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2月28日 (大隠太陽暦1月11日) 水曜日 晴れ
この頃「毎日更新」という看板にいつわりあり、みたい。
糸井重里さんのHPみたいに
「ほぼ毎日更新」に看板掛け替えをしようと思う。
実は昨日もおへんろに行っていて、
疲れて早寝してしまったから。
22日に観音寺まで廻ったので、
次の井戸寺から徳島市内を20キロ以上も横断して
小松島市の恩山寺、
そして立江寺までの27キロを歩いた。
10時過ぎまでは晴れてよかったが、
まもなく曇ってきて小雨がぱらついてきたため、
昼食抜きで歩き続け、
午後1時15分には到着してしまった。
9時半が井戸寺出発だったから、あんがい早く終わってしまった!!
幸い、雨は小降りで傘の用意はしていたが、
ひろげずにすんでよかったよかった。
計画では次の鶴林寺まで行き、
寺の宿坊で泊まらせてもらう予定だったが、
この時期は歩き遍路がほとんどいない時期ということで休館中。
だから手前の寺で辞めたというしだい。
徳島市内の道で腰がまがったお年寄りのご婦人が、
とつぜんボクの前にきて、
最敬礼するや「おせったいです」と100円をさしだした。
おせったいは断ったり、遠慮したりしてはいけない、
ということを本で読んでいたので、
両手を合わせ、拝むようにしておせったいを快く受け取らせてもらった。
手にした地図を広げて、道順を確かめていたら、
お年寄り男性が寄ってきて、
「遍路の道ならば教えてさしあげられますよ」と親切な申し出。
これが2回もあった。
今回のへんろでは、一人の中年女性の歩き遍路にであった。
一人だけだが。
また帰りの徳島駅構内で、
「これから歩きへんろに出る、今夜はこの近くに宿をとる」
という中年男性にであい、
しばしの会話を楽しむことができた。
こんな経験をしていると、
「へんろはへんろ道」だとつくづく思う。
寺はキンキラキンのキンキラキンが多くなって、
仏心がでるどころか、消えうせる感じだが、
へんろ道はいい。
車へんろでは絶対にあじわえないへんろ道だ。
「へんろ道でで逢う人々が仏」ということなのだろうか。
夜はふいご温泉につかってぐっすりだ。
醤油搾りを毎日すこしづつやっているが、きょう、明日でだいたい終わりそう。
ギュウギュウ押して搾っているのではなくて、
搾り袋に入れて、したたり落ちるのを待つのだから時間がかかる。
2年分の醤油だし。
今回はまったくカビがでないので、成功成功。やはり仕込みの時期を梅雨の時期にしたのが、よかったと思う。
つまり2度目の梅雨・夏を
醗酵力が強いときに乗り切るという時期。
昨年の春に、ある宗教団体から
醤油を4合ビンで1200円だして買ったけど、
言っちゃわるいが、
自分で作ったという要素を含めると1500円ぐらい旨い。
こんな醤油食べていると、
市販の醤油が食べられなくなるという問題が残る。
わが家のほうれん草は今が盛り!といいたいとこだが、
草取りをしなかった関係で、
草むらの中で草といっしょでないと抜けないようなしまつ。
だけど、こういうほうれん草は特に食ってはうまい。
ボクはほうれんそうナムルが好きで、
これを自分で料理するときはナムルばかり。
茹でてごま油、すりごま、塩だけで自分流に作る。
市販の一束サイズぐらいは一食で食べてしまうほど大好き。
夕食でやってみた。
畑から抜いてすぐのものだから特にうまい。
市販の大束ぐらいをペロリと食べてしまった。
あんまり食うと通風になるのだが。ほうれん草は通風の元。
2月26日 (大隠太陽暦1月9日) 月曜日 晴れ
昨日はいつもの土曜倶楽部番外仲間で
ボタンとモミジの食味会。先日、引田からこられた
大屋敷さんというお嬢さんとその男性友だちもきてくれて、にぎやかに。
今回もDr,Yさんの提供による野趣あふれた肉。
薫製、寿司、しゃぶしゃぶ、味噌仕立て、シチュー、などに。また持ちよりのご馳走として
レンコンハンバーグ、東南アジア風カレー、タマゴのアスパラ????、たっぷりの塩の中で蒸したボタン、
わざわざ、わが家の部屋を使って、
遠方の徳島市からご馳走を持ってきて
楽しい催しをしてもらえるなんて、
あと何年続けていただけるだろうか・・・・・・
などと考えてしまう。
老いさらばえたら、・・・・・・と思うと、悲しくもなり。
今を大切にしないと・・・・・と思う。
そしてこうして老宅を訪問していただけるみなさんに感謝感謝。
ところで薫製の装置だが、
本やインターネットで調べたりして、
段ボール箱を使ってみようとおもい、スーパーへ拾いに。
そのつもりで制作していたが、コレって以外と面倒。
そしたらDr、Kさんが大きな鍋(大きな無水なべ)に
魚焼き金網の四隅を折り曲げて中二階を作り、
その底面にアルミホイルを敷いて薫材を載せ、
ガス台で弱火で熱すれば・・・・・というので、
ラクチンそうなこの方法でモミジの薫製。
こんな簡単な方法で、薫製ができるなんて驚き!!
