暮らしだからニワトリさばきもできるわけで、
都会暮らしならこんなことしないし・・・・・・・・
ここへなんども書いているが、
わが家では、畑に捨てる、砕いてニワトリのエサにする、
ということで、生ゴミはないので・・・・・・・・・
だから市役所のお世話になるゴミといえば・・・・・・・
使い終わったメモ用紙、商品の包装紙、
たまに買う食品のトレー(これも少しだけだが)、・・・・・・
あとは??なにかなー。
マスコミなどで、エコ的な暮らしをしよう!!
などと叫んでいる人など、
及びもつかないほどのエコ暮らしだと自負している。
とうとう日本など小麦輸入国に小麦を売ってくれる国は、
それぞれの国の国内需要増大で
アメリカ、カナダ、オーストラリアだけになってしまったという。
オーストラリアは昨年の大干ばつで、
多分輸出能力は激減していると思うから、
いまの所は2カ国だけ。
自給してない日本は
足もとみられてどんどん値段があがってきて、
国内加工食品の小売り価格はドーン跳ね上がりつつあるようだ。
大豆だけでなく小麦も食べるだけでなく、
自動車燃料になるから、
需要量確保は国内自給量を増やす以外にない!!!!!!
とボクは思っている。
だが、農水省の対策は
商社と協力して輸入ルートの拡大!!!!!!!!だけ!!!!!!
と某新聞にでていた。
ボクは著書にも書いているが、
政府補助金をコメだけにやるのではなくて、
小麦にもっとつぎ込むべきだと思っている。
減反田んぼに「ひまわり」だの、「水張り」などをするよりも、
春小麦を栽培するとか、
すべての田んぼの裏作に小麦の栽培、という政策だ。
小麦は天候で左右される確率が高いので、
収量に関係なく面積に応じてコメと同額またはそれ以上の収入を農家に保証、
裏作小麦にはもっと多額の補助金だすこと、
そして小麦の裏作が容易にできる美味しいコメ品種つくりだ。
人口動向からみて、
今後はコメの需要が増えることはありえないのだから、
小麦が作れる田んぼには、
暗渠を全額国庫負担で掘ることだ。
コメの需要がドンドン落ち込んで、
すでに40%も減反しているのだし、
そこに小麦栽培を!と力説したい。
だがこれには大きな問題があることは事実。
コンバインをどうするか、水はけをどうするか。
コンバインは地域の農協が大型コンバインを国の資金で用意して、
管轄地域、すべての麦刈りをしたらどうか。
こういうやり方が、
「食料の自給率を高める本当の方策ではないだろうか」。
個々の農家にチョボチョボのお金を配るよりもはるかに効果的なはず。
チラシでの呼びかけと講演会だけの自給率向上運動ではなんにもならない。
1月8日 (大隠太陽暦 12月12) 火曜日 晴
また、暖かくなった。冬とは思えないほど。
ニワトリを2羽殺して肉にした。
殺す予定で一ヶ月まえから、たっぷりのエサを与えていたので、
適当に太ってくれて、肉付きはすばらしい。
だが一回で2羽というのは疲れる。
殺すという労力だけではなく、
別のなにものかが体にのしかかってきたような・・・・・・・・
老体にもかかわらず、
卵をいまだに産んでくれていたので、
お腹のなかには殻つきの卵をそれぞれが持っていて、
黄身だけの小玉がそれぞれ数個入っていた。
「まだ卵を産むのに、殺すのはもったいない!」とは思ったが・・・・・・・・・・
吉野川市アメニテイセンターへ
千葉県船橋の人で「忌部の勉強をしている」という中年の男女がきた。
どこで名前をきいたのか、
事務局の原井さんをたずねて。
すでに貞光、ニ軒屋、山崎の3神社へは行ってきたと。
阿部(山川の文化財を守る会会長)さん、忌部神社氏子の下田さん、吉田さんに急遽来ていただき応対してもらった。宮本さんも来た。
お話をしたうえで、吉野川市アメニテイセンターで持っている資料をおわたししたが、・・・・・・・・・・
忌部神社について著わされた「正蹟考」という本があるという。
昭和17年刊。
そして新しい資料がでてきたので、改訂というか、増補というか、
復刻作業をしているという。
阿部さんから17年の本を見せてもらったが、ガリ版刷りのような文字。
復刻版の出版は夏頃になるというが、どこが変わるのか楽しみでもある。
1月7日 (大隠太陽暦 12月1日) 月曜日 曇り
創森社と最終的なことを電話でやりとりして、
著者校正が終わった。あとは出版社へのおまかせに。
自費出版会社・新風舍の記事が朝日新聞に掲載されていた。
一時は講談社の出版点数を上回る日本一の出版点数を誇ったが、
著者に「全国の本屋さんの店頭に出す」という約束をしながら、
やらなかったという嘘というかペテンがバレて裁判沙汰になったため、
イメージが落ちて急速に会社が危ないというほどまで落ち込んだ。
そういう事態をどうするのかという記事だった。
(この原告は徳島の人??)
