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7月20日 (大隠太陽暦6月7日) 金曜日 曇り
夕べ10時すぎまでかかって、
県フレアへ写真のメール送信を試みたが、
7回分の14枚だけが、
3度もやって戻ってきてしまい、ふてくされて寝てしまい、
今朝、5時に起きて、回線が空いているだろうと思って、
昨日戻ってしまった分を送信してみたら、1回ですんなり。
ホット一息。
つくってもらった、映像順序をたくさん変更してしまったので、
手元ですべてを作り直す。
パソコン操作が下手なので、写真や印刷分の切り張りで作る。(プロジェクター用)
ブルベリーはまだ熟していないと思っていたが、
11時頃になってムクドリの集団がワーッと降りてきて、
木に止まって慌ただしい動き。
パソコンの部屋から見えるので、
「ドッカーン」と大砲の口まねで脅かして、
走って木の側へいってみた。
少しだけ、部分的に熟していたが、まだ程度が浅く、
それほどでもない味。
だが、このままだと全部食われてしまいそうなので、
ネットを買ってきて全面に覆った。
昨年は鳥害は無かったのに、なんで今年は?????????????
英会話クラブ・ファクトリーサロンの有志6人(男性2人、女性4人)
での英語研修??の旅という名目。
ボクにとっては、ソウルへの旅は2回目だが、
初めてのような旅印象だった。
前回の時は、
タダやみくもにガイドさんの後をハアハアいいながらついていって、
なにも覚えていないよ!!だったが、
今回は、ユースリー(アメリカ人・元ファクトリーの先生。現在はソウルで英語教師してる)と逢う約束をしてた場所が
わからなくなって道に迷ってしまい
「あえて早朝散歩をしないですむ」ほど長距離を歩かせてもらえたし、
女性の情熱的な買い物願望をまのあたりにできたし、
ルイビトンのイミテイション販売現場を見せてもらえたし、
メチャ旨いオカユたべさせてもらえたし、
行列ができるギョウザ・麺の店にも入れたし、
チャングムの宮廷料理も食べたし、
薬膳料理もいただけたし、・・・・・・・・
2泊3日(昼すぎソウル到着。翌々日には早朝出発・午前中高松着だから)なので、
1日だけの日帰り旅行みたいなことになってしまったが、
楽しい旅で、長い期間の旅のようだった。
やはりジャン・ミンスクさんというガイドさんのおかげだと思う。(若い女性)
東京や大阪などの大都会で見かける若い女性の服装と、
流行がほとんど変わらない、同じだった。
顔が日本人と変わらないので、
彼女らを見ていると東京にいるような錯覚さえ覚える。
男性もそうだが、
特に女性の話し方が強烈。
日本人はおっとりとやさしい口のききかたをするが、
やんわりしたことでも、
まるでケンカを売っているようなシャベリをする。
また話し中には、日本人女性を笑顔の人が多いが、
怒ったような顔でシャベルから、なんとなく恐ろしい。
本心をきちんと言うという国民性だと思う。
日本人は本心は言わないで、
建前で相手との和を保つことを最重点にしている国民だということを思い知らされる。
顔やスタイルは似ていても、
まったく違う精神構造であることを知る。
7月19日 (大隠太陽暦6月6日) 木曜日 晴
早朝の5時から、大豆のタネ蒔き。
2300粒だったから、1カ所2粒なので、1150株分か。
約2時間、すわったり、腰を極端に曲げたりの連続で、
終わり間際になったら、さすがに疲れてきて、
朝飯食ったら、腰が痛くなって、とうとうコルセットして寝込んでしまった。
あーあ、弱くなってしまったなー。
昨日、県の男女共同参画センターの近松さんが来て、
21日講演会の最終打ち合わせで、プロジェクターで投影する映像のコピーをおいていってくれたので、
その点検や補正の仕事で、
