Home  Email
背に
| 日記 | 著書 | げん米クケット | 井戸端会議 | 食の自給 | 百姓天国 | 田んぼ畑 | 家族 | 山川町 | リンク |

5月10日 (大隠太陽暦3月24日) 木曜日  曇り、強風、時々雨 

昨日までの暑さは、なんだ!!というほど肌寒い一日
それに風が強いから、体感温度はさらに低いかも。

ここの集落ではアンカーみたいに遅いタネもみの
発芽促進のために水に浸ける。
昨年もそうだったが、今年もわが家が一番遅いとのこと。
品種はヒノヒカリ
コシヒカリの人はとっくに田植えが終わっているから、・・・・・・・・・

モミを50度ぐらいのお湯で温めておいてから、
62度以上の湯にドボン。
すると温度が60度以下に下がってしまうので、
瞬間湯沸かし器から80度もの熱い湯を流し入れながら、
60度にまで温度をあげる。
湯の中に温度計を差し込んで、
60度を維持しながら10分間の「消毒」。

10分というと短い時間ではないので、
時々59,58度と温度が下がり気味になるので、
その都度熱湯を追加して、
60度を維持。(本には62度だと7分と書いてあるが)

10分過ぎたら、すぐに冷水に浸す。
この状態で毎日、水を交換しながら
積算温度100度にすると発芽する。
今は常温がだいたい25度から23度ぐらいだから、
4日ぐらいで発芽すると思う。
多分15日あたりがタネ蒔きになると思う。

ところで、AETで隣町にきて、
学校で英語を教えている補助先生が
「日本の田植えを体験したい」という。
ヒルがいるよ、足がドロドロになるよ、日に焼けて顔が真っ赤になるよ、
などと覚悟のほどを伝えてあったのだが、
やはりやりたい!と。もちろん、
「昔ながらの手植え」だ。来週にはその下見に来るというが・・・・・・・・。
まあ、楽しくやろうと思う。

8本(バルドウイン・3本、ブライトウエル・2本 フスチバル・3本)あったブルベリーのうち、
1本フスチバルが枯れてしまった。
ブルベリーはいろいろな種類を混ぜて植えたほうがいいというので、
このような構成になっている。
昨年はたくさん食べられたので、
1本でも減ってしまうのが残念。
とにかく摘んですぐに食べるのは美味しい。

5月9日 (大隠太陽暦3月23日)  水曜日   晴

今日も、知子、トレバーさんには田んぼの溝掘りをしてもらった。
ボクも昨日に続いて、草刈り、草削り・・・・・・・
暑い日差しのなかでの作業なので、汗びっしょり。

畑に入るたびにつまみ食いしていたキンカンが今日で終わってしまう
約一ヶ月もの長きにわたり楽しませてもらっていたが、
最終の1週間ぐらのものは完熟していたせいか、
いままでの酸っぱさが大分消えて、
本当に甘く美味しくなっていた。
だがもう無い。

シマヘビがいつも座って風呂炊きをしている釜の前にいた。
びっくりしたが、あちらも驚いたようで、
さっさと飛んで逃げて、どこかへ潜ってしまった。
ボクにもう少し勇気が残っていれば、
捕まえて、殺して皮をむいて、
干して焼いて食べるところなのだが、

もうそんな勇気はない。
逃げてしまうと「精力と栄養」が逃げてしまったような
残念な気がするが、
そんな大事なものを留めておく力がなくなったことが残念。

このごろ、今書いているような
日記が「つまらない」と感じるようになってきた。
日々の出来事ではなくて、
考えたことなどの心のエッセイにしようか、
などと考えている。
テキストだけのブログで。

今のものは農作業や農業のことが中心になっていて、
時々どこかへ遊びに行ったとか、
珍しい人が訪問してくれたとか・・・・
出来事中心だったが。
このようなことは、別の日記で
「箇条書きみたいに数行で納めてしまう」だけにしたらと思う。
どの畑の草刈り。
タネもみを水に浸した。
田植えした。
と言うように、ただの農作業と出来事記録。
こうすると、つまらないから、
誰も訪問者がいなくなり、自然消滅・・・・・・・・。

