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7月30日 (大隠太陽暦6月17日) 月曜日 雨
天気予報では晴と曇りだったが、
雲がどんどん西から張りだしてきて、
大雨とかすかな日差し、という変な天気になった。
雨量もまあまあ。
おかげさまで、大豆に水をかけることをしないですんだし、
2回目キュウリのために作った溝に水を流しこまなくても済んだし・・・・・・・
まあ、この時期、晴が続いたからありがたい雨。

左の奥に見えるのはコンニャクの木
はじめてのことで、パワーポイントのための原稿つくりが、
右往左往の連続でなかなかまとまらなかったが、
やっと軌道に乗り始めた。
文章にすらすら書くのはたやすいが、
こんなものに映像とか文字情報とかを組み入れて作るのは
なかなか技術がいるもの。
写真もだいたい集め終わったし、あとはアレンジ・・・・・・・・・。
21,22日に富士登山したばかりだというのに、
昨日は高越山へ登ったという柳沢さん夫妻が来た。
シャワー、食事をしていつものように歓談。
そして来週は山嶺に登るというから、
「もしかしたら、山キチガイに!」なんて。
こんなにしんどいことを毎週だなんて、
エネルギーというか気持ちが高ぶっているというか・・・・・すごい!
このペースだと麻里ちゃんだの加容子さんだのは付いていけないだろうね・・・・・・・・・。
ナスのことだが、
今年こそは虫喰いにならずに秋まで成りつづけてくれるかもしれない、
と思えるほど元気に育って、
勢いも感じていたのに、
最初の一時だけ「ウワーッ」とたくさん成ったものの、
いつのまにか葉っぱが虫喰いだらけになり、
ミドリというよりも、茶色くボロボロの葉っぱに急激に変わってしまった。「ナスは農薬なしじゃでけんよ」
なんて近所の人から言われたが、
無農薬では難しいのだろうか。
脱サラいらい15年以上もナスは作り続けているが、
毎年このパターン。
現在でも少しは成ってくれているが、
堅くなって、虫喰いの跡がないものが無い・・・・・・・・・。
それに比べてキュウリとシシトウは成って、
成ってしょうがないほど成る。
アリの行列を二つ発見した。
アリの「だましエサ」がつくってから
10年以上にもなるせいか、
古くて食べてくれないので、作り直す。
水・3、砂糖・3、ほう酸・3、はちみつ・10,の割合で混ぜて煮詰めて作った。
ホームセンターへ行けば「アリ退治」という
「だましエサ」が売っているが、
わが家は、17年前からズーッとこれ。
行列の途中にちり紙に含ませて置いておくと、
いっぱいたかって、食べて、
巣にまで持って帰って、みんなにわけてあげるのか、
3−4日ですべて死滅する。
倉庫2階に米をモミで保存している。
ネズミに食われてしまうので、
袋の周囲に「ネズミ捕り粘着板」を
隙間がないように10枚ほど敷き詰めてある。
これに毎年10匹ぐらいはひっかかる。
たいがいは死んでしまっているが、
たまに一生懸命のがれようと
もがいている生きている状態で発見することがある。
こんな時、無性に悲しくなる。
自分でワナを仕掛けておきながら、
掛かってしまうと、可哀想になるなんて・・・・・・・・・!