9時頃から夜の11時頃までぶっつづけの仕事。
プロジェクターのための写真選択なんて、
正式にはやったことがないので、
これがいかに大変かわかった。
しかも当事者のボクが、
県の人に適当に写真を渡して
「この中から適当に選んでください」
などと全面的にお願いしてしまったといういい加減さに、
自己嫌悪に陥った。
当事者のボクでしかわからないようなさまざまな写真を、
知らない人に選択を頼むなどという無責任というか、
ほとほと自分がいかにバカかわかった。
こういうものは本来は自分で選択し、自分で順序を決めるもの。
遅ればせながら、この自分でやらなくてはならないことを今日一日でやったのだから、このくらい時間がかかって当然。
しかも講演の日は明後日の土曜日。まさにドロナワ。
写真映像50枚追加で、30枚削除で、合計120枚のものだから、
大変な作業。
手持ちのすべてのアルバム、ハードデスクの中の写真を見て、選んだ。
そして、1メール2枚づつメール送信したが、
12枚だけが、戻ってきてしまい、なかなか相手に届かない。
写真説明作りが、明日一日かかりそう。
吉林省京劇は中国雑技団(サーカスのようなもの)、
歌舞伎的なもの、
オペラのようなものを3ツたし算して割ったようなもの、という印象を受けた。
スピーデイ、軽業のような曲芸を見せてくれるし、
超スピードのバックテンがすばらしい。
舞台横に字幕がでるので、誰にでも分かりやすい。
出し物は西遊記の中から「火焔山の火を消すくだり」
孫悟空の身軽な動き、三蔵法師の貫録、猪八戒のコミカルな動き、会場から頻繁に拍手や笑いが起こるほどの大活劇。
2時間の舞台だったが、あっというまに終わってしまい、夕方の帰りのバスに乗っても目の前を軽快に動き回る孫悟空の姿がチラチラ。
7月18日 (大隠太陽暦6月5日) 水曜日 晴 猛暑
「ほぼ毎日更新」なのに3日も休んでしまいました。
15日には、大阪NHKホールで行われていた
「吉林省京劇 火焔山」を見に行っていて、
遅く帰ってきてしまった。
16日には上勝に住んでいるパン屋さん・マグノリエの柴田さんの家族3人、
徳島市内で三集屋さんという自然食品店を経営している徳永さん夫妻(この人の息子さんはオールジャパン・ギタリストコンクールで優勝した真一郎君のご両親。彼は現在世界修業中でフランス滞在中)、
国際交流協会に在職していて英語が堪能な野水さんのおくさんと子どもさん2人という
6人もの大勢が「ソバ打ちを教えて」とやってきて、
ソバ打ち、試食。12時ごろから4時過ぎまで。
いずれも話題豊富な人たちばかりで、
楽しい一時を過ごすことができた。
そして昨日・17日には釣りへ。
川島の田中さんと一緒に行こうとしたが、
彼は16日に行って、まったく釣れなかったので、
当分はどこへも行かないと魚たちを大分怨んでいたから
一人で行ってきた。
釣り場は前日田中さんが行って全く釣れなかったという場所なのに、
たいへん良く釣れた。
もちろんこの時期はマメアジなんだが85匹も。
そして今日は、県の男女共同参画センターの近松さんが来て、
21日講演会の最終打ち合わせで、
プロジェクターで投影する映像の点検作業。
大豆蒔きのために畑作り。
例年はトラクターのロータリーを使って
畝幅1100にしていたが、
今年は管理機の幅を考えて
ロータリーの後部車輪から75センチのところに
鉄棒を設置して線を引き、
やはりトラクターでタネ蒔き溝作りをした。
明日は早起きして蒔くつもり。
13,14日と続いた台風4号の大雨でゴマがほぼ全滅に。
その他の野菜はそれほどでもなかったが、
ゴマだけはまだ幼年期だったこともあって、
強風が吹く以前に大雨で倒され、
押しつぶされるように地べたに寝そべってしまった。
95%はダメだと思う。
8月の収穫を間直にして、大量の在庫を早く食べてしまわないと!
