6月10日 (大隠太陽暦4月25日)  日曜日   晴   

昨日のAETの田植えで、わが家の田植えはすべて終了。
なんでもそうだが、田植えそのものはたいしたことないが、
その前段の準備と終わった後の片づけ作業が大変。
苗を作っていたプールのビニールをはがして洗って、
さらに干して、しまう。
苗箱を洗って干して、結わえてしまう、
田植え機で欠株になったところを補植する、・・・・・・・・・・・など。

トウモロコシがカラスに食べられないように
今年は釣りのテグスを張りめぐらしてみた・・・・。

畑、全部耕運。野菜 ナス、キュウリ、トウガラシ、シシトウ、トウモロコシ、ササゲ、インゲン、サトイモ、ネギ、エダマメ、ジャガイモ、コンニャク、ブルベリーが植えてあるところは除外して。
だいたい1反2−3畝はあったのではないだろうか。

午前中2時間もかかってロータリーの爪の交換をしたので、すこぶるキレイに耕運できた。

イノシシ避けのトタンと薮の緩衝地帯の草刈り。
トタンから2メートルぐらいの草を刈っておくと
イノシシは警戒して来ないという説があるからだが。

ブルベリー周囲の草も刈る。

このような雑用ばかりの一日。こんな雑用がいちばんくたびれる。

現在「干し納豆」の試作中だが、なんとかレシピができたみたいだ。
大豆4カップ(1200g)を一昼夜充分に水を含ませてから、煮る。
耳たぶ程度の柔らかさまで。
わが家では圧力鍋と昔の保温ジャーを使うので、ちょっと違う。
ジャーに大豆を入れて熱湯を注ぎ数時間。
これで充分煮豆になっている。
これを圧力鍋で2分。自然に冷ます。

これをポリの器にいれれ、
市販の納豆(3パック90円のもの)1パックを混ぜる。
別に熱湯を湯たんぽに入れて、
煮豆のポリ器と湯たんぽを抱き合わせて、布団の間に置く。
そして36時間で納豆はでき上がる。
この納豆はフタをしないで2日ほど放置する。

そして醤油200cc、砂糖30g、トウガラシの粉8gを混ぜ込み、
天日で干す。
半乾燥の時に小麦粉をまぶし、さらに干す。
カラカラになったらできあがり。出来上がりは470g。
わが家では40gづつ袋にいれて保存している。
この方法は完ぺきだと思う。

6月9日 (大隠太陽暦4月24日)  土曜日  晴 朝だけ猛烈な雨 

クリス、ケリー、アーニャ、そして留美の田植え体験。
川久、中川、箕田さんから田植えの器具をかり、さらに実地指導までしてもらって、無事終了。徳島新聞の記者もきてくれて取材。掲載されるかどうかは??????
加容子さんも昼食のお手伝いなどで、
わざわざ徳島市からきてもらい「たこ焼き」の実演。みんな大喜び。
いい日本体験になったのではないかと想う。

執筆している帰園田居の中で「徳島に住むようになってから、わが家を訪問してくれた外国の人たちは16カ国になる」と書いたが、ケリーは南アフリカからきてるので、167カ国にもなった。


田んぼですごいい光景に!!
プラスチックの畔波がガタンと音がしたので、「なにか?」と見つめたら、トノサマカエルが飛び越えてきて、
猛烈な早さで苗の間をハードル競技のように突っ走っていった。
すると、そのすぐ後を
ヘビが畔波を飛び越えてきて、
カエルのあとを追う。
猛スピードなので、
たちまちカエルは捕まりそうになったが、
田植えしたばかりで柔らかい土の中に潜ってしまった。
獲物を見失ったヘビは
カエルが潜ったあたりを旋回。
どこへ行ったのか?と思案気に首を回した。

