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4月20日 (大隠太陽暦3月4日)  金曜日   晴 暑いくらい  

昨日仕込んだ甘酒ができた
サーモスタットなしの保温で
60度を24時間維持するのは非常に難しかった。
わが家にはないが、あったとしても
電気炊飯器は70度だから使えないとのこと。

湯煎で65度まであげて、
保温ジャーに入れてみたが、温度はすぐに下がってしまう。
朝になってみたら、35度にまで下がっていて、
甘い芳香も消えて、
もうすこし放置していたら、腐ってしまいそうな状況に。
多分、ジャーに入れた段階で
容器の温め方がまずかったのか、
温度がすでに60度を割り込んでいたのではないだろうか。

再度65度にまで湯煎で暖め、
容器にも80度以上の湯を満たして温め、
ハウスの中にビニールにくるんでおいてみたら、
58度ぐらいで5時間ぐらい維持できた。
そしてなんとか甘くなって芳香が漂うようになった。
麹菌が復活したのだ。
そして出来上がった。


麹350g、コメ3カップ(炊いて柔らかめのご飯にする)だけで、
水は入れてないのに、出来上がりはトロトロの状態に。
前回は電気毛布でくるんで簡単にできたというのだが・・・・・・・・・

この言葉から類推するに、
納豆作りと同じで醗酵期間中に
「できる適温」を一定時間経過している時に
醗酵が活発になり、出来てしまうのではないだろうか?

本には、
60度24時間で甘酒ができると書いてあるが、
最初は70度ぐらいに温度を上げて
電気毛布など(30数度しか上がらないようになっている)に包んでおけば、比較的ゆっくりと温度がさがるので、
60度前後を通過する時間が、
1時間かあるいは2時間か?
その時に一気に醗酵して、甘酒にしてしまい

あとはゆっくりと温度がさがって、
24時間後には35度あたり・・・・・・・・・・・
ということではないかと思う。

納豆は40度〜42度だから、
沸騰させた湯を入れた湯たんぽを抱かせてつくるのだが、
当初は70度、80度ぐらいに温められているのではないかと思う(納豆菌は高温に強い)。
時間の経過とともに湯たんぽの温度がさがり、
連れられて煮豆の温度もさがって、
いつしか42〜40度のラインを通る。
その時に一気に納豆菌が働いて、納豆にしてしまう

そして39,38度とさがり、やがて20度になる。
その40度あたりで納豆はできあがっている、
という納豆と同じ原理なのだろうか?
これはあくまでもボクの推測だが

かつて読んだことのある料理の本に、
砂糖、日本酒を使うかわりに、甘酒を使うと、
上品で美味しい料理ができる
と書いてあったものを、思い出した。
甘酒は一昼夜で出来てしまうので、
これからすこし挑戦してみても面白そう。
だが難点は1週間ぐらいしかもたない!!
だから少量作って、ということになりそう。
だが、柔らかくてフヤフヤだけど砂糖と違って米粒があるから・・・・・・・あくまでも自家用料理だが。

ほうれん草とネギの種まき。こおれからは、草がドンドン生える時期なので、丁寧に草を抜いてからのタネ蒔き。3時間も炎天下で草抜きしていたら、汗がびっしょり。暑くて快晴の「穀雨」の一日。

4月18日 (大隠太陽暦3月2日)  水曜日   雨  

一日中、シトシトとありがたいけど、うっとうしい雨の一日。
乾燥続きで、畑は土漠状態で草も生えなかったが、
これで、野菜の新芽のみならず、草もドーツと生えてくると思う。

徳島県団塊の世代対策アドバイザー会議、
徳島県団塊の世代対策推進連絡協議、
県・市町村「団塊の世代対策」推進協議会、
その他多数の
「団塊の世代に徳島に来てもらおう、移住してもらおう」
という無数の会議や組織ができている。
どういう人たちが集まっているかわからないが、
会議の概要をところどころ読んでみると、
もともと徳島県に住んでいた人たちばかりの会議みたいな感じ。

ボクは「いわゆる県外からの移住者」の一人だが、
世話人のなかにそういう人が何人入っているのだろうか。
ボクの印象では
「ほかの県で、この種の対策会議らしきものをやっているようだから、当県でもいちおう会議だけでもやるか」ということで、
「お茶にごし」で立ち上げた会のような印象を受ける。
端的に言えば不毛、無用の会議だと思う。