これからいろいろな素材をこの方法で薫製を試みたいと思う。
釣ってきた魚、トリ肉・・・・・。
サクラ切るバカ、梅切らぬバカ、というが、夏になったら、サクラの枝や破片を拾ってきておこうと思う。
ボクは見に行けなかったのでDr,Yさんの写真です

ボクは常々「野生を食べる」ということに
関心を寄せている自分を知っている。
はじめそのルーツを知らなかったが、
「ボクはいじめられっこ・ともちゃんちの太平洋戦争」を出版して、
それがどこにあるか気がついた。
疎開で移り住んだ田舎での食体験だったのだ。
終戦の直前直後、わが家には食べものがなかった。
親が百姓はじめてコメ、野菜などを作り、
オヤジが行商でゼニを稼ぎ、
そして小学生のボクが動物性のオガズを獲ってきていたのだ。
それは結核で自宅療養していた兄の滋養のためでもあった。
ザリガニ、食用カエル、ドジョウ、ナマズ、フナ、ウナギ、コイ、ハト、スズメ、ヒバリ、・・・・すべてすばらしいオガズであった。
現在では
ザリガニに替ってロブスターなどエビ類に、
食用カエルは高級品に、
ドジョウ、ウナギはどこかの太った養殖物に、
フナは臭くなった、
ナマズはなかなか獲れない、
鳥類は法律で捕れない・・・・
すべてが不自由になり、味も姿も変形してしまった。
ところが徳島に来て、
人に巡り合えて、イノシシに、
そして昨日はシカに巡り合えた。
野生は人間の造形ぶつとは違うのだということを、
口で舌でしっかり知っている人は、
この世に何人も生き残っていないのではなかろうか。
ボクはそんな絶滅危惧の一人だ。
昨年は吉野川でウナギ、ナマズを獲って食った。
レストランで食うものとはまった別物だ。
料理評論家は「柔らかくて美味しいウナギ」
なんて表現することあるが、
偽物はそうかもしれないが、
野生のほんものは硬くて、歯でなかなか食い切れないもの。
だが、いまや偽物賛歌の偽食べもの評論家の時代だから、
ボクみたいなのは狂気の人間かもしれない。
そして偽物が偽物でなく本物になり、
本物食うのが狂気になって・・・・・・・。
悪貨が良貨を駆逐するなんて
グレシャムのおっちゃんが名言のこしているが・・・・・・・・。
ちょっとたとえがよくないか・・・・・・・・・・
今日も一日中、パソコンの前。
タイトルは帰園田居にしようと決めた。
陶淵明の帰去来の辞からとったものだが。
今どきなぜ陶淵明!と思われるかもしれないが、
ボクは脱サラ就農のときにも彼の詩を読んで、
「ふむふむ」と思っていた。
キッカケに多少の差異があるものの、
ボクの暮らしがそのものズバリだから。
2月24日 (大隠太陽暦1月7日) 土曜日 晴れ
ソラマメと先日蒔いたアブラナ科野菜に鶏糞をまく。
またハウスの中に、保険としてナス、シシトウ、トウガラシをポット蒔き。
小泉内閣の時に「特区」というのがいろいろできた。
その一つで「ドブロク特区」というのがあった。
ところがたまたまボクが知った特区の状況は
「酒造会社の指導のもとに、ドブロク的でないようなドブロク作り」
ばかりが目についていたので、がっかりしていた。
ところが高知県三原村では普通の小さな食堂がサイドビジネスで酒屋の指導なしに、
従来の農家的方法でドブロクを作っていることを
テレビ放映していたので、パソコンで検索して早速注文してみた。
一升、送料込みで3825円。安くないが・・・・・・・・・。
味はいい。
大阪の新風書房というところが
「孫たちへの証言」というタイトルで、
戦争体験記を一般から募集して全集を発行していて、
すでに19集まで出版されているという。
こんど20集を発行するにあたって、
朝日新聞紙面で投稿を呼びかけていた。
戦争経験者が高齢化して、このままだと風化してしまうからだという。
という記事を見つけたので、
