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12月10日 (大隠太陽暦 11月1日) 月曜日 晴
一昨日(土曜日)、
大豆にひもをつけて、ハウスの中の支柱にひっかける作業
(こうすると早く乾燥する)を終わらせてから、
徳島市の郷土文化会館で行われていた
「阿波人形浄瑠璃芝居フェスチバル」の観劇へ。
朝から催されていたのに、
午後から行ったので、
名月座の傾城阿波鳴門・十郎兵衛内の段」、
勝浦座の「伽羅先代萩」、
鳴門座の「恋女房染分手綱」、
勝浦座の「摂州合邦辻」、
バジル・ツイスト(アメリカ人)の「DOGUGAESHI](道具返し)だけ見ることができた。
どれもアマチュアとは思えないほどの名演技で、
すっかり取り込まれてしまう。
特に太夫の魂まで没入させてるような、否、
ハラワタをえぐるような迫力満点のうなりというか、
謡いというか、ものすごい。
また前後あわせて、
太夫部屋が4団体、
人形座が12
団体、一般・学校クラブが5団体と、
すべて徳島県内の団体ばかりで、
徳島県は人形浄瑠璃がなんと!さかんな県か!!
ということを思い知らされた。
すぐれた県の伝統文化だ。
夜は名称は知らないが地元で開催された
「国文祭」で活躍したした市内の活動家の「飲み会」だとか。
山川在住の人が
ボクを含めて6人(ミュウジしゃん、役場の人、児童文学作家、学校教員、ネットの事務局の人)、
鴨島在住の人が4人(商工会議所婦人部の人、オペラ歌手、男女共同参画関連のNPOの人、NPOまちかどコンサートの人)だった。
ボクにとっては初対面の人が3人いた。
またみなさんものすごく元気で、
楽しい飲み会だった。
昨日は、とっさに思いついて
「中野郷」までの高越山登山を。
登りが65分、下りが45分。
途中で出会ったのは、老夫婦一組だけ。
疲れた足を引きずって、
ジャガイモを掘り出す。
発芽のとき、ハスモンヨトウムシに
新芽をだいぶ食べられてしまったが、
連日の虫取りの効あってか、
数株を除いて順調に育ってくれた。
しかし、ジャガイモにも幼児期の精神的打撃が残っていたのか、
収量はいまいち。
実なしが3株、2−3個だけという貧弱なカブが10数株、
あとは5−6個という状態。
だが自家用としては十分すぎるほど。
夜は前日に続いての宴会。
恒例になってしまった
「愛ちゃんちの鮎とうふ」の会。
メンバーは主に英会話のファクトリー会員。
IさんとGさん一家からはそれぞれ4人、Hさんはご夫婦、Kさん、Mさん。そしてわが家から二人。愛ちゃんちには娘さんがいて家族3人と川島の高校で英語を教えているイギリス人のクリス。
にぎやかで楽しいひと時。
そして今日。
3日ぶりにアメニテイセンター出勤。
ホームページのためのページとして、
人、施設など5−6枚作れた。今まではパンフレットをさらっと読んで、「山川にはこんないいものがあるんだー、こんなすばらしい人たちがいるんだー」という程度の認識しかなかったが、
いざ、書くとなると、
そんな曖昧な知識ではとうていおぼつかない。
詳しく丁寧に調べなおして書いてみて、
はじめて人も施設もよくわかり、
なんだが復習、予習をしている感じ。
書くということがすばらしい勉強になるということを再確認。
午後になって米田博さんという
「地域づくりトータルプロデュース・講師・プランナー」
という肩書きの人がきて2時間近くもいろいろと話してくれた。
上勝町は横石さん(彩りの)が登場して急にすばらしい町に転換したらしい、などと聞いていたが、
前々町長の時代から外部から有能なアドバイサーがついて、
役場職員の頭の改造をしてきた
実績の上に咲いた花だとのこと。
地方では役場、とくに首長の指導力が大事だと強調していた。
米田さんとは徳島に引っ越してまもなく、
どこかの講演会だか、パネルデイスカッションだかで
同席していたようだ。