平常心のボクならば、
「ヘビがカエルを捕まえて、飲み込むぶ場面をみたいもんだ」
ということになるのだが、
なぜか、今回だけは
「カエルさん助かって欲しい、ヘビに見つからないように、
どこかえヘビが行ってしまうまで、土から出てこないで」
と祈るような気持ちになっていた。
一瞬、アレッ、オレおかしくなったのかな?
と思ったが、やはり
「カエルに助かって欲しい」「ヘビのヤツは憎い」
と思うようになってしまい、
足下の泥を団子にして、ヘビめがけて投げつけた。
ヘビは思わぬ援軍到来に驚いてか、
追ってきた畔波のほうへ逆走し、
畔波を飛び越えて竹やぶの中へ消えていった。
カエルはどうしたんだろうか?
いつまで潜っていることができるのだろうか。
永久に息をつめていられるわけがないし・・・・・・・と
思っていたら、とぼけた表情で、プイと水面に顔をだした。
ホットした。


帰園田居  4回目
わたしは国民学校二年生の時に戦争疎開で千葉市から茨城県の農村に住むようになりました。母は陸軍の将校の妻でありながら、敗色濃厚で食べもののみならず、すべての物資がなくなる中、和服を脱ぎ捨てて、農婦になって食べもの作りに励みだしたのです。今なら「脱奥様百姓」にです。母は当時国民学校二年生、三年生のわたしには農作業を手伝えとは言いませんでしたが、焚付け(薪、たきぎのこと)や食べられる野生の生きものを獲ってくることがわたしの仕事みたいになっていました。この田舎で高校三年生まで過ごしましたが、農業を手伝うように、なんども命令されましたが、そのつど、上手に逃げ回って、農作業はなるべく手伝わないようにしていましたので、「農業の体験は?」などと聞かれると、「ありません」と答えるぐらいしか経験はしていません。むしろ、農業が嫌だから逃げ回っていたのだと思います。

そんなわたしが、脱サラして農業に!などと言ったのですから、家族も親戚も「バカなことを考えるのはよせ」ということになってしまいました。茨城県で暮らしている母には「おまえが!!あんなに嫌がって逃げ回っていたくせに・・・つまらんこと考えるのはよせ!」などと言われ大反対されたのです。とにかくまわりの人たちは全部反対でした。
しかし厭きずに毎週の農業体験をしているうちに、長男は「おとうさんの人生だから、好きなようにしたら」と殊勝なことを言うようになり、次男も娘も多少のニュウアンスの違いはあるものの、同調してくれるようになり、英子さんは疑問を投げ掛けながらの反対のような反対でないようなどっちつかずの態度になってくれるようになったのです。

6月8日 (大隠太陽暦4月23日)  金曜日   晴  

田植え。
コーナンで買った培土、500円以下と安かったが、どうもイマイチ。
根張りが今までで最低に悪い。
だから、箱から簡単に外れるし、
苗だけをつまんで田植え機にのせる時も、
底に板をあてないと崩れてしまう。
来年はこの培土は買わない。

明日、ガイジンさんたち4人の手植えの分、
ほんのすこしだけ残す。1畝ぐらい。

木枠の伝統的な田植え具を2台借りたが、
貸してくれた人は
「これは良くないよ。ちょっと注意を怠った
だけで、曲ってしまう。こんなもん使わないで、ヒモを張って植えたほうがいい」という。たぶんそのようになりそう。

どんな具合になるか、今から楽しみだ。勢川さんがたこ焼き作ってくれるというし。

ニワトリの産卵パターンががっりと変わってしまった。
1個
6個
1個
6個
というパターンにだ。数日まえまでは毎日6−7個だった。

要因としては二つ考えられる
一つは気温が高くなった。
もう一つはいつもの配合飼料を減らして、
在庫でもっていた小豆色のソラマメを24時間熱湯のジャーに入れておいて、
煮えた状態で野菜カッターで粉砕して混ぜてたべさせるようにした。
彼らはソラマメがあまり好きでないらしく、
午前中の空腹時はソラマメだけを残して食べて、
午後に、「食べるものがないのならしょうがないか」
という感じで午後にいやいや食べている様子。