塩見さんが主宰している「NPO法人 里山ねっと・あやべ@京都・綾部」のような活動を地道に続け、
そういうところから全国へ発信していくような活動のほうが、
よっぽど効果的だと思う。
そういう経験、センス、人脈作りのできる人を中心にすえて、
税金も投入してやれば、
こんなかたちだけの不毛な組織や会議よりも安くあがってよっぽど効果あるとボクは思う。

こういうこというと嫌われるかもしれないが、
ボクは徳島県に住むようになって17年になるが、
「県」は移住者に冷たいという印象を持っている。
「まあ、そうかもな」と思うならば、正常だろうが、
「とんでもないこと言うヤツだ」と思うようだったら、
「移住促進の・・・・・・」対策会議など考えないほうがいいと思う。

NPOを作って、そこへ適した人材を据えて、税金を投入したほうが、ずーつといい。会議なんて不要。会議で方針決めれば移住者がくるなどと考えることぐらいアホなことはない。
「帰園田居」(仮題)という粗原稿を書き終わって、ほとほとそう思う。

役人の頭の構造というのは、ほんとうに解り難い。
効果よりも税金をいかにがばがば使うかを考えている、
いや、それしか考えが浮かばない、のではなかろうかと。
これは徳島県にかぎったことではない。
この種の「団塊対策」は全国各県で行われているが、どこも同じだから・・・・・・・・・・。

知事室へこういう意見を投稿してしまった。またひとつ嫌われるようなことをしてしまったみたいだが。

4月17日 (大隠太陽暦3月1日)  火曜日   曇り  

先日撮影してもらったMRIの結果を話してくれた。
そして診断された病名が
「腰部脊柱管狭窄症」
同じ病院で99年秋に診断された病名が
「椎間板ヘルニア」だったが、
ヘルニアはたいしたことない、
むしろ上のほうの脊柱管の狭まりによって
神経が圧迫されて座骨神経痛の症状がでているのでは・・・・・と。
きっと、どちらかが誤診??
病院は同じだが、あれから7年経過して医師は替わっていたし。

腰部脊柱管狭窄症という病名はあまりありがたくない病名。
変形性腰椎症ならともかく、
こっちは老化からくる背骨の変化らしいからだ。(家庭の医学事典、から)
自分の日常の症状をみるとヘルニア原因説よりも
こっちのほうがぴったりだし。

とにかく立っている時や歩いている時、下肢にしびれ、疼痛、冷感、などが強烈にでてきて立っていられなくなるほど。自分の足とは思えなくなる。これが「老化による・・・・・・・・」だから治らない???と思う。
治療法はあるらしいが、骨を削るとか靭帯を切除なんてこわいし・・・・・・・・・
老化なんだから、諦めてこれとも二人三脚で・・・・・・
原因は「草刈り器」「農作業での無理な姿勢」ではなくて「老化」なんだから・・・・・

最近「70歳になったから、隠れていた病気が表にでてきた」のかもしれないし。
まあ、腰部脊柱管狭窄症と診断されて、なんだかほっとして元気がでてきたような気もするし

夕べは大雨に恵まれて、これで、先日蒔いたタネが一斉に発芽してくれると思う。

冬のなごりのもの
倉庫に在庫であるもの
   タマネギ、ジャガイモ
畑に残っているもの
   タネを採るための花が咲いているダイコン数本
   枯れはじめたワケギ
   もうじき食べられそうなソラマメ
   食べられるようになったほうれん草
   今が盛りの絹さや
冬から春、そして夏へのもの
   20センチ以上に延びたダイコン
   5センチぐらいになったニンジン
   10センチぐらいになった赤カブ
夏のもの
   植えたばかりのサトイモ、じゃがいも
   蒔いたばかりの、エダマメ、インゲン、オクラ、トウモロコシ、
ハウスの中の苗、
   ナス、トマト、ミニトマト、シシトウ、トウガラシ、キュウリ、
   カボチャ

こうして書いていると冬、
春の野菜から夏の野菜にむかって
うすくボカシが入ったようなグラデイションが見えるようだ。
そしてもうすこしで夏色になる・・・・・・・・・
季節を五行では青春、朱夏、白秋、玄冬などと色をあてはめているが、青から朱へということが。その中間の色はどんな???