しかも、割り当てられている容量を一度オーバーして、昔の映像を削除して、かろうじて継続しているような状態なので、・・・・・・・・・・

でも迷っている・・・・・・・・・・

5月8日 (大隠太陽暦3月22日)  火曜日   晴

夏のように暑い一日。
朝のうちに小豆色のソラマメをもぎって、2カップほどサヤからだす。コメはウルチとモチを半々に混ぜたもの4カップで炊く。今年の初物

ちょっと4−5日早いかな?と思ったが色はよくでてくれて、
皮を感じないほど柔らかく、美味しくできた。
朝なのに、孫たちもパカパカ食べてくれた。
さっそく残りを純子さんと、綾子さんにおすそわけ。


知子一家は鴨島の純子さん宅で
綾子さん家族も集まって親睦会するといって昼前にでかけた。

ボクは大豆予定の畑にトラクターでの草処理耕運と
インゲン、ササゲ、オクラの草削り。

この草削り具がすこぶる調子いい。
2年前にオーストラリアの有機農業農家の家で見て、
ためして、「これはいい!と思い、
すこし違うが、日本の農機具やさんへインターネット注文で購入したもの。
ラクチンで、
早くて、よく取れる。
ただし、伸びてしまった草はだめ。
背丈が1ー2センチ程度まで。
見かけはチンチクリンの安物風なのだが、
新作のものらしく高価で、3129円もした。
他の普及している似たようなものと価格比べをすると、
3倍は高い。だがすこぶる重宝。
商品名は「けずっ太郎」。

草だらけでミドリ色していたこれらの畝は午後には、
暑い日差しで土とともに白く枯れ果てていた。

タヌキの生態について、違う説を書いた新聞記事を発見。
タヌキは子どもを産むと父親はどこかへいってしまい、
母親中心の家族になるという本を読んでいたので、
自著「虫嫌いの田舎暮らし」の中でも、この説を紹介した。
ところが、4月29日の朝日新聞では
「授乳が終わると母親は姿を消してしまい、
オスが子育て、子教育をする」と。
毛繕い、敵から守る、肛門をついて脱糞をうながす、など。

タヌキの個人的な好みの問題で、オスだったり、メスだったりするのではなかろうか?と考えざるをえないが・・・・・・・・・・。

5月7日 (大隠太陽暦3月21日)  月曜日   晴

田んぼの畔際の溝掘り作業。トレバーさんと知子にもやってもらう。
代かきの時にトラクターが旋回するので、
泥が周囲の畔に溜まって乗り上げてしまう。
泥の乗り上げを防ぐために、
このあたりでは畔の際に溝を掘る習慣がある。

ぼくもそれにしたがって毎年掘っている。
シャベルで掘るので、時間がかかる。
幅が40センチくらい、深さが20センチぐらいも掘るので、
長い時間やっいるとテキメン腰が痛くなる。
だから午前中だけでやめてもらう。
3枚の田んぼのうち1枚だけ終わる。あとはまたの機会に。

午後は子どもたちを連れて公園へ行った。
ボクは残ったトマトの定植、キュウリとミニトマトの支柱作り。
昨日雨が降ってくれたので、
苗ものが急に元気になった。
同時に草も。エダマメ、トウモロコシ、インゲン、ササゲ、などの畝間に1センチぐらいの小さな草がビッシリと生えてきた。

伏せてあったサツマイモの一部に数本だけ芽が出てきた。
今月中には苗が採れればいいのだが。

これで2月、3月から作っていた苗(ナス、シシトウ、トウガラシ、トマト、ミニトマト)の定植がぜんぶ終わった。

また小豆色のソラマメが食べごろになった。
明日にでも最初の「ソラマメご飯」を作ろう
と思う。

木沢村の小学校の校長さんにこのタネをさしあげていたが、
ちょうど実ができたと、
映像付きのうれしいメールがきた。
木沢は寒いところだと思っていたが、
山川と同時に実が出来たなんて嬉しいような複雑な気分。
さっそくソラマメご飯の作り方をメールしてみた。