志賀直哉の「城の崎にて」を思い出してしまい、
短編なので読み直してしまった。
そして考え込んでしまった。
死んでしまっていても、
身体を引き裂いたりしても、
ボクはなぜかいつも自分をネズミに置き換えて考えてしまうというバカなことをしている。
ネズミだけではなく、
野菜にたかっている小さな虫を潰す時も
「もし自分が巨人にこのようにつぶされて・・・」
などといつも考えてしまう。
ヘビのアオダイショウの時のそうだった。
こういう精神状態は狭心症の手術(01年2月と3月)をしてから
より顕著になってきた。
交通事故で・・と考えると
誰でもが死と背中合わせで生きているのだが、
ボクの場合は心臓・・・・での事故も考えられるからだ。
虫にも、ヘビにも人間同様に命というものがある。
命は人間だけではない。
最近マスコミではやたらと「いのち」という言葉が氾濫しているが、
これはどうも人間だけの命を指しているかのよう。
だがボクはそうはおもはない。
一寸の虫にも5分の魂、というように
魂イコール命があると思っている。
首に竹串を刺されたまま川を泳ぎ、
岸辺からはい上がって生き延びようと
懸命に頑張っているネズミと
粘着板のネズミ。
寿命か事故か屋根に仰向けに転がって、
かすかに足を動かしているハチ・・・・・
他のハチは気にもとめないであたりを飛び回っていて、
介抱しようともしていない。
いつか雨が降ってきてそのハチは流されたのかいなくなっていた。
戦争文学の名言として有名な
「死んだ兵士と死に行く兵士」という感動的な文言。
よく生と死は対極にあるという表現を見かけるが、
そんなことはない、生と死は隣り合わせなのでは。
そんな自分が石を投げてイモリを殺してしまった。
ボクは狭心症ながらまだ生きている。
交通事故にもまだ遭遇していない。
志賀直哉の「城の崎にて」は
倉庫のネズミ粘着板の上でいつもページが開かれているのだ。
他者は死ぬかもしれないと100%思っているのに、
ただ無心に生きるためにだけもがき頑張っている川のネズミ、屋根のハチ。
どうも、今日はおかしい。
7月28日 (大隠太陽暦6月15日) 土曜日 晴 36度猛暑
カボチャを植えてあるあたり草だらけに。
あちこちにツルが伸びているので、草も刈れずにいたから・・・・・・。すべて収穫してしまう。そして草刈り。さっぱりした。
隣の畑に植えてあるブルベリーのネットにムクドリがひっかかっていて、
日干しになっていた。
いつもならば生の常態で野良猫や野良犬の餌食になるところだが、
連日の暑さで、彼らのエサになる以前に日干しになってしまったようだ。
ネットを人間が張るということは、
ネットを見て近づかないようにして欲しいから。
事実長年の経験でもネットを張ると鳥は来ない。
だが時々勇気があるというか、バカというか、無茶というか、
そんな性格の鳥がいて突撃進入してくるが、
頭が小さい・脳みそが少ない彼らは、出口を忘れてしまい、
かならず死が待っている。
彼らはネットの中でご馳走を食べて、生きてネットを出られると思っているのだから・・・・・・・・・。
勇気はあっても脳みそが小さいということを解っていないようだ。

ミョウガがいつのまにか食べられるようになっていた。
柿の木の下に植えてあるので、気がつかない時があるが、今年も気がつかなかった。

ボクはこれが大好きで。そのままミソだけをつけて食べる。
物忘れがひどくなるのでは!と思われるほど、たくさん食べる。
帰園田居 17回目
千葉にいた時に、椎茸のホダ木を山から切りだしてきたことがあるのですが、この時は、チェーンソーを切り口に挟まれたまま、急斜面を転がり落ちて、あやうく命拾いしたので(大げさですが、自分ではそう思っているのです)これこそ世界最高の重労働だと思い込んでいましたが、孟宗竹の切りだし作業は、世界最高をはるかに凌駕する仕事でした。
こんなつらい仕事をしても「しんどいから、辞めたい」などという気持ちは全然おこりませんでした。むしろ爽快感すら感じていたのでした。すべてが初体験ですから、興味津々で楽しかったのです。