このソラマメは例の美味しい小豆色のソラマメのこと。
人間には美味しくてもニワトリには美味しくないのだろうか。

「結い」という習慣が昔、農村にあった。
山川町では、一部で今も残っている。
あきらかに「結い」というカタチではなく、
「助け合い、助けてもらう」というカタチかもしれないが。
わが家の近所の人が、病気で田植えが出来なくなってしまった。
ヨソモノのボクだとしたら、
友だちつき合いをさせてもらっている
Oさん、Aさんなどに電話して頼むしかない。
だがここでいう結いというのは、
近所仲間での助け合い、協働だ。
なにがしかのお礼をするのではなくて、
労力で返すのではないか。
彼は隣の人のごく自然な感じでの田植え代行をしてもらっているのだ。
この2軒はいままでもなにかにつけて協働して作業している。
見ていてすごく自然な感じがするのだ。
結いは化石の郷土文化などという人がいたが、
化石ではなくて
「どっこい生きている」文化ではなかろうか。

6月7日 (大隠太陽暦4月22日)  木曜日   晴  

タマネギの吊るし作業。6個づつヒモで結わえて、
庇の天井に吊るすのだ。
こうすると、わが家のタマネギ品種だと
来年の2月までは保存可能(とタネの袋には書いてある)。

ボクは循環器系統の病気モチなので
タマネギは特に大切な食べもの。
昨年度はボウズばかりで大失敗し、
赤星さんに大分援助してもらって、たくさん食うことができた。
年末頃になると、腐ってくることもあるので、
どうなるかわからないが、これだけの収量があれば充分。
二日おきに食べてもいいぐらいだから。

ナスとキュウリの「手」を付ける(ヒモのこと)
キュウリの側枝切り、
もらった年中食べられるネギの定植。(ボウズができないので、根を残して地上部を切って食べるようにしていると、年間を通して食べられるという)

明日は田植えの予定なので、水の調整で、一部を放流。

こんな雑用仕事ばかり。

思い立って、雑用農作業で一日にどのくらい歩くのか調べてみたくなって、腰に携帯電話(万歩計付き)をくっつけていたら、
なんと7000歩も歩いていた!!!!
昨日も雑用農作業だったのだが、やはり7000。
以前、ウオーキングでそうとう遠方にまで歩いたが、
1万歩いかなかった。
家の周囲、田んぼの周囲を仕事で歩くだけで、
こんなにも歩いているなんて、驚き!!!!!!!

仕事で歩いていると気がつかないが、
「散歩」として歩くと、数分ごとに下肢がしびれてくるのだが。


帰園田居    第3回目
英子さんは看護婦でしたので共稼ぎでした。子どもは三人いましたが、五人揃ってご飯を食べたというのは、一ヶ月に数回ぐらいしかなかったと思います。
わたしは会社からの帰り時間はいつも遅く、英子さんは交代勤務でしたので、夕食などは子どもたちにお金を二〇〇〇円ぐらいわたして、
”適当に店屋モノでも出前でとって食べてね”、ということがしばしばでした。そのたびに申し訳ないな、と反省だけはしていたのですが。英子さんは、わたしよりも悩んでいたのではないかと思います。

四四〜四五歳ぐらいの時だと思いますが、就業規則に書いてあった五五歳定年という文字が頭にこびりつくようになりました。五五歳だったら、きっと自分はまだまだ元気ではなかろうか。だったら、それまでにできるだけ早く、一生続けられるような仕事を探さなくては、・・・・・・・と強く思うようになったのです。
定年がない自営業で商売でもやろうかな、などと考えて、いろんな商売のことを調べてみました。だが、どれも「そうだ、これにしよう」というものに当たりませんでした。そのうちに一年、二年と、時ばかりが過ぎてゆき、長男、次男は大学、末の娘は高校生になりました。