と連日たくさんすりつぶして食べていたが、
また今日からはあと1年持続させるために、
ユックリ目に食べないと・・・・・・・・・・

7月14日 (大隠太陽暦6月朔日) 土曜日 大雨 台風4号の関係
夕べから、そして今日一日、切れ目無く大雨。
家のまえの用水本流は滝のような急流と化し、
わが家の畑に注ぐ塩ビの筒からは不要な水が噴き出してくるし、
上の段の畑から、
わが家の畑に水が溢れてきて、
わが家の畑からはすぐ下の段の畑に溢れて、
そしてその下の小川へ溢れる。
溢れるといっても洗面器から溢れるなんていう悠長なことではない。
段々畑なので、畑のあちこちにアナが開き、
そこからジャーと流れているのだ。
土も一緒だからものすごい。
外の雨を眺めながらのパソコンだが、
ちょっと雨の降り方が弱くなったかな?と思うと
外へ飛んでいって、アナふさぎ、石運びやら、・・・・・・・・・
強風が来る前にゴマに支柱と思っていたが、
雨だけでべったりと倒れ、寝てしまった。
もしかしたら、ゴマの収穫は期待できないかもしれない!!!!!!!!
ナチスドイツの収容所で
600万人のユダヤ人等が殺されたことを知らない人は、
いまやいないと思うが、
収容所の中で明日の命をも知らずに
紙の端切れを拾って描いた子どもたちの絵を
日本で展示運動をしている作家の野村路子さんの本を借りて読んでいる。
まだ終わっていないが、
あまりにも壮絶で、悲しくて、・・・・・・
絵を描いた子どもたちはほとんど殺されてしまっているが、
何人かは奇跡的に生き残っているようだ。
野村さんは娘さんといっしょに、
関係国を廻り、蔵書されている場所(チェコのユダヤ博物館、テレジン記念博物館、在日チェコスロバキア大使館、ヤド・ヴァシム虐殺記念資料館、在日イスラエル大使館、安田火災海上)をめぐり、
大変な努力をして、日本に借りてきて、
現在はそのうちの150点の原板は埼玉県平和資料館に展示されているという。
本のタイトルは「15000人のアンネ・フランク テレジン収容所に残された4000枚の絵」
7月13日 (大隠太陽暦5月29日) 金曜日 大雨
台風4号の接近で、梅雨前線が活発化して、連日の大雨。
「今年の梅雨は小雨」なんていう予想は完全に覆った感じ。
朝から、裏の畑は水田状態。もしここへ台風の強風が来たら!
と思うだけでゾッとする。
ゴマが倒れてしまうだろうし・・・・・・・・・・
インゲン、キュウリがユサユサ揺られて強制終了させられてしまうだろうし、ナス、シシトウの・・・・・・・・
田んぼは排水モードにしてあるから大丈夫だが。
11時半から岡本さんの告別式。
雨の中、彼女は泣いているのか、
「雨なんかへっちゃらよ」と
いつもの元気な顔で立ち向かっているのか。
わが家にとって岡本さんのいない空間は
しばらくは埋められないのではなかろうか。
いつも笑顔の丸い顔が、いまにも、玄関から入ってきそうな感じ。
帰園田居 14回目
こんな経験が尾をひいていたためか、山川町では田んぼを借りても畑として使っていて、コメ作りは念頭にありませんでした。せっかくの「魂」の感動をわたしは忘れてしまっていたのです。多分、魂の感動よりも「マメから流れた鮮血、着衣をずぶぬれにするほどの汗と塩、腕・肩・腰・全身の筋肉痛」がより強く頭を、全身を支配していたのではないかと思います。
「おまん、コメやんねーのか。コメやらんと百姓じゃあんめ」と石本さんに言われてはじめて「コメ作りをしないと!」とハッと気がついたのです。米は日本人にとってもっとも大切な食べもの、文化でもあるということを思い出させてくれたのでした。