ボツになるかもしれないが、以下のようなものを送ってみた。
銃後と戦後の戦争
1945年3月10日の夜明け前、
母と私は牛車に僅かな荷物を積み、
夜道を選んで千葉市から茨城県の利根川沿いの
農村・母の実家へ疎開してきました。
昼間は米軍機に攻撃されるからと木々が生い茂る中で休息し、
暗くなった夕刻から夜中の引っ越し行でした。
国道でありながら、
石だらけのでこぼこ道で、
木で作った車に鉄の輪をはめ込んだ車輪を
牛が曳く荷車でした。
国民学校2年生の私は牛の尻を目の前に荷台にくくり付けられ、
肛門が飛び出すような地獄の道行きで、
食べものは煎り米と味噌だけ。
3月の夜は寒かったのですが、
懐中電灯もたき火も
アメリカの飛行機に見つかったら攻撃されるからと、
手探りで食べていましたし、
それ以上に「夜の燈火はスパイ行為」とみなされていたからでした。
地元の国民学校に転校しましたが、
そこでは恐ろしいイジメが待っていました。
僅かに吃音障害があったため
「どーもり、どーもり」とこずかれ、
足げにされ、
また数ヶ月後に転居した土俵蔵(地元では乞食小屋とよばれていた。
利根川洪水対策で土嚢を格納していたが、
老朽化で空き家になっていた)へ移ってからは
「どーひょぐら、どーひょぐら」とあだ名され、
鞄の中の学習用品を田んぼの泥水にほうり投げられたこともしばしばでした。(半分以上の田んぼには作付けされていなかった)
家はでても学校には行かず、
草むらで一日を過ごすこともありました。
母に「イジメ」を話すことは、
当時の私にとってはイジメよりも恐ろしいことだったからです。
「男のくせにめそめそするな、そいつらをやっつけてこい。
でないと家に入れてやらない。
お父さんは戦争で生きるか死ぬかで闘っているんだ。
そんなことぐらいでめそめそするようでは軍人になれないのよ」
と言うのが母の口癖だったからでした。
学校は「イジメられるために行くところ」でした。
無口になり、日々されるがままの人間になってしまったようでした。
だが、私にはイジメられても
楽しいことが別にあったから耐えられたのではないかと思っています。
登校の時に、季節によって
「ザリガニ釣りの道具」
「フナ釣りの道具」
「かい掘りの道具」
「イナゴとりの袋」を持って行き、
草むらの中に隠しておき、
下校しながら「漁」を楽しみながら帰宅することでした。
戦後はものすごいインフレで
お金の価値がなくなってしまい、
食べるものも買えないわが家では、
私の「獲物」が最高のご馳走で、
とくに母が喜んでくれたのが生き甲斐になっていました。
時にはご飯を炊くための
「けどっこ」をかついで帰ったり、
ドラム缶風呂の焚付けで、
利根川へ流木を集めにも行かされました。
周期的に子どもたちの間で流行る遊びは
「ベーゴマ」「ビー玉」「めんこ」がありましたが、
母の一喝で買ってもらうこともできず、
目を皿のようにして拾い歩き、
一人で黙々と練習し、
たった一人味方になってくれていた「くにちゃん」のヒキで、
子どもたち仲間の試合にもでることが出来るようになり、
たちまち、連戦連勝の「ホンコ」に強いともちゃんとして
学校で評判をとったのは5年生の時でした。
そのころには私をイジメる生徒は3人だけになっていて、
それも極めて限定的なもので、
安心して登校できるようになっていました。
だが、まもなく古希を迎えるほどの歳月を経ながら、
一度も小学校の同窓会へ参加していません。
65歳の時でしょうか、くにちゃんから
「○は死んだ、△は惚けちゃったよ、□は半身不随の言語障害だ。もういいだろう。出てこいよ」との電話をもらったが、・・・・・・・・。
戦争は戦地の兵隊さんだけのことではありません。
銃後に残された庶民も戦争していたのです。
8月15日で戦争は終わったのではありません。