この頃に農業の本をたまたま図書館で手にしたのです。しかもそれは有機農業について書かれた本でした。「有機農業賛歌」のような内容で有機農業は環境、人間の食べもの、人と人とのつながりなどすべてにわたって、いかに素晴らしい農業かを説得力ある筆致で書かれていました。わたしはすっかり有機農業の虜になってしまった!といっても過言ではないほど強い感銘を受けてしまったのでした。次々と有機農業関連の本を読みあさり、ついに夢遊病者のように、本に紹介されていた隣町の有機農業農家・Sさんに電話して「体験・研修」をお願いしてしまいました。
未だ「農業やる」ということを明確に決めていないのにです。
「脱サラして農業をやるとは決めてないけど、どんなものか確かめるつもりで、ちょっと手伝わせてもらいながら、様子をみてくる」というようなことを英子さんに言って、体験研修に通い始めたのです。

6月6日 (大隠太陽暦4月21日)  水曜日   晴  

タマネギを全部引き抜いた。
昨年はボウズがたくさんできてしまい、大失敗。
だが今年はボウズもぜんぜんなくて、良かった良かった。

刈り取って倉庫に置いてあったソラマメの実をもぎり取った。
もうすこし乾燥させてから黒いサヤから中身を取りだして、
さらにカラカラになるまで干す。

梅雨時になったら、
「ソラマメだけの醤油」にトライしみようと思う。
以前にもここに書いたが、小豆島の醤油屋さんが
「大豆アレルギー」の人も使える醤油として開発して発売しているHPを見たから。
めちゃくちゃ高い値段がついていたが。
ソラマメの収量は少ないのでほんの少しだけだが、試作してみるつもり。

最近になっても「今関さんの本を読んで、どんな暮らしをしてるのか、逢いたくなった」と言って来る人が年に数人はいる。
話しの中に、
有機農業で野菜を作って販売したいとか、
食品添加物がこわくて、商品の表示にいつも気をつかって買い物をしてるのだけど、
今関さんは加工食品まで自給自足しているみたいで、
羨ましいかぎり、と言う。こういう話題がほとんど。

有機農業で野菜作りを、と相談においでになるのはいいが、
有機農業に関する新聞記事を読んでいない人がほとんどすべて。
すでにJAS法で有機農産物の規定がきめられていて、
化学肥料と農薬を使わないで野菜を作りました、
そしてすぐに「有機、無農薬・無化学肥料栽培の野菜です」といって販売・・・・・・
というわけにはいかなくなってしまっていることを、
農業に関心をもっているような人でありながら、
ぜんぜん知らない!!!!!!!
ボクがやっていた時代ならばそれでよかったのだが・・・・・・・
今はダメ!!!!!。
認証団体に加盟して、検査を受けて認証をうけなければならない・・・・・・・・

また食品添加物についてだが、
こちらは消費者を含めてだが、
裏の表示を見て、
自分の知識範囲の添加物がなければ「無添加」
という業者の表示をあたまから信じてしまっている!!!!!

無添加は添加物が入っていないということではなくて、
法律(食品衛生法)が決めた添加物が入っていないというだけで、
業者が新たに発明した添加物はいくら混ぜても無添加!!!!!!!!

科学技術は日進月歩だから、
毎日のように新しい添加物が発明されていて、
法律などはとても追いつけるような世界ではない。
それでいて
「あたしは、商品の表示をよく見てから、買うようにしてるんでございます」!!!!!?????
ボクは言う。
「流通している商品を買って食べている人は無添加のものを食べてますのよ」なんてこだわりを持たないほうがいい!!!!!!!
麺つゆ、マヨネーズなどで、
たんぱく加水分解物を加えて
「無添加」を売り物にしているものがあるではないか。
たんぱく加水分解物は添加物で、
グルタミン酸ナトリウム(従来はこれがおもに使われていた)は添加物。
だからこの種の麺つゆ、マヨネーズは無添加として販売されているんだが。

だから、ボクはインスタントラーメンをなんのこだわりも無く買って、
食べている。しかも大好物だ。
ボクにはこういうものを作れないのだから、
いちいち「無添加・・・・」なんて詮索しない。

だが、ボクがインスタントラーメンが好きで、
いいことがあると、お祝いで食べるというと、
ボクをバカにしたように嗤う人がいるということは、
嘲笑すべきことだとボクは思っている。