ところで、いまや、非常に多くの普通の出版社も
「自費出版部門」を作って、
自費出版を請け負っていて、
自費出版花盛りの盛況。
まあ、本原稿を書いて出版したいという人がいかに多いかということの反映だと思う。
本が売れようが売れなかろうが、
出版社は損しないし、儲かるだけなのだから、
こんな美味しい商売はない。
著者は本を出せた!という喜びに浸ることができるし。
先日ある出版社の編集者に聴いたら
「持ち込まれた原稿で、社として経済的負担を全額してまで出版できる内容ではない場合に、自費出版をおすすめしている」とのこと。
だが新風舍はすべて自費出版にまわしている会社。
午後からアメニテイセンターへ出勤。
正月のせいか挨拶にこられる人が数人いて、
名前と顔を覚えるのに苦労する。
阿波忌部の語り部的存在の木村悟さんに会いに行く。
今月末にアメニテイセンターで講演会があるが、
氏の代理で真田さんが講演してくれるのだが、
ボクの訪問は「アメニテイセンターのホームページ」への掲載の件。
特に彼の紹介文と以前講演してくれた内容の再確認で。
木村氏は山川町で一番大きな会社・阿波スピンドルの会長である。
夜は今月発行しなければならない
「NPO元気やまかわネットワーク・機関紙」の打合会。
今月からは住友さんが責任者になってもらえるのでホッとしている。
しかし、原稿書きなどの協力はするのだが。
1月6日 (大隠太陽暦 11月29日) 日曜日 晴
春の栽培予定畑に昨年来モミスリ、精米していた
モミとヌカをまき散らす。
また未整理のままだった大豆のゴミを手で取り除き、保冷庫へ。
計量してみたら、たったの27キロ。
昨年の5分の1しかない。
いかにハスモンヨトウムシとカメムシの被害がすごかったか!
さらに27キロといっても、
販売にまわすとしたら、
虫食いや病気の変形豆を除くので、
18キロぐらいではないだろうか。
大豆ぐらい天候によって大きく左右される作物は珍しい。
ついでに7月に蒔くタネの選別。
タネは形のいいものだけを選ぶので、
一粒一粒確かめてから拾っていかなければならない。
2000粒を選ぶ。
旅行エッセイ「ホラダイズ」のプリント。
また7月から12月までの日記のプリント。
「学位カネで売ります」というタイトルで。
朝日新聞に出ていた!!!!!!!
冒頭に告発されていたのが「イオンド大学」。
問題になったのは、
この大学は「非認定校」で公の機関が認めていないにもかかわらず、
この学校が発行した博士号で
普通の大学に就職して教授になっている人が発覚したからだ。
イオンド大学からは
ボクのところにも「あなたには博士号をさずけます」
というような仰々しい手紙がきたことがあるから、
記憶にありこの記事に目がとまった。
ボクは無視していたが、
数ヶ月後に「イオンド大学の博士号をとった0000さん」
という記事が徳島新聞に写真入りで掲載されたのだ。
イオンド大学日本校は東京杉並区の環七沿いの雑居ビルにある。
教室などはない。事務所と応接室しかない。
この大学には100人程度の学生が籍をおいているらしい。
社会人相手の通信教育専門のようだ。
いままで与えていたのは
名誉学士号、名誉博士号、名誉修士号の3種類。
ボクが本を書いているということを調べたらしく
通信教育を受けなくても名誉博士号あげます、だった。
金額の表示はなかったが、
「博士号欲しい」と意思表示すれば、
幾ばくかのお金を請求されるであろうことは容易に想像できた。
クレイトン大学、パシフィック・ウエスタン大学も非認定大学だという。(どちらにも、金で博士号を買って大学に就職して教授になっている人がいる)
論文を書くという形式もあるようだが、
60万から240万で博士号が買えるのは・・・・・・・・
どうかとおもう。
おまけになるが
きちんとした大学内でも
博士論文に他人の論文盗用が非常に多いのだと。
だいたい30−40%!!!!!!!!が盗用!!!!!