女性一人で脱サラ就農している赤星さんが、
グリンピースをたくさん持ってきてくれた。
わが家では作っていないので、ありがたや、ありがたや。
お返しはタマゴと肉ジャガ。カレシも一緒だった。

5月6日 (大隠太陽暦3月20日)  日曜日    雨

昨日は
オーストラリアから来ている娘一家は宝塚歌劇観光。
徳島駅前まで、ツアーバスの停留所まで送り迎え。

歌劇の見物は無理な2歳のアスカを預かることになり、
一日中、公園まで連れていって、お遊び。
休み中だったので、
若い家族連れがたくさんきていたので、
アスカはすぐに適当な子どものいるところへ走っていって、
遊んでくれたので、遠くから見ているだけですみ、楽でよかった。
人見知りをしないので、誰とでもすぐに遊んでくれてほんとうに助かった。

1)アスカよりも3歳ほど上の女の子とすこし下の男の子(父親がいて、上の女に子はフリスビー、男の子は三輪車で遊んでいた)
のところへ走っていくなり、
三輪車に接近し、2−3分で三輪車の一部に手を触れた。
すると男の子はその手を払いのけた。
アスカは本気で三輪車を奪うような動きをしめし、
相手の手を払いのけると、サドルに乗りかかった。
男の子は泣いて盗られてしまったと泣きわめいて父親に泣きすがる。
すると父親は「貸してやりな」と言うではないか。
上の女の子も貸してやりなと、言う。

まんまと三輪車をせしめたアスカは
ニコニコして三輪車に乗って10メートルほど走った。
ところが、すぐにくるりと父親の所まで戻ると、
三輪車を放り出して、
100メートル以上も離れた別の親子のところへ走っていった。
この間、ボクは遠く離れたところから、一部始終をみていた。
アスカが去った段階で
その父親の所へいって謝ってから、
すこし子どものことについて雑談していたら、
アスカはまた戻ってくるなり、
車のなかに乗り込んできて、
DVDを見始めていた二人の子どものまん中にちゃっかりと座り、
映像の見物。
ボクはまた謝って、
今度は強引にアスカを抱きかかえて、
車から引きずりだし、手を繋いで、
100メートルほど離れた遊具(ギッタンバッタン)のところへ連れていった。

2)公衆便所の周囲をぐるぐる廻り、
ドアを一つ一つ開いては閉め、開いては閉め、
を繰り返し、
3周も4周も・・・・・繰り返す。
いつのましか、パンツを脱いでいて
パンパースのまま走り続ける。
その間、たえずニコニコ、キャッ、キャッいいながら
嬉しそうに走る廻る。
10メートルぐらいまで近寄って見ていたら、
小学高学年ぐらいの女の子二人が、
アスカのあとを同じようにキャッ、キャッいいながらおいかけ始めた。
女の子たちが
「この子のおかあさんはどこにいるの」などと言い始めたので、
ボクは接近して「オレが親だよ」というと、
「この子ガイジンよ」
「でもオレだよ」
「おじいさんかー。女の子なのにパンパースだけじゃ・・・・」という。
どうも、アスカのことを女の子と思っているようだ。
金髪で色白で、女のこみたいな顔してるから。
こんな会話をしていただけで、
数人の子ども大人が集まってきてしまい、
口々にいろいろ言う。
やはりガイジンの子どもは珍しいのだろう。

このたぐいの行動は、すべて書くとまだまだたくさんあるが。

今日は一日中雨。
ほんとになんにもしない一日。娘やトレバーさんとの会話だけ。
前回作ったドブロクが非常にうまくできたので、同じ分量、同じ作り方で、また仕込んだ。前回分はもうあまり残っていないから。

5月4日 (大隠太陽暦3月18日)  金曜日    晴  

昨日、午前中に畑二枚に残っていたモミ殻と米ぬかを撒いて、
トラクター耕運。
そして娘一家の到着時間に間に合うように、
徳島・津田のフェリー港へ。

上の孫娘(五歳)が、以前は太っていたのに、
スマートになってお姉さんみたいになっていて、
下の孫息子(二歳)はものすごく活発になっていた。
子どもって生長がはやい。だもの、こっちも年を取とる。