わが家の味噌についても同様のことがあったっけ。カビの生えない無添加ミソと、カビるわが家のミソ。

6月5日 (大隠太陽暦4月20日)  火曜日   晴  大雨

年に一度の老人健診。
この名称が嫌で、いつもの診療所の受付の女性は知り合いなので、
「老人健診できたよ!」と大声で、にやにや挨拶。
「70じゃ、老人そのものよ」
「もう、オレも老人だし、片足棺桶だよ」
「今関さんなまだまだよ」
「もう背骨の狭窄升で右足が棺桶に入ったみたいだよ」

オーストラリアから来ていた知子一家に感化されて、
DVD,、とかビデオを鑑賞する癖がつきそうで・・・・・・・。
神戸博物館で思い出させられた
「誰がために鐘は鳴る」のDVDを借りてきてみてしまい、
今日また「怒りの葡萄」を借りて来てきてしまった。
「誰がために鐘は鳴る」が160円、
「怒りの葡萄」が75円なんだって。
わが家のテレビは31インチだから、
映画館へ行かなくても、コレでボクにはじゅうぶん。
「老人と海」はなかった。
夕べは「駅馬車」をテレビで観たし、・・・・・・・・・
ボクはこういう古い映画が好きなんだ。
しだいに薨じてくると、虜になりそう。

ファクトリー英会話クラブで、旅行することになった。
7月の中旬にだが、「英語の実践」ということなのに、
なぜか変質して「韓国食べ歩き、ショッピング旅行」に。
カモフラージュで昨年7月まで講師していて、
現在韓国に滞在しているユースリーに逢って、
一緒に食事をする!!!!!!!!
英語圏へ行くという趣旨だったのだが・・・・・・・・・・。
会社勤めの人が3日の休暇が限度だというので、こういうことに。

晴天続きで、ナスなどの野菜が水を欲しがっている感じ。
用水堀を水を引き入れて終わった3時過ぎ、
一天にわかにかき曇り、ものすご雨、夕立か。
夕立にしては長時間で、代かき後で土が頭をだしかけていた田んぼも湖のようになり、
大助かり。旱天に慈雨、恵みの雨!!!
野菜に水入れする前に降ってくれれば、さらに良かったのに。

雨の直前に、黒く枯れたソラマメの取り入れ。これはグッドタイミング。

(2)帰園田居
一)こうして農村で暮らすようになった

わたしの脱サラ・新規就農・田舎暮らしは、安心・安全な食生活、環境問題などを真剣に考えて選択して決めた人生方向ではなかったのです。
一九八四年頃に農業への参入を考えたのですが、その頃は脱サラ新規就農する人はごく僅かでした。たまに新聞や雑誌で書かれる論調でも「サラリーマンをやめて農村で暮らし、農業をやるということは、あまりにも失うものが大きく、得るものがすくなすぎる」というようなことでほぼ一致していました。それなりに暮らしがなりたつ安定した収入がなくなるのは、現在でも同じだと思うのですが、将来の生活設計は?などとあまり深刻に考えると、ますます否定的なことばかりになってしまいますので、清水の舞台から飛び降りるように「エイッ」という感じでないと、なかなか踏ん切りがつかなかったのです。
わたしよりも早い時期に田舎暮らしを考えて、あちこち入植地探しをしていた埼玉県在住のSさんは、わたしが徳島県に定住するようになっても、まだ土地探し中だといってふらふらしてました。「理想が高すぎるんじゃないの」と言ってみたら、「気持ちがはっきり定まっていないけど、土地探しをしないではいられなくなる。だけど、ここならいいや、という土地が見つかってしまうと、田舎での収入のことが、急に頭をもたげてきて、躊躇してしまう」と言っていました。
彼は「それなりの安定収入がある仕事と便利な都会生活を棄てる勇気」という一番大事な点に、結論を完全にだしていなかったのかもしれません。
「お金さえ払えば、なんでもすぐに買えて、”便利”に囲まれた暮らしができる都会暮らしを完全に棄てる」ことができないと、当時の脱サラ就農・田舎暮らしはできなかったのでした。
だから、わたしがこんなことをいうと変ですが、当時は「ほんとうの変人」ばかりが脱サラ就農したのではないでしょうか。最近では違ってきましたけど。しかし、定年後の年金収入がある人ならば、そんな収入の心配はぜんぜんないのですから、「便利な暮らしを棄てる」だけでいいのではないでしょうか。「お金さえあればすべて賄える暮らし」から「その気になれば、自分の才覚でなんでもクリエイトできる暮らし」への転換なのだと考えればいいのではないかと思っているのです。