4月16日 (大隠太陽暦2月29日)  月曜日   曇り  小雨

絹さやがやっと最盛期を迎えた。
近所の農家はみんな「赤花」だが、
わが家だけは「白花」の絹さや。
ほんとうかどうか知らないが、
「赤花は出荷用、白花は家庭用」とまことしやかに言われている。
確かかどうかわからないが、
わが家では農業始めた17年前から白花にしている。
たしかに実の数は少ないのは解るが、
もともとそんなに味がある野菜ではないのに・・・・・・・・
白は赤よりも美味しのだそうだ。

小雨が降ったり止んだり・・・・・・・気温はだいぶ低い。
ハウスの中も22度しかない。モチトウモロコシのタネ蒔き。

小雨を幸いに、一日中、帰園田居の修正・補充作業。

ドブロクを仕込む。今回は少しにした。
ご飯を1升五合、麹を五合、水2500CC。気温が高くなって
きているので、5度Cの保冷庫で作ることにした。
例年は冬にしか作らないのだが、
いろいろ市販のお酒を飲んでいると、
どうしてもドブロクを飲みたくなってしまったから。
今回はすこし甘口にしようと思う。

ボクの知る限り、柳の下に二匹目のドジョウだと思うのだが、
同じ長野県で「持ち込みコメでの受託酒つくり」を始めた醸造会社が、
1月ごろの新聞にでていた。システムも値段もほぼ同じ。
笑亀酒造
コメ30キロを持ち込むと、
一升瓶で30本の日本酒が送られてくる。
価格は9万円。
コメを買って頼むと安くないが、
コメ作っている農家ならまあまあの高からず安からずの値段だ。
しかもラベルには
名前を入れたものを貼ってくれるのは嬉しい(今関知良の酒とか)。
酒好きに贈り物にしたら、めちゃ喜ばれるのではないだろうか。
だが、受け付けるのは少なく、1年に25人までだとか。

徳島県では
今小町酒造の中和商店が
「酒好きコメ作りグループ」のコメで
「でんでん」
とかいう酒を造ってあげてるとか、聞いたことがあるが・・・・・・・・

ボクは日本酒にはすごいこだわりがあって、
ごく稀に「生、原酒」以外の酒を飲むことがあるが、
99%生、原酒に限っている
「生・原酒は火入れしない、水を添加して薄めない」だから、
アルコール度数が19度はある。
しかも水入れや火入れなどの手間がかかっていないから、安い。
だいたい1升3000円から3500円。
この値段から類推すると
笑亀酒造の3000円はまあまあだと思う。
だが、生・原酒かどうかは聞いてみないと、わからない・・・・・・・・

4月15日 (大隠太陽暦2月28日)  日曜日   晴

午前中は「用水堀掃除」の共同作業だった、
その時の話題はやはり、行方不明の人の捜索。
まだ見つからないという。
集落からも若い人たちが朝から出ていっているとのこと。
夕方にもわが家の前を若い消防団の人たちが通った。
まだ見つかっていないとか。
もう3日にもなる。高齢で障害もある人で認知症のようで、
ますます心配になる。

夕べは「土曜クラブ例会」で
南極へペンギンツアーへ参加してきたという
香川さんという若い女性の話と写真のプロジェクター映写。

数メートルという至近距離にまで近寄って
写真を撮れるというすぐれもののツアー。
南米最南端のホーン岬から
ドレーク海峡を越えたあたりの南極半島。
ヘリコプター付きという船ということで、
変わりやすい南極の気象まで綿密に考慮したという豪華?ツアー。
ペンギンのたくさんの子どもたち、
子どもたちにエサをあげる頻度が少なくなって餓死してしまった子どもペンギン。
腹ばいで滑るひょうきんな姿、
子どもを足の上に載せて道化のように歩くユーモラスな姿。
どの映像もいちど間直に見たら、病みつきになりそうな・・・・・・・・
そのためかリピーターの人が多いとか。

昨日夜、帰りの電車の中で読み終わった
「ノモンハンの夏」(半籐一利著)の中の次の説明でビックリ仰天。
なんでボクがこんな本を読んでいるかというと、
ノモンハン事件はボクが生まれたころのこと、
しかも関東軍とソ連・蒙古連合軍との戦争で、
日本軍前線基地のハイラルよりすこし南に位置している
チチハルが同時期の1937年・ボクの誕生地。
父はどういう部署にいたかは知らないが、
関東軍の経理部ということだだけは聴いているが。
ハイラル、チチハル、奉天、大連は
いまだ3−4歳だったボクの耳にいまだに刻み込まれている地名。
ハイラルはノモンハン戦争の最前線基地でもあった。

驚いた説明というのは軍人の給料のこと。これでは日本の軍隊は貴族社会と同じだと!いう評判がぴったりだ。1937年頃の給料
大将   545円
中将   480円
少将   410円
大佐   345円
中佐   270円
少佐   200円
大尉   145円
中尉   115円
少尉   105円
准尉   110円
曹長   85円
軍曹   34円
伍長   27円
兵長   27円
上等兵  14円
一等兵  12円
二等兵  12円
これはすべて戦地で支給される戦地増俸で、戦場手当て。
准尉以上には別に本給が留守家族に支給されることになっている。