めちゃくちゃに破壊された廃虚から、
食べるための、住むための
それぞれの戦争が長く、長く続いたのでした。
2月23日 (大隠太陽暦1月6日) 金曜日
年をとると、痛みはあとからやってくる、なんてよく悪口たたかれたが、やっぱりあとから足にきた。
遍路の翌日はほんとうになんともなかったのですが、
二日目の今日、鼠蹊部にちょっと・・・・・
だが、夕方には収まってくれて、ほっとしたが。
どこの誰に聞いてもジャガイモは植えたというので、
縁の下を調べてみた。
保存中のジャガイモの一部に1ミリぐらいの芽がではじめていた。
そろそろ蒔きどきか。
タネイモを買って植えている近所の人たちは、
早い人は1月初め、遅い人でも2月の初めには植えてしまっている。
だが、自家採種にこだわっているボクは
ジャガイモが自然に芽が出始めた時が蒔きどきと思っている。
昨年は3月4日にしているから、今年は同じか、少し早くなりそう。
タネに使うものは
「料理しにくいこまかいクズに近いもの」にしている。
市販の本に書いているように
「80グラム前後のものを二つ切り」
などということはせずに丸いまま。
だからか、タネが腐って発芽しないということはまずない。
収量は同じだと思う。
普通タネにするものは
「カタチがよくて、よい子孫を残せそうなもの」
と言われているが、ボクのやり方は常識やぶり。
また、
「自家採種し続けると小粒になってくるから、
タネイモは毎年買うこと」
という神話が農業の世界では生きているので、
この点でもボクのやりかたは神話ヤブリでもある。
昨日のタネ蒔きはアタリ!!。
ちょうどいい程度の雨。
多分順調な発芽を期待できるのではないだろうか。
ショッキングな記事を日経で見た。
10年以内に 農業やってる人の平均年齢は65歳以上になるよ、
なーんて冗談半分でしばしば日記に書いていたが、
新聞に記事として書かれてしまうと、驚きだ。
「2015年には60%が65歳以上に」
という見だしで。
テレビの地デジが2011年だから、
ほんとにもうすぐだ。
農業団体は企業の農業参入には反対だなんて主張していたが、
もうどうしようもない段階にはいってしまう!!!
百姓やってる人は70歳過ぎてもみんな元気だ、
なんていう「若い人」が書いたマスコミ記事が横行しているが、
ボクは69歳でもうすぐ古希を迎える年齢だが、
65歳を越えると、人生しんどいよ。
国内での食料生産は終焉し、
もしかしたら100%輸入で飯食うなんていうだらしない国になるかもしれないね、この国は。
そのころはボクは78歳か、この世にいないかだけど。
脱サラして農業やってみて、
実感したことは
「日本人ほど農業きらい国民はいないのではないのでは」
と思ったことだ。いや、
世界すべてが農業嫌い国民ばかりだと思うけど。
環境を考えるとか、食料の自給は大切だなどという
「農業シンパ」みたい人でも、酒飲んで話すと「百姓仕事は嫌いだ」と言うしね。
いずれにしても、この記事はショックだったよ。
2月22日 (大隠太陽暦1月5日) 木曜日 晴れ 夕方から曇り
昨日は朝7時半からお遍路に出て、夕方7時頃帰宅。
へとへとに疲れてしまい、風呂に入ってごろり・・・・・・・・でした。
2月7日に1から11番まで廻ったので、
今回は11−16番を目指して歩いた。
このコースには
「へんろ転がし」「最高の難所といわれている12番・焼山寺」
が含まれているので、
16番までは無理かな?と思いながら、おそるおそる歩いてみた。
11番の藤井寺の境内からすでに上り坂、しかも急な坂道。
よせばいいのに木材にみせかけた
コンクリートの棒を使って石段が作られているので、
めちゃくちゃ登りにくい。
こんなことするのは山登りをしたことがない坊さんの発案か?