こんなにも激しい仕事をして作った竹を利用した「稲の天然乾燥装置・ハザ」作りも初体験のわたしにとっては非常に難事業でした。横棒の継ぎ手あたりには三本の足、途中には二本の足を交叉させてつくるのですが、なんどやっても倒れてしまうのです。やっと出来たと思って稲束を掛けると五〜六束の時はいいのですが、三〇,四〇束も掛けるとグチャっと押しつぶされるように倒れてしまうのです。それでも起きあがりこぼしよろしくというか、三途の川の石積みというか、倒れても倒れてもめげずに立て直し、やっとの思いですべての稲束が掛けられました。この時は飛び上がらんばかりに嬉しかったのです。しかし通り掛かりの人からはバカにされたのです。
「ラクダの背中だな」って言うのです。上手な人が作ったハザだと、稲束を掛けると、上面は平らになるのですが、わたしの作品はほんとうにラクダの背中のように大山、小山の山脈もどきだったのです。「ラクダの背中だ」と言われようと、わたしは「稲が乾けばいいんだ」と自分に言い聞かせ、作り直しなどせずにそのまま家路につきました。うまく干せたという安堵感で満たされていました。天候にもよりますが、半月から一ヶ月で乾燥し、あとは脱穀、籾摺りだけで、自分が苦労して作ったおコメが食べられるのですから。
7月27日 (大隠太陽暦6月14日) 金曜日 晴 35度猛暑
カラカラ天気の猛暑の予報。朝5時起床で畑仕事。
植えたばかりの2番キュウリが乾燥してしまいそうなので、
用水漏れを流す溝から自然に水が流れてくるように溝掘り。
10メートルと長いので、
一輪管理機を使ったり、鍬を使ったりと・・・・・・・・・・・・
隣の人は肥桶で用水から水をひしゃくで組み上げて、
ネコ車ではこび、
またひしゃくで発芽したばかりの大豆に水をかけていた。
うちもいづれやらなければならないが・・・・・・・
2回目講座のレジメ作り。
映像をプロジェクターで映さなければならないので、
慣れない仕事で、古いアルバムから写真を拾いだしたり、
文章を考えたり・・・・・・・・・
これって、ものすごく難しい。
台風4号で全滅!のゴマが10数本だけ地べたから立ち上がってきた。
だがこれっぽっちでは、タネ分がかろうじて採れるだけ!!!!!!!!!
家のすぐ横の田んぼは転作で畑として使っているが、
家側・つまり山側には用水が漏れてくるので、
幅30センチぐらいの溝が掘ってあり、
いつも水がチョロチョロ流れている。
そのために草がたくさん生えていて、
その白い根が縦横に走り、
溝を根でほとんど埋めつくしてしまう。
例年の作業だが、今年もゴム手袋をはめて、
手で根っこごと草を抜き、泥をすくいあげる作業。
こごんでの作業で決して楽ではないが、
水の中に手を突っ込んでの作業なので、まあ、暑くない。
1時間くらい草刈り機での草刈り。
部屋の中にいると、すごく暑いのだが、
こうして分厚いシャツを着て、
戸外で作業しているとそんなに暑さを感じないから不思議。
ズボン、ジーンズのシャツ、Tシャツ、などが水をかぶったように汗みどろ。
軒下に置いてある古い2槽式の洗濯機で洗濯。
やはり2槽式は早くて気持ちがいい。そして汚れがよく落ちる。
これからは作業でよごれた衣服は外で、これで洗おう。
7月26日 (大隠太陽暦6月13日) 木曜日 晴
多分今年一番の猛暑??外はフェーン現象のようにムンムン。
先日草刈りして田んぼの畔の手草採り。
キュウリ、ナス、シシトウに用水から大量の水を引き入れる。
大豆が揃って発芽してくれた。怖いのはハト、ムクドリ・・・・・・・・。
かみさんが茨城県牛久に住んでいる友人から貰ったという
「アンネのほにゃらら」(ユダヤ人収容所の中で描いた子どもたちの絵に関する本)という本を読んで、
感動していたばかりなのに、
レンタルで借りてきたビデオ映画「アンネの日記」を見て、
ハラハラドキドキがさめやらぬうちに、
「夢千代日記」まで見てしまった。
これは原爆症をテーマにした一種の戦争映画だが、・・・・・・。
かたやナチスによるユダヤ人大量虐殺でアウシュビッツに送られてしまうかどうかのギリギリの映画、
かたや原爆症で苦しみつつ限定された残り数ヶ月の人生をギリギリの生命力で生きる幸子・・・
夢千代日記は戦争映画という範疇を越えて
「芸術作品」としても見ごたえのある作品ではないだろうか。
「生きる」「イノチ」をテーマにしてるだけに非常に重い作品だ。
多分、以前書いたかどうか・・・
キュウリだけのジュース、ミニトマトだけのジュースが
意外に美味しいといったら、