あちらさんは覚えていてくれたが、ボクはボケていて・・・・・・・・・・・
12月7日 (大隠太陽暦 10月28日) 金曜日 曇り
ふかかした芋(乾燥芋にするため)を2日続けて天日干ししているが、
所用で干す時間が午前中だけとか、短いせいか、
いまだにフニャフニャ。
今日はなんとか午後3時まで干せたが、
午後になって曇ってしまい、ダメ。
やはりストーブの上で干さないとダメみたいだ。
朝霜が毎日のように降りているせいか、
ジャガイモの葉が急にへたりはじめて、
既に半数以上が疲れたように地面に這いつくばった。
まだまだ緑豊かで、当分は掘れないな!と思っていたのに。
葉っぱが少しでも枯れ始めたら
掘り出そうと思っていたのだが、・・・・・・・・・
先日の津軽三味線・一品持ち寄りの会で
ジャガイモを使い果たしてしまっているので、
掘れる日を一日千秋のように待っていたのだが・・・・・・。
つい思いあまって、試しに掘ってみた。
芋掘りの時はいつもそうだが、
「ものすごくたくさん成っている。ならば嬉しいな」
という気持ちと
「ぜんぜんとまではいかないまでも、一株に2−3個しか成っていないのでは」
という不安がいつも交錯する。
15年以上も、こんな気持ちから離れることができないでいる。
今日は「茎の痩せぐあい、葉っぱの貧弱さから考えて、
ゼロか、せいぜい2−3個しか一株に成っていないのでは、
という不安に強く駆られながら・・・・・・・・・・
最初の一株目、実がない!!もしかしたら全滅!!
二株目、やっと2個成っていた。3、4・・・
多くて4個、せいぜい2個か3個・・・・・・・・・・
悪い方の予感が的中。
10株も試し掘りしてみて、ほんのちょぼちょぼ。
いつもならば一株に7−10個も成っているのに。
初期のハスモンヨトウムシの新芽攻撃が原因なのか??
この冬から初夏はジャガイモは大事に食べなくては・・・・・・・・・
それとも6月掘り分が
あまりにも豊作だったから、その反動だろうか・・・・・・・・
こんなことをボクはいつも考えてしまうクセがある、
という話を農家してる人に話してみたら、
「まるで戦前の貧乏な自給百姓みたいな考え方だ。
いまは収量なくたって、スーパーへ行けば売ってるから、心配すんな」
だって。
たしかに、そうだよなーーー。
だけどこういう感性は自給農家なら必要なんじゃないかと、
思うんだけど。
ボクは古いのかな・・・・・・・・・・・。
12月6日 (大隠太陽暦 10月27日) 木曜日 晴
コメの精米をしたり、モチを切ったり、醤油の撹拌したり、ぼうぼうになった庭の草抜きしたり、・・・・・・・・
雑用ばかり・・・・・・・・・。
農家の雑用って、限りなくあるんだよね。
まあ、途中で辞めないとキリがないというか・・・・・・・・
午後に館内清掃の会社の人が来るというので、急遽出勤。
待ち時間に「ホームページ作成の原稿」書き。
コンセプト「動く人中心の構成」ということで、
今日は、児童文学者の原田さん、
薬草研究家の真鍋さん、
国際ボランテアでも活躍している医師の吉田さんまで。
書いていて気がついたが、人だけじゃなくて観光地などその他も含めるので、なんだか気が遠くなるような仕事になりそう・・・・・・・・・・・・・
とにかく動かない死んだようなホームページが多いので、
そのような轍だけはふみたくない!!!!!
来年度のコメの減反が発表されて、
徳島県でもその割当作業が始まったらしい。
年々コメの消費量が減ってきて、
「瑞穂の国・日本」なんていうような肩書きが死語になってしまいそう。
ボク自身は無関係だが、
それなりの規模でコメ作りをしている農家にとっては死活問題だ!!
それにしても、日本人、コメの食い量ずいぶん減ったよなー。
コメ農家ですら、朝はパン!なんて家、だいぶあるし。
12月5日 (大隠太陽暦 10月26日) 水曜日 晴
また、暖かくなってきた。数日前から寒くなって、これから本格的な冬へ、とおもいきや、また小春日和!!