戦地で鉄砲かついで闘う平の兵隊が月給10万円とすると、
大将は戦場手当てだけで、なんと、45,4倍だから
454万円それに本給が???円だから、ものすごい格差。
しかもこれ月給だから、
ものすごい高給取りだということになる。
もし兵隊が20万円とすると、
なんと手当てだけで月収900万円!!!
こんな軍隊で戦争に勝てるわけないよ!! 
だから戦場で「将校は商売、下士官は道楽、お国のためは兵ばかり」という歌がはやったのが解ろうというもの。 

田中さんが、山で採れた大きなタラの芽を持ってきてくれた。
釣の話、彼が親しく付き合っている
キコリの人の普段聞けないような山や樹木の話などを運んできてくれた。

インゲン、エダマメ、オクラ、ササゲ、トウモロコシのタネ蒔き。
畑がパサパサに乾いていて、こんな畑では、雨が降るまでは発芽しないと思う。
エダマメは昨年まではわが家自家採種の大豆を蒔いていたが、
今年は試しに市販の「エダマメ」という
タネを買ってきて蒔いてみた。

4月13日 (大隠太陽暦2月26日)  金曜日   晴

近所のSさんが行方不明になったと、
町内放送がなんども。
そして11頃には警察のヘリコプターがわが家周辺からSさんの家のあたり、駅のあたりまで、何度も低空で旋回。
消防団、商工会、警察、ありとあらゆる団体から大勢の人がでて、
夕方まで山から、町からすべての地域での捜索。
6時現在、まだ見つかっていない・・・・・・・・・・・・
こういう時に町をあげて探す活動をするということが、すごい田舎力だ。


腰痛でMRIの検査。検査したところで、治るわけでもないが、・・・・・・・・・・・

インゲン、トウモロコシなどのタネ蒔き用の畑つくり。
畑の土が乾いているためか、
トラクターのロータリーからさかんな土煙り。

この日記を読んでくださっている方の中に
「ぼくオタリーマン」という本を読んだという人、いらっしゃいますか。
ボクはこの本を買って読んだのです。
WEB累計1500万ヒットという超人気サイトからの本なのですが。
そして、なんと「ベスト・オブ常習者サイト賞」を受けているとか。
中身はコミックエッセイなんだが、
ボクはなにがなんだがぜんぜんわからないのだ。
そして悩む。
ボクはオジンになってしまっているのだ!!と。
なんでこんなバカバカシイ作品に
1500万のヒットか、も解らないし、
これを本にした中経出版の意図もわからない。
こんなにも世代の違いを感じたのは
ボクがジジイになった証しだろうか。
ぜんぜんわからないから
「どんなことを書いているのかの概要ですら、ここに書けないでいる。

もし、読まれた人がいたら井戸端会議のところに感想を書いていただけますか。

4月12日 (大隠太陽暦2月25日)  木曜日   晴

ひまわり農産市の当番。
端境期で野菜の出品点数が非常に少ない。
30%減というところか。
また品もナス、タマネギ、ジャガイモ、ワケギが多い。
そしてものすごく安い。
大キャベツが60円、大ニンジン5本で100円、赤かぶ15株で100円・・・・・・
いつも思うが、こんなに安いと自分で作るのを辞めたくなる。

再度、農薬使用についての警告がでていた。
防除日誌の提出(栽培履歴)
      品種名、植え付け日、使用農薬(登録外農薬は絶対に使用禁   止)
      使用倍率、使用量、使用月日、施肥月日、肥料名

帰りに寄った農協販売店でも、農薬を買いにきていて人に
「その薬はどの野菜にでも使っていいことになってるけど、
そっちのヤツはナスにしか使えないよ」と教えていた。
ポジテイブリスト実施いらい、
農協が農薬使用について一生懸命農家を指導しているのがわかる。
だが
、この程度でいいのかな?
という疑問も残るが、
独立した農家の人を相手にはこの程度しかできないのだろうな。

苗について新発見。
多分、従来は、特別な表示がなく、ただ
ナス、スイカ、シシトウとだけ表示されていたが、
今年は専門の苗会社の商品が
「接ぎ木苗」という表示で大々的に売られるようになったためか、
個々の農家が作った苗は
「実生ナス」というように
実生という表示をつけるようになっていた。
接ぎ木は高く、実生は安いのだが。
実生というのは、タネから作った苗のこと。
当たり前といえば当たり前だが、
昨今はホームセンターなどで販売されている苗は、
接ぎ木が多くなってきている。
実生は個人が作り、接ぎ木は会社が作る、という感じかな。
だいたい・・・・・・・・・。
接ぎ木のメリットは強い、良く実が成る、連作に強い、
ということだと、ある農家の人はお客さんに説明していたが。
だから、昨日映像を載せたが、
あれはみんなボクの個人栽培だから実生。弱い、実があまり成らない、連作に弱い、って言われそう。