「生臭くて美味しくないだろう、なにか果物を混ぜて飲んだほうが」と言われたことがあるが、・・・・・・・・・・
わが家の自家採種の三角キュウリ、
同じくミニトマトはぜんぜんそんなことはない。
どちらもたくさん採れすぎて困るこどなどで、
作るときは1回に500CCは一気飲みするが、すこぶる付きの美味。
帰園田居 16回目
わたしのコメ作りへの気持ちは新車・田植え機を買ってしまったために「百姓してるあいだ、なにがあってもコメは作りつづけるぞ」みたいな気持ちになってきました。そして、来年からはもっとコメの作付け面積を増やし、野菜だけでなくコメも販売して機械の「元(投資したお金)」をとらなければいけないなどと考えてしまったのです。その年の秋には使っていないからと、彼はバインダーという中古の歩行型稲刈り機械をプレゼントしてくれました。稲刈りというと、わたしは腰をまげて鎌で一株一株刈るつもりでいましたので、ほんとうに嬉しかったですね。だけど刈った稲束を干すためには「ハザ」という掛け干しの道具が必要でした。このあたりの農家では木材(間伐材?)の掛け干し台を使っていましたが、木材は買うしかなく、しかも結構値段が高いというので、孟宗竹で代用することにし、竹林を持っている地主さんにお願いして十数本も切らせてもらいました。
「切らせてもらいました」などと言葉で言うと楽な作業のように聞こえますが、急斜面で、長い間管理されず、生えほうだいになっている竹林の中で、太さが一五センチ以上もあるような孟宗竹を切って、道路にまで引きだしてきて、枝を払うという作業は、とてつもなく超超超重労働なのです。竹は中空だから、切るのはそれほどでもないのですが、竹林から曳きだしてくるのが大変な作業なのでした。竹切りをプロとしてやっている人はそれなりの機械で引きずりだしてきますが、道具もない、機械もないと、鉛のように重くて動かないのです。切っても周囲には竹がたくさん林立していますから、切ってもちょっと斜めになって、別の竹に寄りかかるだけです。たった十数本を田んぼにまで運んでくるだけで、他の作業はなにもしないで二日間はかかったのではないでしょうか。半死半生の作業といっても過言ではないのです。石本さんでさえ「おまん一人で引きずりだしたんか!」とあきれてしまうほどの作業でした。普通なら、到底一人でできるような作業ではない、と言うのです
7月25日 (大隠太陽暦6月12日) 水曜日 晴
昨日まで、農作業の頑張りすぎで、今日は農休日。
特に昨日の草刈りは、応えた。
田中さんとの約束で鳴門へ釣りに。アジ75匹。
車の運転中も、釣りの最中も眠くて眠くて・・・・・・・・・・・・・・。
8月にある2回目の講演のためのプロジェクター投影の写真集め、そして原稿書きと、まだまだ忙しい。慣れていれば簡単にホイホイできるのだろうが、ほとんどやったことないのだから。パワーポイントというソフトを起動しての作業だが、すごく時間がかかる。
7月24日 (大隠太陽暦6月11日) 火曜日 晴
春に仕込んだミソがそろそろ食べごろ。
2回目のミソ繰りをやる。
今年は3樽・120キロ位しか作っていないので、
2時間足らずで終わる。
機械の目がおおきいので、なんだか「ミソ繰り」しないでもよかったかな??という感じ。
今年もたくさんの昆布を挟んで仕込んでいたので、味は上々。
昆布は一部機械に巻き込まれて刻まれ、
混ざってしまったが・・・・・・これはきっと美味しさ倍増かも。
今年は1キロ1000円に戻そうとおもう。
例年よりも塩分を控えめにしたので、
5月の段階で黴びてしまい、
大分捨てざるをえなかったから。
昆布入り、塩分控えめは本当に難しい。
午後は疲れがたまっていたせいか、
なにをしても眠くて眠くて立ち行かなくなり、
昼寝で過ごそうと思ったが、
やはり、田んぼの草が気になり、
2時過ぎからは草刈り。
長いのは1メートルも伸びてしまっていて、
たっぷり2時間も連続しての草刈りになってしまった。
水切りして「乾し上げ」をしていた田んぼに久しぶりに水入れ。
夜はNPO法人げんき山川ネットワークの世話人会。
世話人会から帰ってきたら、
福岡県のアイガモ農法の先駆者・古野さんのテレビをやっていた。
終わりそうな時間帯だったが、見つめてしまった。
15年前になるだろうか。