6月4日 (大隠太陽暦4月19日)  月曜日   晴

朝の7時から、代かきを。明日の予定だったが、気が変わって・・・・・・・
9日にAETが来て田植え。
だが、彼らにはそんなに多くの仕事をさせるわけにもいかない。
だから予定している田んぼの半分だけを残して、
その前日にすべてを終わらせてしまったほうが、いいかな???
と思って。

とすれば、8日に田植えをやってしまう。
この日から逆算すると代かきは今日がいい!!!
中3日で田んぼが安定するし。
彼らの田植えは手植えだから中4日でもOK.
そんなわけで、今日、代かきをしてしまった。

トラクター、いろいろな道具類の洗浄、
などで、すべての片づけが終わったのが午後2時。

ビール(中瓶)飲んで昼飯食ったら、
酔っぱらって、眠ってしまう。このごろほんとうに弱くなった。

今日から、日々の日記的な出来事は最小限にして、
「帰園田居」という
「団塊の世代に、田舎暮らしを提案する」という感じのエッセイを連載する。
帰園田居というタイトルは
陶淵明(陶潜)の帰去来からとったもの。
読み方は「えんでんのきょにかえる」
きわしく知りたい人は陶淵明でグーグル検索してみて。
ボクは1987年、百姓するために千葉に転居するときに読んだ。



 帰園田居
          農村・田舎は日本人の心のふるさと
   強い好奇心、創造の心、つまりクリエイテイブな精神があれば、田舎暮らしは無限に底深い

序章

都会での暮らしにピリオドを打って、ままごとみたいな百姓をしながらの田舎暮らしを始めて、すでに二〇年ぐらいになりました。五〇歳の時からでしたから、最初は年金収入はなかったのですが、今では年金収入をたよりにして、毎日をヒマのような忙しいような、楽しい暮らしをエンジョイしています。
新聞や雑誌では「老後の暮らしのためには〇〇千万円の貯蓄と〇〇円の収入が必要だ」などと書かれているのを、よく見かけますが、わが家の家計からは、到底信じられないような額が書かれています。都会での年金暮らしでしたら、そうかもしれませんが、田舎暮らしをしてますと、そういう情報は「そんなにゼニ必要なのかな」という感じなのです。五〇歳になる前にサラリーマンを辞めてしまっていますので、年金収入といっても中学や高校の同窓会へ行くと、わたしの年金額は同級生の半額にも届かないささやかなものです。妻の英子さんも、この点では同じなのです。だから二人の年金を合わせても、同級生一人分にも届かないという、経済基盤での暮らしです。
田舎暮らしでも、〇〇千万円の貯蓄や収入は無いよりはあったほうがいいかもしれませんが、二〇年も田舎暮らしをしてきた経験からいうと、わたしどもは今の年金収入で十分豊かに暮らしていると思っているのです。といって、清く貧しく、つつましく生きているわけでもありません。

田舎暮らしの二〇年は都会で暮らしていた人生とは違った、もう一つの人生を生きている感じでしょうか。どなたかが人生二毛作と表現していましたが、二毛作目というのは1毛作目と比べると格段に低い収量なのですが、わたしに限っては、二毛作は二毛作でも一毛作よりも収穫が多い作柄ではないかと思っています。
陶淵明の詩から借用して、「帰園田居」などとのタイトルをつけてしまいましたが、現在のわたしにとって、強い共感を覚える言葉になっているのです。「えんでんのきょにかえる」、つまり都会での暮らしから足を洗って、田舎で菜園を営みながら暮らそうよ、という解釈を自分なりにしているからです。さらに園田、つまり農村・田舎は日本人の暮らしの原点であり、心の原風景ではないかと考えているからなのです。