アメニテイセンターは休館。
残っていた細めのサツマイモ・約15キロぐらい?全部をゆでて、
乾燥芋にした。
これで今年のさつま芋の加工は終わり。
茹で時間は2時間半と長いので、
その間に、迷っていた大豆の取り作業を入れをやる。
70%ぐらいは、全く実が入っていない。
残った3割ぐらいも一部にしか実がついていない。
だが3キロぐらいの収量はあるのではないかと思う。
3畝もの畑に大豆を作ってたったの3キロではあまりにも悲しすぎる。
20日過ぎまでハウスで乾燥させてから、実だし作業だ。
しかし他の畑の収量とあわせれば、20キロには・・・・・・・・・
午後の3時頃にやっと終わった。
朝日新聞の「特派員メモ」という小さなコラムで
「ジンバブエ南部の町・マシンゴの市場で
乾燥カメムシが山と積まれて売っていた。
現地語でハルーラ。
塩ゆでして天日干ししたものだという。
試食させてもらったら、臭みはなく、
シャリシャリしてコクがあり、後味がいい。」という記事がでていた。
ボクは半月ほど前に、
「虫食む人々の暮らし」野中健一著、NHKブックス、
を読み終えたばかりだから
「デターッ」と一気読み。
本では南アフリカ共和国のムプマランガでの採集、クサミ除去、
などの方法が
写真入りで書かれていたし、
ラオスのビエンチャンでは
串刺しにして売っている写真が紹介されていた。
著者の野中さんはラオスのある地方(カメムシは食べない)では
田んぼにカメムシが多くて困っていたが、
これを害虫として除去するのではなく、
食用にするという新たな試みがなされて、
住民が食べるようになれば、
カメムシは食べられる益虫になり、
コメとカメムシの両方の収穫を得るという一挙両得になるのでは、
などと無責任な提案をしていたが・・・・・・・・
たしかにコメとカメムシを同時に収穫して食料になれば、まさに一挙両得。だが、
カメムシを食べない人に「食べたら」なんて・・・・ね・・・・。
ボクは幼年期体験でイナゴが好物になっているが、
蜂の子はまだとても食えない。
まして「今年の夏、秋はカメムシが大発生。
これを捕まえて食用にすれば・・・・・。
なんて言われたって・・・・とてもとても。
先日東京へ行ったときにイナゴは2パックも買ってきた、
ついでに蜂の子の佃煮も探したが、なかった。
生の生きている蜂の子は、もう少し時間が必要だが、
佃煮ならば、すぐにでも食べてみたいと思う・・・・・・・・・・。
ラオスのカメムシに関する部分で
「コメとカメムシを食用に」と書かれていたが、
同時作という考え方は合鴨農家の考え方にいまでも生きている。
田んぼに合鴨を放ち、
除草と害虫対策をお願いする、
コメは除草剤なしでつくれて、
同時に合鴨の肉を食用にできるからだ。
この本ではイモムシも食べられるとあったが、
ハスモンヨトウムシなんか食用になったら、
「害虫が食用になって、益虫に!」なんてなるかも。
しかし飽食の日本ではありえないよね。
ボクも今は嫌だし・・・・。
12月4日 (大隠太陽暦 10月25日) 火曜日 曇りのち晴
アメニテイセンター出勤。ホールでの催しがないと、することほとんどなし。
5日午前中に送らなければならない追加原稿で大わらわ。
前書きの追加、本文二カ所の追加原稿。
全体で原稿用紙5枚分程度でたいしたことはないのだが、
前後の文脈との関係というか、つながりがあるので、
自然にとけ込めるよな文章を心がける。なんとか2時頃に終わる。
急に気温が下がり、寒々しい畑。
草ぐさがおりからの強風で地面に押しつぶされている。
イノシシよけのトタンが揺れて、
時々ガラガラとこすれる音も聞こえて、なにもかもが寒そう。
畑に残されているあまり実がついていない大豆をどうしようかと、
もう3日も迷っている。本当に莢がカラッポなのだ。
木は普通なのに、莢がペチャンコなのだ。
数本に1本ぐらいの木でやっと膨らんでいる莢が三つ、四つ。