焼山寺は標高700と表示されているが、
途中で745まで登って、
400まで急降下してまた
700へあがるのだから、
二回登山みたいなもの。登りは急で下りも急。
しかし、登りは楽だったが、
下りは・・・次の13番・大日寺までは23キロ。
4時間以上の距離だ。
起伏のある遍路道を行けども行けども、・・・なんと4時間半。
歩きながら握り飯をぱくついての休憩なしの歩き。
とにかく急がないと明るいうちに平地に行けない??という不安で。
車が走る道ではなくて
「歩き遍路道」をたどったのだが、
これが山道ばかりで大誤算。
標高で700→240→450→85→120→80
とまあこんな上がったり下がったりの道。
車が通らないというメリットはあるものの、
人っ子一人いない山道をとぼとぼのんびりと歩いていられないし・・・・・・・。
人さらいが出そうだし・・・・・・・。
距離は焼山寺までは登山道の13キロ、
ここから次ぎの大日寺までは23キロ、
ここから16番・観音寺までは5キロ。合計42キロ。
平地だったら全行程7時間弱のコースだけど、
山があったから10時間半。
なんでこんなばかばかしいことをやっているんだ・オレは!!
と自己嫌悪になりながらも
「女性のエドウイーナも佐藤孝子さんも歩いたんだから、
負けてられない!!」という気持ちだけが、歩く支え。
エドウイーナはわが家に泊まっていて31日間で歩いたオーストラリア娘、佐藤さんはなんども歩いている50歳ぐらいの女性・元小学校先生。
目的の16番・観音寺についたのが薄暮・6時。
マラソンをテレビでみていて、
リタイヤーする選手がへたりこむ姿が時々映るが、
あれが体験的にわかった感じ。
腰がブル下がってくるのだ。
そして足首が痛くなってくる。
田舎に住んでいると腰を落として、
背中を丸め、
ヒザを曲げたまま歩くお年寄りがをたくさん見かけるが、
農作業と年齢という重さに疲れ、
やっとカラダを支えて歩いているのがわかるような気がしてきたのだ。
(慣れないハイヒールを履いているカッコ若い女性みたいに)
意識して、腰を持ち上げて、背骨をまっすぐにして、
お腹を引っ込めてさっそうと速足で歩くように心がけたが、
それでも、しだいに下がってきてしまうのだ。
そして足首が痛くなるし。
ウオーキングと登山に使う筋肉は違うといわれるが、
遍路は同時に両方の筋肉を鍛えることができるというメリットがある。
1週間前に「登山家も嫌う・高越山」へ登っているので、
その感じがしみじみわかる。
夜は右の足首の痛みがひどく、「明日は一日中、寝たきり」と思っていたが、座薬とシップ1枚だけで、すっかり快方に。
いつもの筋肉痛とはしばしのお別れ。足が強くなった自分に驚く。
農業はじめてからの初体験だが
「春に秋野菜をつくる」ことをやってみた。
「夏は果菜類、冬は葉菜類」といわれているので、
この時期に葉菜類の栽培をすることは、
昔からのいわゆる「旬」の概念からはずれることになる。
だが現在ではタネの改良もあってか、
なんでも一年中栽培できるようになり、
昔からの旬は、なくなってしまい、
百姓ですら「旬」ってなに?という時代になってしまっている。
ボクは出荷しているころは
「昔からの旬」を守って、こんな風潮に抵抗していたが、
いまや出荷もしてないので、
軽い気持ちで「まあ、やってみるか」と、やることにした。
ダイコン、ハクサイ、カブ、などのアブラナ科の葉っぱものだ。
トラクターで耕って鶏糞を散らし、タネ蒔きした。
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