6月3日 (大隠太陽暦4月18日)  日曜日   雨 

昨日は
三宮  徳島往復3300円という安い運賃の高速バスで、
神戸市博物館で開かれていた
「ミイラと古代エジプト展」の見学に行ってきた。
バスには45人乗車していたのだが、
こんな料金で採算が取れるのかが心配。
高速道路だけでも往復で45000円以上、
バスのチャーター料金が00000円だろうし、
ガソリンも使うし・・・・・・・・
とにかく12万円以下の乗車料金しかとっていないのだから・・・・・・・

まあ、そちらはバス会社の方針だからこちらに置いておいて・・・・・・・・・・

特別展示品なので、
まもなく終わるというふれこみのせいで、超満員の盛況。
ボクが退出する12時頃などは、
待ち合いロビーで30分待ちだとか。
会館員の先導でぞろぞろ動かなければならないほどの客数。

まず展示品の閲覧室に入る前に300人も入る劇場で
「ミイラについてのプレ説明のバーチャル映像」
を見ることになっていたが、
これが圧巻。
3Dシアターとかいって、
11メートルのスクリーンに立体映像が映りだされるのだ。
病院のCTスキャンでミイラの内部を覗いたように。
冒頭に飛び出してくるネスペルエンネブー(ミイラの人の名前)の棺がボクの目の前からニューっと飛び出してくるのだ。

このプレ説明によって中の展示物は非常にわかりやすいようになっている。

入館者の顔触れを見てものすごく印象に残ったのは
「あたりは女ばかり!!」
「男はどこへ行ってるんだ!”!」
2対8ぐらいだろうか。
男性はパチンコ、ごろ寝、テレビ、ゴルフかなー?なんて考えると、
憂うつになったりして・・・・・・・

このバスは10時神戸着、神戸発18時30分なので、
時間が充分余る。
海洋博物館、神戸港クルーズ、シテイループ一周、ナンキン中華街食べ歩き・・・・・・・・・
久しぶりに街の気分を楽しんできた。
ループバスが北野のほうにも行ってくれたので、
このつぎ神戸に行く機会があったら、
北野あたりを散策したいと思う。
11月には神戸博物館で、
インカ・マヤ展示会があるというから・・・・・・・・
マチュピチの映像などが見られる!!!!!!!
多分、現地見学は無理だとおもうから、
これを見て行ったつもりに・・・・・・・・・
また3300円のありがたいバスに乗って、そして北野あたりにも・・・・・・・・

今日は雨。
5日に代かきをすつもりなので、
用水堀の漏れ水(これがわが家の田んぼにはたくさん流れてくる)
をすべてかき集めて導入。雨も幸いして、
予定どおりやれそう。

DVDというのを借りてきて
「誰がために鐘が鳴る」を観る。
なんで今どき!!だけど、
神戸博物館で特別上映するから鑑賞においでになりませんかというチラシをもらったから。
メンバーになっているアペックス(会員だけど、借りたことがない)で160円で借りてきて、観てしまった。
橋を爆破するところだけは記憶にあったが、
前後はすべて記憶にない。ということは寝ていたのかも。

ファッズムと義勇軍との闘い、その中で生まれた恋。
これをゲーリー・クーパーとイングリット・バーグマンが演じる。
小説もすごかったが映画もいい。
普通は小説はよくて映画は「イマイチ」という場合が多いが、
この作品に限ってか両方いい。
橋を爆破する時はボクが生まれた1937年。
もう70年前のこと。
共和国民主政府の転覆を謀って
フランコらがイタリア・ムッソリーニ、、ドイツ・ヒットラーの支援をうけて闘いを起こした。
政府軍を支援するために世界中の民主主義者がスペインにはせ参じ
義勇軍として政府軍を応援。
その一人がアメリカからやってきたゲーリー・クーパー。
(1937年12月、民主人民政府軍は破れフランコが国家元首になって独裁体制に)
映画にもでてくるが、
クーパーらの鉄橋爆破は成功するも、
時すでに政府軍は敗色濃厚になっていた)
ヘミングウエイがなんでこんな作品を書いたかというと、
彼自身がこの戦争に政府軍の一人として参戦していたからなんだが。