道ばたから眺めていると、
「もったいないから、なん粒でもいいから、収穫作業をしよう」
とおもうのだが、
いざ、畑に入って一本、一本の莢に手を触れていると
「処分してしまおう」と思うのだ。
結論まであと2、3日は必要だ。
帰園田居。すでに出版が決まり、
来年2月の末には全国の書店に並ぶのだが、
もうしばらく連載は続けようと思う。
連載しているものとまもなく出版されるものは、
内容は基本的におなじものだが、文章は違う。
連載のものは多分昨年の春頃の草稿ではないかとおもう。
別に悪意があってではない。
ボクだけではなく、作家は一つの作品を出版できるようにするまでに、
十数回も書き直すのが普通。
多分、日の目を見る原稿も10回目ぐらいの書き直しのものだから。
だから連載中のものは、その当時では最高のもの。
だがモノ書きに取っては「これで完璧」というのは絶対にない。
いつも「次が完璧」と思っているから。
帰園田居(第32回目)
タヌキと同じぐらい、イタチがたくさんいますね。4メートルとか3メートルの幅の狭い道路を車で走っていると、時々道路を横切ります。またわが家ではニワトリを飼っていますので、家の廻りにもずいぶん来てるみたいです。足を引っかけるワナをニワトリ小屋の前に仕掛けたことがあるのですが、多いときで1ヶ月に5匹も引っ掛かったときがありました。ワナにかかった時のイタチはスゴイですよ。人が近寄ると目を見開いて、耳をそばだて、歯をむいて「フワアーフワアー」って飛びかかろうとするんです。
イタチの身体は細長いので、ニワトリ小屋などで4−5センチのちょっとしたスキマがあるだけで、そこから入り込んで、眠っているニワトリの首に噛みつき、血を吸い取って殺してしまうのです。彼らは肉よりも血が目的みたいで、次々と首に噛みついて、一夜にして十数羽も殺してしまうという恐ろしい動物です。吸血鬼ドラキュラならぬ吸血獣なんです。
昔、関東にいたころは、イタチは道路を横切る直前に、マンマミーアみたいに立ち上がって、手(前脚)を額にかざして左右を見てから横断していたのを何度見たことがありましたが、最近はそういうシグサを見たことがないから、生態が変わってしまったのだろうか、それとも関西のイタチにはそういう習性はないのな?
吸血獣ではあっても、わが家の天井に住み着いていたネズミは彼らのおかげですっかりいなくなりましたし。そう、イタチをネズミ退治で、国の研究機関でイタチを養殖して野に放ったこともあるし、毛皮を作ったりしたようですよ。この点では有益獣だったのでしょうか。
天井からネズミがいなくなってからも、なぜか天井に出入りしていて、まるでブタがノッシノッシと歩いているような足音で、眠れない夜が何日かありましたが、友人のHさんの力を借りて連続して3頭も捕まえ、縁の下のアナを完全に塞ぎ、その後は眠りを妨害されずに夜を過ごすことができるようになりました。
12月3日 (大隠太陽暦 10月24日) 月曜日 雨 のち晴
ひさしぶりに吉野川市アメニテイセンターへ出勤。
初めて館のホームページを作ることになり、
その構想を考えたり、相談したりと、
慣れないというか、初体験なためになかなかまとまらない。
単なる館のコマーシャルだけではなく、
町内全体の文化・芸能・趣味・・・・・
などできるだけすべての動きを取材し、
紹介できるようなものにしたいと思っているから。
地方の行政関係のホームページは
堅苦しくて、
のぞきにくる人がほとんどいないという欠陥があると思っているので、
民間ホームページらしく柔らかくソフトなもの、
そしてできれば毎日の更新を心がけるようにしたいなーんて!!
もしネタ不足を感じたら、
どこそこのサークルが集落の集会所で
明日、ひそかに発表会やるとか・・・・、
誰々がこんなサークルを立ち上げようといろいろな人に呼びかけている・・・・・・・なんてことも、
どんどん拾って更新記事にしていきたい!!!