だから、盗用かどうかの自動探知機すら登場しているそうだ!!!!!!!!!
1月5日 (大隠太陽暦 11月27日) 土曜日 晴
歯医者で、歯茎のレーザー光線での焼き付け。
歯茎に麻酔してレーザーで歯肉を焼き、
ポケットと呼ばれている歯茎と歯肉の隙間を埋める治療。
高齢になると歯周病があたりまえになり、
同時にポケットが広く深くなるようだ。
深さ3ミリぐらいまではいいらしいが5ミリ以上になると埋める必要があるという。
前回は歯垢をとったので、「多分、今日はレーザー」と想像していたが、やっぱり!!
今回の歯垢取りは2年ぶりだったが、
丁寧に1日2回も歯間ブラシを使っていたためか、
痛くもなく、簡単に終わった。やはり歯間ブラシは大事。
夕べからかみさんの弟夫妻が正月休みで来ていて、昨夜は遅くまで歓談。
ボクが歯医者へ行っているあいだに、
信子さんが大根の甘酢漬けをつくったり、こんにゃく作りをしていた。
昼過ぎ帰っていった。
畑で絹莢の支柱になるようにすぐ横に栽培していた小麦が分けつしすぎて繁茂したので、はさみで内側を切り、風通しをよくした。
ハクサイにはワラでハチマキ。
気温が高くなるとせっかく固く巻いているものが開いてしまうから、その予防で。
数年ぶりで農作業に使っている軽トラのボデイを洗い、ワックスを塗る。
アメニテイセンターへの通勤に使っているので、
あまりにも汚いと恥ずかしい!!から。
だが、そうとうに古い車なので、
錆がものすごいし、白い塗装も濡れた布で拭くだけで、
白い塗料が落ちる!!!!!
ワックスで磨いても、
新車のようには絶対にツヤツヤにならなかったが、まあ、気休めで・・・・・・・・・・
2月下旬に発売される新刊本の
2回目・著者校正がやっと終わった。
今回はできるだけ登場人物を実名で登場していただこうと、
大勢の仲間たちに電話で了解をとったりしたので、
臨場感のある作品になったような気がする。
定年後田舎暮らしのことがテーマだが、
「定年後は年金が足りなくなる、時間をもてあます」
というマスコミ評論家の言い分を
論破することに最重点をおいているために、
3回も同じような文言を繰り返している部分に、
われながらちょっと抵抗がある。
しかし、ボクには
「田舎暮らしならば、定年後、年金だけで十分、時間はもてあますどころか、たりないほど充実して忙しい」
という実体験があるので、
どうしても彼らの言い分にアンチテーゼをぶつけたかった!!
「脱サ百姓、田舎暮らし、食べ物の自給自足の暮らし」
というテーマの総集編だ。
このテーマだけで6冊も出版できたのだから・・・・・・・・・。

アングルがよくないが、雰囲気だけは、解っていただけるかも。
法被の人は審判。私服の人は対戦している犬の飼い主。奥の人たちは関係者と審判長、待機中の飼い主さんたち。
帰園田居(第35回目)
わたしはヘビが憎たらしくなって、ぶち殺してやろうと思い、挟んだまま畑まで引きずってほうり投げたんです。すくなくとも、五分以上はハサミで締めつけていたので、畑に転がったアオダイショウは口を開けたまま、伸び切った姿でほとんど動かなくなっていました。ウサギを殺したからだ、ざまー見ろ、と思いましたね。その時は。だが、次の瞬間「アオダイショウは家の守り神」「殺してはいけないもの」「殺すと祟りがある」といわれていることを、なぜかしらん、思いだしてしまったんですよ。しまった!殺すんじゃなかった、と思ったがあとの祭り。殺してやろうとあれほど憎んでいたのに「生き返ってくれ!」と祈るような気持ちになってしまったんです。不思議ですね。
だが、もしかしたら、子ども時代の経験が頭のすみっこに無意識に残っていたからかな、なんて思ったりもしたのですが。それは・・・・・
わたしは小学校(当時は国民学校)一年生の時に、一切の食べもの、水分が咽喉を通らず、声もでなくなるという病名もつかないような重病に罹り、東大、千葉大その他の医師からも見放され、生死の際を彷徨したことがあるんです。衰弱した息子の死を覚悟した母は、わたしを背負って自分の故郷の神社へ行きお祓いを受けたのです。その数分後、奇跡的に神主の足元で快復したんですよ。その時、神主さんが「このお子さんはヘビを殺しましたね。今、その祟りを取り除きました」と言ったんだよ、なんて母は後に話してくれたんです。母は看護婦でこんな迷信もどきを信じない人だったんですが・・・・・・・。実際は、わたしはヘビを殺していなかったんですよ。だけど、殺した子どもたち数人といっしょにいて、軽く棒でヘビに触れただけだったんです。これはなぜか今でも鮮明に覚えているんです。