ヘミングウエイは作家ではあるが、
軍人としてさまざまな戦争に従軍している。
小説家の「頭で空想する」というよくあるタイプとはまったく違うタイプの作家だ。
北イタリア戦線では200ヶ所以上の負傷を受け、
いくつかの砲弾の破片は死ぬまで体内にあったし、
第二次世界大戦ではノルマンジー作戦に参加してるし、
フランスゲリラに入っでヒトラー・ドイツとも闘っているし、・・・・・・・・
どくときのハードボイルドというか、乾燥した文体はボクの好みでもあるし。

6月1日 (大隠太陽暦4月16日)  金曜日   晴 

ニワトリの運動場の草刈り、倉庫裏の草刈り。
昼頃に徳島市内でUターンして農業を始めたという
田野さんご夫婦がこられた。
コメとサツマイモでの収入で暮らしているというが、
部分的にでも無農薬・無化学肥料の野菜作りをやりたいとのこと。

農業にものすごい情熱をもっているような人。
できたら有機農業をしたいと言われたが、
ボクみたいに年金収入を得る年齢でもないので、
有機農業は自家用分だけに限って、
生計をたてる分は今の慣行農業をしたほうがいいと思った。

ボクは鳴門金時サツマイモのクズといわれている
細くて短い芋が好きでたまに買うこともあるのだが、
なんと、生産者は売れないとかで捨てているのだそうだ。
ではどんな経由で商品化されて
一袋、多分一キロはないと思うが
250−300円で売られている!!!!!!のだろうか。
農家が捨てたものを拾って誰かが拾って商品化してるのだろうか。
田野さんはどこも買ってくれないので、捨てていると言っていたから・・・・・・・・・・・

夕べは夜の11時すぎまで、赤星さん夫妻に来てもらって、
「ゆめカラ」という家庭用カラオケマイクの音楽配信会社の
ダウンロードについて御足労をかけてしまったが、
とうとう接続が出来なかった。
「ゆめカラ」が経営不振になったのか、
ビグローブに乗っ取られたのかわからないが、
「ゆめカラ」に入るためには
ビグローブのパスワードやIDを取得し、
音楽ダウンロードするときも
そのつどビグローブを経由しないとできないようになってしまっていたから。
まるで詐欺にあったみたい。
腹が立って脱退した。
とうとう1曲もダウンロードできなかった

このマイクは松下電器のもの。
今、松下電器は大量の欠陥商品のリコール・無料補修を呼びかけているが、・・・・・・
こういう急成長の会社はどこかインチキしないと儲からないのだろうか・・・・・・・
松下幸之助は偉そうなことを書いて本にして出版しているが、
しょせん「製品はいい加減、言葉は立派」なんだろうね。
まあ詐欺師というかいかさまオジサンというか。
もうこのマイクでは「金返せ!!」と怒鳴りたいくらい。
ゆめカラという会社もケシカラン。
電話の応答にでたイノキというビグローブの女も会社も許せない。

夕方6時から7時までNHKで放送されている番組の一部に出演させてもらえた。
藤森さんところの和紙制作のこと、
高越山のツツジを守っている会員のみなさんや地元テレビの人、
地元小学生、そして
ボクは「山川町で自給自足の暮らしをしている今関さん」
と言うコーナーに6分だけださせてもらった。
わずか全体として60分足らずの生テレビ番組なのだが、
50人弱ものスタッフの協力で成り立っていることをみてビックリ。
会場になっら和紙会館がNHKに占領されたのでは!!
というぐらい大勢がきていた。