会議で彼とホテルの部屋が同じで、
夜明け近くまでオシャベリしていたのを思い出しながら、
「オレも老けたが、彼も老けたな・・・・・・・・・・・」
皺なんか、オレよりも多いのでは。
ボクはのんびりと年金暮らし、
彼は新たな「乾田直まき、アイガモ農法」の研究中。
考えること多いから、皺も増える・・・・・・・・
多分、53歳??かな。彼は
7月23日 (大隠太陽暦6月10日) 月曜日 晴 梅雨明け
梅雨明けとともに、今日は猛暑がやってきた。
暑くなってくると、とたんに体調が思わしくなくなる。
今日は下半身がとにかくだるいのだ。
昼間猛烈に汗をかいたのに、
水をまったく飲まず(のどが渇いたという自覚症状がなかった)、
家に帰ってきてからがぶ飲みしたからだろうか、とくにだるい。
水のがぶ飲み以後も、
のどが渇いて30分ごとぐらいに300CCほど飲んでものどが渇く。
そして数時間経過してもぜんぜんションベンがでない。
身体のすみずみまで、乾燥してしまい脱水状態だったのかもしれない。
そこへ大量の水補給だったから、
そんなことも影響したのだろうか。
21日土曜日には、「フレアとくしま」が主催する
「人生の楽園をめざして」というタイトルでの講演をしてきた。
2回にわたる講座で、今回が初日。
三十数人の小さい部屋での講座で、
内容はボクの脱サラから農業、年金暮らしになってからの自給自足生活や多くの人々との交流など、
人生二毛作の面白さを感じるようなってきた経過について。
次回8月は「人生二毛作の意義や、
このような暮らしを体験して、新たに見えてきたもの」
など人生を語る予定。
昨日日曜日は、朝早く起きて
「トウモロコシの枯れ木を全部刈り取って、処分し、
そのまん中に、2回目のキュウリ苗を定植。
またニンジンのタネも蒔く。
この時期に蒔くと、2月頃までトウ立ちしないので、
一番長期にわたって食べることができる。
昼にはいつものカラオケ大会。
今回はアメニテイホールで。なぜか急に参加者が増えていて、
80名も出場。ボクのだしものは
「忘れな草をあなたに」。非常に古い唄。
夜はお招きで「お好み焼きとカラオケ」
今日。
梅雨明け、快晴、猛暑との予報でニンジンに寒冷紗でトンネルをした。
インゲンも老化してしまったので、ツルのまま枯れさせるために根際を切った。
サツマイモの草抜き。すでにこんもりとツルが伸びてきているが、その間や周辺が草だらけになっていたから。
帰園田居 15回目
千葉での時は短冊苗で手植えでしたので、田植えの道具といえば、六尺の目盛りつきの棒とシュロのヒモだけで田植えができたので、道具はあまり必要じゃありませんでした。ところが田植え機で植えるとなると、苗箱、苗箱につかう培土、発芽させるために保温する育苗シートなどの資材が必要だが「おまんは持ってないだろうから、おらんちで苗はつくってやる、30枚や40枚余計作ったところで、同じだ」というのでした。
そして、使っていない歩行型の古い田植え機があまっているからと、それをくれるというのです。そして試運転までして、使い方を丁寧に教えてくれました。
ところが、田植え当日、田植え機を倉庫からひっぱりだしてきて、家の前の路上でエンジンをかけ、さあ、田んぼへ出陣だという時、操作を誤まり、一番大切な苗を取りだす爪の部分を道路のコンクリートに打ち付けてしまい、折れてしまったのです。すぐにメーカーのクボタのサービスに来てもらったのですが「この機種は大分古いので、部品がない機種だと思います」とのこと。探してほしいとお願いしたら、まもなく電話で返事がきたのですが、やはり部品がないとのこと。まさに天国から地獄への転落みたいな感じでした。
その日は田植えを中止して、地元の複数の農機具屋さんを訪問し、中古の、まだなんとか使用可能なものがないか探してみましたが、すぐには無理だと言われてしまいました。途方にくれてしまい、「よっしゃ、新車でもいいや」と考えなおし、二社から見積もりをとって、とうとう新しい田植え機を買ってしまったのです。二〇万円もしました。石本さんは、そんなにあわてて田植えしなくても、一週間ぐらい時間かけて中古機械を探すべきだった、と言ってくれたのですが・・・・・・・・。
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