まあ町民のホームページ。こんなことの積み重ねが、
町の財産でもあるアメニテイセンターで
もっと、もっとみんなが元気になるようなこと、いっぱいやろうよ、
という雰囲気を作れればいいなーなーんて。
まあ、こんなささやかというか
パットしないことからはじめてみたい、と思っている。
だからこうゆうことができるホームページつくり・・・・・・・・・・・・。
だから、大ホール、各種議室の紹介についても、
このような観点での紹介、空き室情報にしたいと思っている。
こんな広さ、これだけテーブルや椅子があるよ、
こんな会社や団体がこういう風に使っているよ、なーんて。
役所の感覚では考えられないような、
そんなアメニテイセンターの紹介、
そして山川町のいろいろなこと紹介、など。
アメニテイセンターという名前にふさわしいホームページに、
そしてあまり覗きにこないホームページではなくて、
親しまれる、町の情報いっぱいのホームページにできれば、と。
先月末から今月2日にかけて、東京、埼玉へ行ってきた。
目的は別にして、副産物的なもの。
JRが120億円をかけて作ったという鉄道博物館(さいたま市)。
もともとは神田万世橋のガード下にあったのだが、
狭い、老朽化などの理由で移設というか巨大なものに作り直したというか・・・・・。
万世橋当時の館を知っているボクとしては、
天地ほどの違いを感じてしまった。
また南オーストラリアのポートアデレードの鉄道博物館も巨大だが、
それすらも凌駕するほど大きく、
そして内容的にも格段にすぐれたもの。
ボクが一番驚いたのは
「列車がカーブの時に遠心力で外側へひっくり返らないのは外側のレールを内側のレールよりも高くしているから」とだけ思っていたが、
それだけではなかった!!、
車輪のすべてがテーパー(外側が細く、内側が太い)になっているのだった。
おもちゃで実験体験もできるので、これは驚き。
もう一つはブレーキの仕組み。
ここではどうしても説明しにくいから、やめとく。
これもすごいのだ。
高校時代に嫌々勉強させられていた
物理の法則が見事に生かされている!!!!!!!!
「物理なんて、世の中で役にたつもんか」と勉強しなかったが、・・・・・・・・人命を守るというきわめて大切なところに活用されていた!!!!!!!!!!!!!!!
12月2日 (大隠太陽暦 10月23日) 日曜日 晴
修理してからたった2ヶ月だというのに、また故障してしまった。
今回も前回と同じく電源が入らない!!
23日にマックへ電話したら、25日に取りにくると。
そして30日に修理されて送り返されてきた。
前回と同じで「ロジックボードの交換」。
ウインドウズではマザーボードというもの。
なんでこんな頻繁に壊れるのだろうか。
買ってから5年目だけど、
これで同じ修理が4回目になった。
短い期間にこんなに壊れると
「製造上」あるいは「根本的な欠陥商品」ではないかと疑いたくなる。
マックもこんなものを作っているから、
シェアが少ないのだろうかとさえ思ってしまう。
ロジックボードの修理に関わる費用は
43000円もする高価なもの。
いい加減にしてほしい。
さて・・・・・・・・日記は
23日から1日までズーッと休んでしまった.
前半はパソコンの故障。
後半は東京へ所用で行っていたから・・・・・・・・・・・
年に2回ほど
母が入所させてもらっているケアセンターへ見舞いにいくようにしているが、今回もそのことで。
また出版が決まった次の作品のことで
新宿にある出版社の担当編集者との打ち合わせを兼ねて。
また高い飛行機代がかかっているのだから、
ついでにというか、・・・・・・・・・長男のところと次男のところへ顔見せ、顔見に、にも。
だが次男のところは
伊豆大島なので「強風のため、欠航」で行けず。
ということで、先日
山川から横浜に引っ越したばかりの中村さん夫妻の新居訪問。
出版が決まった作品は、
ここの日記でたまに連載している「帰園田居」。
出版の折にはタイトルは変更されるとおもうが。
来年2月末発売の予定。
今日の夕方、帰って来たが、昨日から
徳島大学に交換留学で来ている
韓国人女子大学生二人がホームステイ(一日ステイ)していた。
日本語が上手で、日本語研究、日本文学研究でだという。
今日の日記はここまでにして、明日からまた、普通に続けます。
埼玉県に新しくできた鉄道博物館、その他の話題は後で書きます。
原稿の加筆要請がだいぶあって、これから頑張らなと!!!!!!!!!!
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