今回の旅行は3ヶ月の有給休暇の一部を割いての来日。
4月16日にあちらを出発して、
埼玉、東京などで宿泊してから、
北海道で1週間以上を過ごしての徳島来県。
オーストラリアの郵便局はこんなに長期に休めていいなあ。

そして、夜は井内さん宅で
いろいろな人びと歓迎のパーテイ。
20人以上集まっていた。
アメリカから来ているAETのデビットとその兄も来ていたし、
国際ボランテヤ組織の関係者4人も来ていたし、
われらの英会話サークル・ファクトリーメンバーも3人来ていたし、
あとこの人たちの家族もきていたし・・・・・・・・・・・

超豪華な一品持ちよりのご馳走や、
井内さんのおごりの巨大カツオのタタキや
石釜焼きの手作りピザなどすごい馳走も・・・・・・・・
娘夫妻と孫たちもこういう歓迎で非常に喜んでくれて、
ありがたかった。

今日は、彼らは疲れていたのか、11時頃まで寝坊。

午後は、大阪から遊びにきた
マジックリン・小林、ムサシと井内さんの三人による
マジックショウをアメニテイホールへ見に行く。
サクラが大喜び、アスカは場内を走り回ってばかり・・・・・・・・・・

サクラの日本語が上手になっていてビックリ・・・・・・・・・
バイリンガルというか・・・・
夕べのパーテイの時も、家にいるときも、
相手の顔をみて
とっさに英語と日本語を使い分けるあたり

英語をちょびっと勉強もどきをしている立場からみると
「スゲーことできるな!!」というところ。
子どもの能力ってほんとうにスゴイと思う。
教科書、先生、文法などにまったく無関係に、
会話をしながら覚えていってしまうのだから。
また僕らがヘタに英語など話そうもんなら
「発音が違う」と、ほとんどすべて訂正されてしまう。

日本の教育界で英語をいつから教えたら効果的か、
という論議があるが、
3歳、4歳、あたりから日常会話から始めるだけで、
そうとうな所までいくのではないだろうか。

サクラは父親(オーストラリア人)、幼稚園、友だち、弟のアスカとは
英語なのだが、
母親(日本人)とだけは日本語で話さないと
母親が返事もしないというやり方。
1対99ぐらいの割合で
日本語を学ばされていることになる。
それでこれだけ出来るのだから
「さすが子どもの頭は吸収力がいい」。

家族のページの写真(サクラとアスカ)を入れ替えました。

5月2日 (大隠太陽暦3月16日)  水曜日    晴  

カボチャ、ミニトマトの定植。
カボチャには行灯をかぶせたが、ミニトマトは行灯なし。

せっかく生長したダイコンは結局小さいときにトウ立ちしてしまい、
順次ニワトリにあげていて、今日でみんななくなった。
来年からは春のダイコンは作るのはやめよう。

「徳島で見れない映画を見る会」例会で、「長い散歩」という奥田瑛二監督作品を鑑賞。奥田は俳優としても出演。主役は緒形拳。

家庭を壊してしまった元校長は娘から憎しみを受けて、
家をでて一人暮らし。
アパートの隣室で母親から折檻を受け
日々おびえて暮らしていた少女を助けて
ここも家出して少女とともに旅に出る。
警察は子女誘拐として捜査を開始し、
指名手配になる。二人は警察の手を逃げ回り、
少女の夢ー白い雲が浮いていて、
白い鳥が空を飛んでいるお空が見える所まで行き着く。
そして自首する。
ほとんどセリフのない映画だが、
見るものをして画面に釘ずけにされてしまう。