「農機会社・クボタの農機具市があるから、行こうや」と誘われ、数日後に、免許証のない石本さんを載せてクボタへ行きました。車の中で、彼は「コメ作りぐらい楽な農業はない」ということを力説するのでした。「野菜なんぞやっていたら、身体がもたん。あんなしんどい仕事はない」などと言うのです。トラクターで走れば田起こしも代かきも簡単だ、田植えも機械で走れば腰が痛くなるなんてこともない、稲刈りはコンバインで走ればすぐに終わってしまう、自分で作ったコメはほんとうにうまい、などと「コメ作りは他のどの野菜作りよりもラクチン」かをしゃべり続けていました。田植え機は使っていない古いものをあげるから、トラクターだけは使い道みちがひろいから買いなさいという。中古なら二〇万円もだせば買えるから、としきりに薦めてくれたのです。
そして、とうとう買うつもりもなかったトラクターを「畑でも使えば、おまんとこのチッコイ耕運機なんかよりもずーっと楽だよ。見ろ、これなんかたった一五万円だ。買っとけ」とそそのかされて、突発的に買ってしまったのでした。以前から持っていた小型の手押し式の耕運機は新車で二〇万円でしたから、この中古トラクターは安い!!という印象でした。
このおかげで、畑の耕運作業が天と地の差ほども楽になりました。手押しの耕運機は車輪がついていなくて、車輪相当部分にロータリーが横長についているものでしたので、耕運した後がでこぼこで、最後は手作業でなだらかにしないとタネ蒔きすらできないという代物でしたから、トラクターは一回走っただけで、美しく平坦になるので、驚きの機械・トラクターでした。
わたしにコメ作りを強く薦めたからでしょうか、それからというもの、石本さんは、なにかにつけわが家にきて、ことこまかに手取り足取り本当に親切に教えてくれました。
7月12日 (大隠太陽暦6月28日日) 木曜日 大雨 曇り
9日朝からから11日の昼まで、
6人グループで韓国ソウルへの旅をしてきた。
英会話グループの中の有志で。
女性4人と男性2人、
50歳過ぎのおばさんとボクみたいな70歳のおじいさんという
ジジババグループだ。だが、
ボクを含めて、みんな若々しく、
全員50歳台とも誤解されそうなはつらつ旅行だった???
買い物大好きの女性が多数派なので
世界遺産の昌徳宮見学、ナンタ見物以外は買い物ばかり。
南大門、東大門、明洞、仁寺洞の商店街ばかり。
宿泊はコリアナホテル。
冬ソナロケで有名なプラザホテルのすぐそば。
食べたものがすごい。
9日夜は2年前まで山川町でAETしていたユースリーさんと逢って「薬膳料理」
2日目は、朝食は小公という有名なお粥の店で絶旨おかゆ
(プラザホテルの裏)。
昼は明洞の行列ができていた韓国麺とギョウザの店、
夜はチャングムの宮廷料理、
そして厨房用品を楽器にみたて、
たった5人で演ずるミュージカル??見物。めちゃくちゃ愉快。
食事と演劇見物以外のすべての時間は
女性軍のショッピングおつきあい。
気がついたこと
日本人旅行者がすごく多い
大型の観光バスで、というよりも
20人以下しか乗れないワゴン車での観光客が圧倒的に多い、
暑い夏だというのに、暑くない日にめぐりあえて快適。
梅雨だというのにこの2日間だけ雨ナシ。
同行したアイチャンの知り合いだという
ガイドさんにお願いしたので、
無駄なく、いいところばかりを見物できた。
(料金はガイド2万円、運転手と車料金が2万円。合計4万円。ジャンさんという若い女性ガイドさんがすごく優秀で、ガイドの国家資格をもち、現在日本の資格取得で勉強中だとか。彼女は従来は会社の社員だったが、免税店へ客を連れ込まなければならないなどのノルマに矛盾を感じて退社し、現在はフリー)
ガイドさんのおかげで、買い物、食べものでごまかされることがまったくなかった。
政府機関周辺の警察警備がものすごくものものしい。青瓦台の前などは車の一時停車でもはやく行けと注意される。
有名ブランドのイミテイション売っている店の奥まった裏のそのまた裏の部屋に入って、
どんなものが偽物かよく教えてもらえた。
最高級の偽物は個人のマンショで販売され、
B級のニセモノは店の奥まった部屋の中だという。
韓国は取り締まりが非常に厳しいという。
(名言 本物にはランクはないが、偽物にはランクがある!! って教えてもらった)
日本人、韓国人、顔がまったく同じで、
しゃべっていないと、まったくわからない!!!