5月で契約が切れる農地の再契約で市役所の
農業委員会へ書類をもっていく。市町村合併になって、今回からは5月ではなくて、7月からの更新になった
と。
この5月とか7月については、
新市になったときに新しい課長に
「5月は作物の切り替えによくない
時期だから、1月に換えて欲しい」と要望しておいた

だが同じ範疇の7月!!
ボクの主張は
田んぼの場合、1月に肥料、タネもみの準備をするので、
もし5月あたりで、
地主に契約更新しないといわれたら、
準備して用意したタネもみなどはどうしてくれるんだ、
という問題が生じるという趣旨だった。
市になって7月になったというが、
田植えが終わっているわけで、ほんとうにどうしてくれるんだ!

いったい役人はどういう理由で
こんな半端な時期に更改日を設定してるのだろうか。

隣の阿波市からNPOしてる人がきて
「大豆トラスト」のようなことを考えている
という。
ついてはボクの本を、ということでおいでになった。
だが、大豆は作柄が安定しないので、 
NPOの資金源になるかどうか??だが、
この時期、大豆に注目して、
ことを起こすというのは、ものすごくすばらしいことだと思う。
成功を祈りたい。

4月11日 (大隠太陽暦2月24日)  水曜日   晴

昨日は
阪急交通社の「都をどり観覧、銀閣寺ツアー」へ行ってきた。
井上八千代の京舞は以前から一度は見たいと思っていて、
やっと念願かなった感じ。多分代表は5代目??
京都にはいろいろな「おどり」があるが、やはり
「都をどり」がいい。京おどり、北野おどり、鴨川おどり・・・・・・・
いろいろあるが。(京舞井上流)
場所は建仁寺まえの甲部歌舞練場。
詳しくは百科事典、インターネットで見てほしいが、
「華麗、夢幻、スピーデイな演出」いいとこずくめの踊りだった。

銀閣も久しぶりだが、道路も周辺も大分整備されてしまっていた。
境内には以前なかった砂の山などが作られていた。
哲学の道は桜は満開で、
一部桜吹雪のごとく堀に散って、川面を彩っていた。
すばらしいの一言ににつきる、ツアーだった。

踊りの会場が祇園だから、京都東あたりの同じみの地名に、
バスの窓に顔を押し付けて、昔を思い出そうとした。
五条の橋、川(鴨川)向こうの先斗町の裏、南禅寺、知恩院、南座、京都大学、大文字、平安神宮、円山公園、高台寺、清水寺、三十三間堂、
東寺・・・・・・・・・・
京都って、なんでこんなにもなじみ深い名前がおおいのだろうか。
桜満開の時期で、ほんとうに良かった。
銀閣、哲学道には日本語でない人がものすごくたくさんいた。
しかも若者いっぱい。
ある白人男性などは、銀閣の隅々までカメラに撮影していた・・・・・・・・・。
都をどりの終了の時、近くにいた年配の英語しゃべるガイジン夫婦が
「ビュウテイフル」を連発していた。

今日は
畑に残っていた
「水菜」「こうさいたい」など全部抜き捨てて、トラクター耕運した。これで畑に残っているのは
「発芽前ジャガイモ」「収穫期の絹さや」「まもなく収穫のソラマメ」「終末に近いワケギとネギ」「タネとりダイコン」
そして1ヶ月前に蒔いたばかりのニンジン、ダイコン、かぶ、ほうれん草だけになった。そして
サトイモを植えた
鉢に植え替えたナスなどが土に根を張ったようだ。


ナスの苗

シシトウの苗

トマトの苗

この感じの野菜畑は秋冬野菜の終わりから
夏野菜への橋渡しの時期を物語っている。
例年のことだが、野菜の端境期でもあって、
食べられる野菜の種類がグーッと少ない時期。
わが家の食卓は連日の
タケノコ、ワラビのほかには、ネギ、「貯蔵中だが半分腐っているタマネギ」「芽かきしながらのジャガイモ」、絹さや、冷蔵庫のニンジン、のオンパレードといってもいい。
まあ、これだけあれば十分過ぎるのだが、何となく寂しい感はまぬがれない。