母は神主にはヘビのことは一言も話していないのに不思議だと、のちのちまで言っていましたね。
アオダイショウの伸び切った姿態に、思い出も重なって体中が震えてきました。祟りがあるのではないかと、マジに思ったのでしょうかね。「生き返ってください」と手も合わせ、うなだれて、身もだえしながら草取りの場所へ戻ったけど、作業が手につかなくなっちゃったんです。
数拾分後に、強い日差しの下で伸び切って死んでしまったか、それとも奇跡の復活をしたかを確かめようと死体をほうり投げた畑へ行ってみたら、「いない!」。生き返ってどこかへ逃げたのか、それともここのところ頻繁に畑に来ているキジの餌食になってしまったのか・・・・・・・・。その時はただただ「生きていて欲しい」とばかり念じていたんですよ。
1月3日 (大隠太陽暦 11月25日) 木曜日 晴
31日、元旦、2日と休んじゃった。
31日には9時集合で、剣山への登山(
柳沢夫妻、樫原医師親子、木川医師、オレ)。
ボクが70歳で、樫原親子の子は25歳?ぐらいぐらいだし、
あとはだいたい56歳前後。不思議なグループで。
途中から大雪で、チェーンを巻いての現地駐車場へ。
こんな大雪ははじめての経験なので、
ボクにとってはまさに
「猛吹雪、八甲田山死の彷徨への道行き」という感じ。
横殴りの雪嵐の中の登り。
かすかに残る誰かが登ったであろう足のくぼみへ、
「ここなら雪の下には道かな?」と信じながらの一歩一歩。
標高が上がるにしたがって、
雪嵐はますます激しくなるばかり。
上から、横から、下からと雪は勢いよく顔に吹き付けてくる。
3時間ぐらいかかってようやく頂上小屋へ。
この時は無事に登れたことに感謝。
その夜は山小屋で宿泊。
44人が泊まっていて、年の切り替はるときには、
カウントダウンで元旦の時報にあわせてクラッカーを鳴らして喜び合う。
人生70年、こんな感激的な年末と正月を迎えたのは初めて!!
外気温は氷点下11度だとのこと。

これ、ボクです。
暖かくしていただいている小屋で朝を迎え、
元旦、朝食後、すぐに出発。やはり猛吹雪。
下りの雪だから、すべって、すべって、尻餅、尻すべりの連続で登りの半分の時間で下山。
積雪は場所によるが3−センチから70センチぐらだろうか・・・・・・・・・・。
スパッツが無かったら、靴の中は雪だらけ!!!!!!この時ほどスパッツのありがたさを味わったことはない。
昼過ぎにわが家に帰ってこれて、全員で正月料理で会食。
ボクは高齢のせいか、ものすごくくたびれてしまった。
雪さえなければそれほどでもなかったと思うのだが、
とにかく雪がたくさんで・・・・・・・・・。
この日の午後、姪の裕子さん夫妻が10ヶ月の子どもを連れてやってきてくれた。
夜更けまで、酒宴で・・・・・・・・・・
2日には高知に住んでいるかみさんの姉さんの家にいって、一泊。
翌日の3日には高知市桂浜の「闘犬センター」へ。
10月末に闘牛を見てるけど、
流血、激しさ、残酷さ、敗北を認めない、強靭などド性は牛の比ではない。2試合目に見たバトルなどは、
疲れ果てて2回も体を離して、荒い呼吸を。
腹も、胸も、足も早鐘のような心臓の振動にあわせて全身を振動。
そんなに疲れたのなら、
両方とも辞めればいいのに、と思うと、
また取っ組みあって、噛み合って、・・・・・・・・・
それでも頑張る姿は、
人に寄っては美しい、
人によってはすばらしい根性!と言うかもしれないが・・・・・・・・
イヤー、すごい、すごいの一言につきる。
見物料2000円。
バトルは続いているのに、見物は1時間で総入れ替え。
狭い会場なので、興行のことを考えると、しょうがないか!!と思う。40−50人ぐらいしか入れないのでは。
せまい会場だから、バトルはスグ目の前でなので、
血に弱い人にはお勧めできない?????????
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