服装もまったく同じだし。
太りぎみの人の割合が日本よりも少ないのでは???????
店で食べる時の、一人前の盛りつけの量が日本よりも多い!!
ハングルがぜんぜんわからないので、・・・・・・・・・・
できればハングルの下に英語でも書いてあれば
会社名、地域名、信号、が少しはわかるのに、ほとんどない。
だから不気味な暗号の中、迷路を歩く気分。
しかもハングルの看板、文字が道路のあちこち、
建物、あらゆるところに氾濫状態。バスの窓までハングル模様。
話しかたが、ケンカしているように聞こえる。
ガイドさんはわれわれと話すときには普通なのだが、
運転手さんに「どこそこへ行ってくれませんか」という場合などは
「このやろう、こんちきしょう、あそこへ行けっていうの、
わかんねーのか、このくそったれのばかやろう」って聞こえる。
また町での若い女の子の会話もケンカしながら歩いているみたい。
しかも笑顔を作らないでまじめ顔での会話が多いからなおさら・・・・・・もちろん男性も同じだが。
やはり自己の主張をはっきり言う国民性なのではないだろうか。
日本人はすべて曖昧だし、本音を言わないし・・・・・・・・
顔は同じでも遺伝子はまったく違う
人によっては中国人も韓国人に近いが、まだ韓国人ほど厳しくないという。
旅行中、われわれ共通の知人、
ボクの家族は親戚みたいにおつきあいさせてもらっていた
岡本美佐子さん急死の電話。くも膜下出血だという。
独り住まいだったの、死亡してから数時間後に訪問した人が発見したという。
今日はそのお通夜で明日13日が告別式。
まだ66歳。ボクたちが徳島に入植してまもなく、
ボクの本を読んでわが家を訪れ、
たまたまわが家に居合わせた井内さんのおばあちゃんの紹介で
現在の土地を購入できて住んでいた。
押し花師範の資格を取得し、
インストラクターとして活躍し、
また地域では婦人部の中核として田舎産物の販売などに大活躍の人だった。ボクはその訃報を聞いて信じられなくなり、
しばし頭がまっ白くなってしまった。
かみさんはずーっと泣きっ放しだった。
それほどわが家とは関係の深い人だった。
今日は大雨が降ったりやんだり。
タネ蒔きしてないはずのヘチマが、
こぼれタネから、十数本も発芽してしていて、
すでに金網に巻き付いていた。畑は水浸し。
タマゴを盗もうとしていた
アオダイショウを高枝切りで首を締めつけ、
50メートルほど離れた小川へ放り込んで逃がす。
アオダイショウは守り神でもあって、殺すわけにもいかず・・・・・・・・。
サイズは中ぐらいで、長さは150センチぐらい。
太さは家庭用包丁の柄3本ぐらい。
ボクが留守中の昨日、一昨日と全部食べられてしまっていたらしく、
タマゴはなかった。
「虫嫌いの田舎暮らし」(自著)の登場している
アオダイショウは優に2メートル以上、太さは今日のものの2倍はあったし。
インゲンの収穫期が終わった。ほとんど食べないで終わりだ。大豊作で全部?ニワトリのエサに。
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