家庭内暴力、妻のアルコール依存症、家庭破壊、家出、児童虐待、校内イジメ、自殺、これらがみんな出てくる映画。
自戒と悔恨を背負っての旅ではあるが、この中のどれか一つでも解決したかというと、どれもそのまんま・・・・・・
主人公も孤独のまま拘置所を出所、
少女はまた暴力母のもとへ親子という理由で戻されるかもしれないし、
イジメが理由で学校を逃れた青年は自殺してしまっているし、・・・。

現在はマスコミに取り上げられる頻度が高く、
評論家という人がよく問題にするし、・・・・
だから騒がれて大問題化してるが、
こういう現象は昔もあったのではないだろうか。
と思うのだが・・・・・・・・・・・。

5月1日 (大隠太陽暦3月15日)  火曜日   雨、曇り 晴  

山川町の唯一の観光資源・船窪のツツジ公園の掃除。
今月の中旬から下旬にかけてツツジの花が満開になる。
例年、この時期になると、ボランテヤで
公園にいたる道、
園内ツツジの根元あたりの草刈り掃除があったらしい。
いままでは知らなくて参加したことなかったが、
今年はリーダーの安倍さんからの話もあって、参加してみた。
小学5年生20人を含めて100人もの参加。
花はまだまだという状態だったが、今年もきっと美しい花を咲かせてくれるものと思う。
多分、20日、27日あたりが一番にぎわうのではないだろうか。

マイクロバスに載せてもらっての参加だったが、
たばこを吸う人が最後部にいたらしく、
ものすごい匂い。
ボクは煙草の匂う車だとすぐに車酔いする体質で、
30分の乗車中、気をまぎらわそうと、
前の座席の人に話しかけて、
ズーッとしゃべり続けて、
登りはなんとかしのぐことができたが、
帰りは、やはり前の座席の人としゃべり続けたが、
いまにもゲロしそうで、ゲロしそうで・・・・・・・・・・
こらえて、我慢して、
やっとゲロせずに駐車場に到着。
だが家に帰ってからも気分が悪く、2時間くらいは、車酔い状態。

5年ほど前だったか、
播但線に乗っているときに、
禁煙車なのに、最後尾の人が禁を犯して煙草を吸った瞬間、
最前列の座席にいたボクは感知し、
座席を立って前の車両に移ったことがある。
それほど、煙草には弱い体質。

こういう体質をなんとかなおさなければならないと、
いつも思っていて、会議な

現在、韓国と日本の学者が定期的に集まって、
歴史認識の合意を目指しての会議が続けられているのは、
しばしば新聞で見かける

だが、これってバカバカしいというか、
アホラシイというか、無意味というか、
そんな考えを持っているのはボクだけではないとおもう。


靖国、慰安婦、朝鮮人拉致しての強制労働、・・・・・・・・
戦中から戦前は日本は加害者、
韓国は被害者、認識が違うのは当然だと思う。
日本は大東亜の団結は、
韓国からみれば植民地支配・・・・

しかも、日本の指導層はあの太平洋戦争を反省していない人たちのグループとその後継者が構成しているのだし。
日韓がまとまって、
認識が一致すると仮定すると、
それはどうなるのか?
想像するだけで、アホらしくなる。
こんな馬鹿げたことをまじめな顔をして議論している
大学の学者先生はいったいどんなヤツなのか顔がみたい。
それともギャラがもらえればいいと割り切っているのなら別だが。

歴史認識など国が違えば違うし、
個人だって、一人ひとり全部違って当然だと思うのだが

それをこれが正しい歴史認識だ!
と決めつけることはまさに恐ろしく、
恐怖政治の前兆でもありやしないだろうか。

戦前、戦中、は歴史認識が国家が決めた一つしか許されなかった。
すこしでも違ったことを言っただけで、
どれだけの人が牢屋にはいり、
死刑にされ、
隣組のリンチにあい、
暴行をうけたことか・・・・・
これと同じことではないだろうか。
すべての学者文化人は、こんな日韓歴史認識会議などボイコットすべきだと思う。
だが、残念ながら韓国、北朝鮮、中国では歴史認識については国家が決めている、戦中、戦前の日本とおなじだが。
たまたま「日韓歴史認識会議」の新聞記事を見たから書きたくなった。